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  目籠ことはじめ
「秘曲」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
……一昨日は初夏のような陽気、昨日は一転して冬の終わりに戻り、今日はまた暖かな日になりました。こういうお天気は、油断が出来ませんね……

と書いて、お題をお知らせしてからふた月以上。未だにそんなお天気が続いていることに、驚かされるこの頃です。この間に待望の新刊「蘭陵王の恋」が発売になり、つい先日は、明治編のドラマも放映されました。明治になってからは若い人たちにシフトされ、少々寂しかったのですが、今回の本では久々にるいさんの存在感が増し、嬉しかったです。新しいドラマは、どんな感じだったのかなあ〜。

さて、冬季の「びいどろ正月」にもご参加をいただき、ありがとうございました。黄砂やら花粉やら得体の知れないPM2.5やらで、改めて「番茶のうがい」をしている方も多いのではと思いました。

今季は「目籠ことはじめ」を選びました。
このお話は、最初に読んだ時から大好きなお話です。夫のことを思うおみやは、真剣になればなるほど人から誤解されてしまうのですが、その一途な心根にこちらの目頭まで熱くさせられるような、かわいい女性です。

さあ、今季はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成二十五年春)

今季のお題、なんとか参加したいと思っていたのですが、
年度末のバタバタがまだ尾を引いていて、とうとう一句も出来ずじまい。
ということで今季はお休みさせて痛きます。
皆さんのお句、たまこ姐さん、紫陽花さんのおまけも楽しみにしています。
来月はいよいよ30年ぶりの「かわせみ」が放送されますね。
年を重ねたおるいさんや東吾さんがどんな風に描かれるのか、
期待と不安を持って待っているところです。キッズ達もどうかなぁ・・・
夏は是非また参加させてもらいますのでよろしくお願い致します。
締切後は忙しくなると思うのでぼちぼちまとめて下さいね〜 楽しみしています!
(あっちの管理人さん)
昨日は夏のような暑さでしたが、今日はまた冷たい風が吹いています。
北陸でもそろそろ桜は見頃でしょうか。
今回もお休みになってしまって申し訳ありません。
どうぞこでまりさんも、体調に十分気遣ってお過ごしください。

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(UP後に) 2季続けての欠席となってしまって、本当に申し訳ありません。
みなさんの御作を拝見して、一つの作品がさまざまな視点から切り込まれ、
そうかこんな見方があったかと目を開かされ
さらにそれが相まってより深い一つの作品になっていく、
そんな思いがいたしました。
それでもやっぱり参加してなんぼですね。次こそは・・と思います。

(茜雲さん)



  浅黄裏さんの五七五 

それにしても…清太郎という人はあっちで殴られ蹴られ、こっちで殴られして懲りない人ですね。そして、その都度、おみやに助けてもらうという始末付きの人生です。幼いころはちょっとはやんちゃで知られたというのに、どうしたことでしょう。「殴られ清さん」とでも呼びたいような人生です。
(浅黄裏さんの談)

やがて、「かわせみ」から四挺の駕籠が威勢よく通旅籠町へ向って立って行った。
「目籠ことはじめ」より
駕籠屋さんはふだんからお客の心の内には敏感だったように思います。商いのことで頭がいっぱいの旦那には無駄に話しかけないように気をつけ、これから揃って花街に繰り出そうという旦那衆にはこちらも陽気に声をかければ少し多めの駕籠賃を貰えるかもと思うものだったかもしれません。
かわせみから井筒屋への道中では、もちろんおめでたい雰囲気を感じていたでしょう。井筒屋へ着くやいなや八人の駕籠かきが揃って「お慶び事がおありなすったそうで!おめでとうさんでございやす!!」くらい言ったかもしれません。出迎えた番頭さんが気を利かせて駕籠賃とは別に祝儀を渡したのではないかと妄想しました。


春運ぶ四挺駕籠の軽やかさ


駕篭に乗る家族ではなく、担いでいる駕篭かきの方で妄想がふくらむとは〜、すごく面白いです。一家の喜びを「春運ぶ」と詠まれたのも、お上手だと思いました。
(こでまり)
浅黄裏さんの、駕籠屋さんの目線の御句やコメントが、広角レンズ目線というか、毎回の深い読みと詠みに納得しきりです。
(すみれさん)
浅黄裏さんの「四挺駕籠」いいですねぇ。私も以前、「駕籠」は題材にしたことがありますが、駕籠を見送る視点でした。駕籠をかつぐ人自身の心持とか、全く思いつかず、目からウロコでした。
(たまこさん)



嶋田伝蔵は一人ではなかった。若い、といっても、小柄なので実際の年よりも若くみえるのだろうが、どことなくいきいきした感じのする女が背後に従っている。
「目籠ことはじめ」より
これはおみやさんです。
地味だけれど根の張りも葉の伸びも実はしっかりとしていて力強いんです。


はこべらや目線をあげて葉を伸ばす





「頼みます。どうか、清太郎と一緒に井筒屋へ戻っておくれ。この通りです」
老いた夫婦に両手を突かれて、おみやは激しく泣いていたが、その姿には、もう「かわせみ」へ来た時のようなきびしく、思いつめたものが消えていた。
「目籠ことはじめ」より
自分の娘のように育てたおみやさんをお店に迎え入れる時、おえいはどれほど誇らしくあったか。奉公人の中にはおみやを呆れたような目で一段低く見る者もあったかもしれませんが、背筋を伸ばしたおえいが「この娘(こ)は、昔わたしが我が子として育てた子なんだよ」「清太郎の嫁となってもらうから、これからは若おかみさんと呼ぶように」と宣言したかもしれません。


わが娘(こ)なり花種蒔きし日のありて


おえいさんの「息子の嫁」という見方が、「昔育てた娘」という見方に変わりましたね。「はこべらや」のお句にも感じられるように、普段のおみやさんはお店を仕切ることも十分出来る人だと思います。おえいさんともきっと良い親子になれるでしょうね。。
(こでまり)



東吾さんは若夫婦のことはじめと言いましたが、一家にとってのことはじめでもありますね。夫婦に息子にその嫁と初めて一家が揃った日です。


花の夜を一家集いてことはじめ





  麦わらぼうしさんの五七五 

こんばんは、今季の五七五送ります。今回読み返してみて思った事、私は、おみやに共感できないな〜と。いっそ東吾さんが言うように、損得勘定があるならわかるんだけど。まあ、私が、ひたすら他人の為に尽くすなんて事が出来ない俗物なだけなんですけどね。
UPお疲れ様でした(だいぶ無理されたのでは…大丈夫ですか?)&ありがとうございます。いつもながら、いろんな視点がいっぱいで楽しかったです。
(麦わらぼうしさんの談)

ごろつきが棒きれでなぐりつけ、足蹴にしているのは女であった。
いや、倒れている清太郎の上におみやがしっかりと抱きついて、自分の体で清太郎をかばっていた。
そして、そのむこうに駕籠から下りたばかりといった有様の重兵衛とおえいの姿がみえた。
「目籠ことはじめ」より
よくもまあ、悪い奴らにからまれる人ですね、清太郎は。そして、その度に前よりも状況がよくなっていく…なにかあると必ず回りが助けてくれる、お坊ちゃま育ちにそういう人いますよね。


ボコられて運が開ける甘太郎


「ボコられて」という表現が面白〜い。浅黄裏さんからも「殴られ清さん」と名付けられていましたが、そういえば昔はやんちゃだったのに、おみやに助けられてばかりですね。
(こでまり)
清太郎については、私も「よく殴られる若旦那だなぁ〜」と思いましたけど、そういうのって五七五にするのは無理と、はなっからあきらめていたので、麦さんの「ボコられて・・・」には本当に大笑い&大納得しました。「甘太郎」っていうのもホントぴったり!!ご本人にこれを教えてあげたい(笑)
(たまこさん)



JAYWALKの「何も言えなくて…夏」に「私にはスタートだったのあなたにはゴールでも」という歌詞がありますが、このお話を読んでこの歌を連想しました。清太郎とおみやの関係がこれに似ているように思えて(男女が逆ですが)。なんかの標語のような句でスミマセン…
清太郎を世に出す事だけが目標で、その後はまったく考えていなかったおみやへ、まだまだ人生これからですよ、というエールを込めて(^_^)


ゴールにはスタートという意味もある


「何もいえなくて…夏」、名曲ですね。元のボーカルの方の奥様にも、おみやのような印象が……。
清太郎を井筒屋に返してからのことを考えるのって、きっとおみやにとっては、とても怖いことだったと思うんです。おみやにとっても井筒屋夫婦は忘れられない「親」だからこそ、思い出してもらえるだろうか、思い出しても拒絶されるくらいなら、逃げ出した方がいい・・・なんて思いつめたように思います。
ボコられた清太郎のおみやへの思いも真剣だというのがわかったし、一緒にスタートを切れてよかったです。
(こでまり)



わあっとおえいが泥まみれの女にすがりついた。
「わからなかった……あんたがおみやだったなんて……」
重兵衛が女房に訊いた。
「あの……おみやか……」
「ええ、おみやです……あの子だったんですよ」
「目籠ことはじめ」より
毎度アニメ的表現ですみませんが「時空」は「とき」と読んで下さいませm(__)m 
おみやが母親に引き取られていった時に、一度切れた絆。そして再び、おそわれた清太郎をかばうおみや、この瞬間に、井筒屋の嫁にふさわしくないとか、清太郎とおみやの微妙な思惑のズレとかも、すべて氷解して、四人の気持ちが一つになったと。


時空を超え途切れた絆また結ぶ





  すみれさんの五七五 

「御宿かわせみ」数あるお話の中、ほっこりできる人情話で春の陽ざしの雰囲気です。おみやさんは、みかえりを求めずに尽くして報われました。東吾さんの、彼女への評価が変わっていく過程がお話を盛り上げてくれますね。
連休ものんびり出来なかったことでしょう。お世話になり、本当にありがとうございます。皆様の御作を拝見して、色々なことはじめがあったことが、改めて判りました。今季のお話、清太郎のお坊ちゃんぶりへの五七五がいつくもあって、自分は詠めなかったので、なるほどねぇ・・と、感じ入りました。
(すみれさんの談)

これも、このあたりでは二月八日に必ず食べるのだというお事煮と称する、赤大豆の汁の中で芋や牛蒡、人参などを煮込んだもので晩飯を済ませたところに、麻布の名主の嶋田伝蔵がやって来た。
「目籠ことはじめ」より
お事煮・・・野菜と小豆のみそ仕立て汁・・・とっても美味しそうです。
東吾さんが訪れた日の、夕餉の仕込み、おとせさんは、張り切って、鍋一杯に作ったことでしょう。例のトリオたち、一緒にだいまなこ払いのお手伝いをしてるかもね♪


お事煮や 夕餉の炉辺 和やかに


「お事煮」は独占ポイントでした。田んぼ仕事を始めた日の、特別なご馳走なんでしょうね。
(こでまり)
「お事煮」私もこれで一句作りたくて、ぎりぎりまでねばっていたのですが、ついに出来ず、4句だけで提出してしまいました。なので、すみれさんの、お事煮を囲んだあったかい風景が自然に詠まれているのを拝見して、やられたなぁと思いました。
(たまこさん)



縁側のすみに方斎が腰をかけ、東吾は立ったまま、男の細工を眺めていた。
東吾が感心したのは、男が小さな細工用の鉈をふり上げて竹を割く呼吸であった。
殆ど力を入れていないようなのだが、ものの見事に細くてしなやかな竹片が僅かの間に一束、二束と出来上る。
「目籠ことはじめ」より
清太郎さんの竹籠細工・・・きれいな形の花入れが見えるようです。東吾さんは、剣術家の目線で、彼の竹のさばき方に注目していますね。均一な材料に仕上げることが出来るまでには、おみやさんの励ましと支えがあったことが、徐々に明らかになってきます。


匠の手 編み目の向こう 春きざす

紅梅や 頑なな我 咲かぬまま


こういう作業は、見ていて飽きない気がします。方斎先生も、東吾さんと同じような感覚で見つめていたのでしょう。
「紅梅や」のお句は、ちょっと迷ったのですがここに置かせていただきました。
(こでまり)



「わたしが井筒屋へ帰りたいと思ったのは、晴れて、おみやを井筒屋の女房にしたいと願ったからだ。お前が井筒屋へ来るのをいやがっていると名主様に知らされて、わたしは家を出ようと思った。お前と別れるくらいなら、井筒屋の主人にはならない。お父つぁんやおっ母さんにはすまないが……おみやなしには、わたしの人生はない。だから、駕籠でかけつけて来た」
「目籠ことはじめ」より
正に、おみやさんは、「糟糠の妻」。清太郎さんが、晴れて、井筒屋へ戻れるまではと懸命に支えてきて、いざ、自分の立場を思った時に、立ちすくんでしまいました。清太郎さんとの暮らしの中で、愛されている自信は持てていなかったのでしょうか・・・
独りで家の片づけをしながら、寂しい未来を選ぼうとしましたね。もっともっと自分を誉めて良いですよ。


夫婦道 北窓開く 事はじめ





  紫陽花さんの五七五 

このお話最初の目籠を竹棹にさして軒先に立てかけるという冒頭のシーンしか覚えていませんでした(笑) 新鮮な気持ちで読み直したんですが、なんか都合のいいお話で「…おみやなしには、自分の人生はない…」だったら駕籠じゃなく自分の足で駆けつけろと言いたくなっちゃった。ひねくれものの紫陽花です。
(紫陽花さんの談)

善助が、おとせに助け舟を出した。
「手前が子供の頃、村の年寄にきいた話ですと、二月八日には、だいまなことやら申す一つ目の鬼がやって来るそうで、目籠は竹の編み目が多うございますので、目が多い。一つ目の鬼はびっくりして逃げるとか申します」
「目籠ことはじめ」より


だいまなこ絶滅危惧種に指定する


「だいまなこ」ってストレートすぎる名前だけど、ひらがななので何だか可愛いですね。「絶滅危惧種」から思い出しましたが、このたびは富士山の世界遺産登録がほぼ決ったそうで、おめでとうございますm(__)m
(こでまり)



おまけも“だいまなこ”。ネットで調べるとかっこよかったりかわいかったり。でも図書館で調べると怖い。この差はなんだろう(笑)
“だいまなこ”にもお役目とか言いたいこともあるでしょうしそんな嫌わなくてもいいのなぁ、でも実際にいたら怖いよな。茶托は目籠をはずそうとしているらしい。仲間には親切で優しいようだ。

最近静岡では新茶関係のニュースがテレビで多く報道されています。新茶の取引や茶畑情報や子供たちのお茶摘み体験とか…
そんなニュースをみていてふと思い出したのが家にも目籠があったということです。何年も足を踏み入れなかった倉庫を探したらでてきました。ぼろぼろでした。写真を撮ろうと思い物干し竿にひっかけて壁に立てかけようとしたんですが、棹が意外と重く長かったので短めの棒に引っ掛けて急いで写真を撮りあわてて撤収しました。こんなところを近所の人に見られたら説明するのが面倒だったから(笑)

図書館でも調べられるとは、有名なんですね。それに言われてみれば納得だけど、彼らはだいまなこの味方なのね。
うわっ、そしてまさか本物にお目にかかれるとは!でも、「こと八日」のような使い方はしないんでしょ。近所の目を気にしながらの撮影、ありがとうございます!
(こでまり)
「だいまなこ」は愛らしいですね♪彼らの仲間入りかな。
(はなはなさん)
「だいまなこ」可愛いですね♪今流行りのゆるキャラにいそうですね(^.^)
紫陽花さまが書かれている「だったら駕籠じゃなく自分の足で駆けつけろ」にすごく共感しました。そう、清太郎って基本お坊ちゃま育ちなだけに、どうも甘いよなぁ〜と感じてしまうんですよね。これが東吾さんだったら、絶対駆け出していくだろうなと思います。
(麦わらぼうしさん)
まなこちゃんはもう出ないと思うよ。人間は怖いってさ(笑)
(紫陽花さん)
例のトリオは、まなこちゃん(女の子だったのか)と仲良しになったのですね(爆) 期待したとおりに、紫陽花絵師が描いてくださって、嬉しかったです。
(すみれさん)
最後になりましたが、紫陽花さんの「だいまなこ」新キャラ登場嬉しいです!!そういえば、チビ姫とか、三つ目くんとか、いろいろ個性的なキャラがいたんですよね。たまに、彼らも、湯のみ君や茶托君の所に遊びに来てくれると嬉しいなぁ。
(たまこさん)



  たまこさんの五七五 

印象に残るお話ですが、五七五のお題として読み返してみると、難しいですね〜 季節感はもちろんありますが、人の心の動きが中心の話なので、感想文ならともかく、なかなか五七五にまとまりません(泣) それだけに、どこが競作ポイントになるのか全く予想がつかず、UPが楽しみです。
「はいくりんぐ」UP嬉しく拝見しました!お忙しい中、大変だったことと思います。季刊になってから3月・6月・9月が締切りになってきましたが、夏のお話でも初夏・盛夏・晩夏とそれぞれに季節感は違うので、いろいろなお話を取り入れるためにも、少しずれて行くのは却ってよいのではないかと思いますよ〜。
このお話、ずっと前のご本家の「朗読アンケート」の時などからも、人気作品だというのはわかっていたのですが、どこが詠みポイントになるのか全く読めなかったので、UPがとても楽しみでした。お話そのものや、登場人物についての評価や感想も、人それぞれで面白いですね。
おみやさんは「健気なヒロイン」の代表格なのでしょうが、ちょっとわかりにくい性格というか・・・私だったら、最初に清太郎と知り合って、その身の上を聞いた時に、「まぁ、井筒屋さんの若旦那でいらっしゃったんですか?若旦那は覚えておられないでしょうが、私は井筒屋さんには一方ならぬお世話になったんですよ」って、あっさり言っちゃいますね。それで「若旦那がお望みでないなら、しばらくお家のほうには内緒にしときますけど、お家では心配されているだろうし、落ち着いたら便りの一本もしたほうがいいですよ〜」と、竹細工が周囲に認められるようになったあたりで生家に連絡するように仕向ける。う〜ん、でもそれじゃ、物語にならないか(笑)
(たまこさんの談)

「つまり、お百姓さんの仕事はじめ、ことはじめと申すようで……」
「それと、この目籠を竹の先におっ立てるのと、なにか関係があるのか」
「魔よけと聞いて居りますが……」
「目籠ことはじめ」より
今流行の「七十二候」を見ると、「立春」が「東風凍を解く」「鴬鳴く」「魚氷に上る」の三候に分かれるとのこと。そして二月八日というと、ちょうど初候から次候へという頃になるんですね。凍りついていた土も解け始め、田畑で働けるようになる喜びのシンボルが目籠なのかもしれませんね。


鴬が東風に呼ばれる事始め

雪解けて鬼は目籠と睨めっこ


春先、ちょっと山が近い住宅地でも、鶯の声が聞えて来て、それがまだまだ下手だったりするのものどかでいいものです。
「雪解けて」の方は、まるで紫陽花さんのイラストを見て詠んだようなお句ですね。
(こでまり)



ふりむくと、おみやはまだ清太郎の上にしっかりかぶさったままであった。髪は乱れ、着物は泥まみれのすさまじい姿である。
よろよろと、おえいが、その場に近づいて行った。
「おみやなのですね、あの……藤吉の娘の……おみやなのですね」
  (略)
おえいがおみやを抱きしめた。
「よく、無事で……」
おみやが子供のような声で泣き出した。
「目籠ことはじめ」より
清太郎の両親は人情のある人たちで、奉公人の娘であっても、おみやには愛情を持っていたし、今でも懐かしく思っていたのですよね。もともと人柄を知っているおみやなら、年上だろうと身分違いだろうと気にならないのに、「息子がグレていた時に一緒に暮らしていた田舎の年上女」は「どこかでさげすんでいたのかもしれない」・・・そういう親の心情がリアルに書かれていると思いました。


思い出す姿は焼け野の雉(きぎす)かな

春塵にあの日あの時よみがえる


おみやの清太郎への愛情は、妻としてというより、姉や母親のような部分が少し勝っているかもしれないと思うので、この「焼け野の雉(巣のある野が焼かれた雉は、命がけで子を救おうとする)」は言いえて妙だと思いました。また「春塵」の方も再会して記憶が繋がった瞬間を、よく詠まれていると思いました。
(こでまり)



【おたま姐さんのブラたまこ】 今回は、お話の中で私が気になっていた場所が取り上げられていたのですが、ココってそういう意味だったのね〜〜。
それではこちらからどうぞ!
ブラたまこも楽しかった。個人的には土地勘も思い入れも深い「現場」なので、うんうんと頷きながら拝見しました。
私も「ミッドタウンからヒルズまでって広い藩邸なんだなぁ」と思っていたので、支藩の敷地と教えていただいてやっと納得しました。またこの夏に歩きに行ってこようかな〜と思ってしまいました。
(はなはなさん)
実は私も、ヒルズとミッドタウンは、上屋敷と下屋敷だとばかりずっと思っていたんですが、今回調べて初めて本藩と支藩だったんだとわかりました。しかし、支藩である長府藩もやはり長州討伐の対象になったようで、「名主の裔」の中には、江戸の名主たちが長州の江戸屋敷打壊しを命ぜられ、その中で檜屋敷(現在のミッドタウン)を受け持たされた斎藤市左衛門が、毛利家が秀吉から拝領した雪見灯篭が砕かれたそのかけらをそっと懐に入れて持ち帰るというシーンがあります。
(たまこさん)
ブラたまこも、いつもながら読み応えたっぷりですね。 長州の詳しいお話や大江広元が祖だったなど、そうか、そうだったのかと思いながら読みました。
(麦わらぼうしさん)
たまこさんの現場検証の写真で見る東京の様子って昔と今がいい具合に存在している場所がありますよね。あの鳥居なんかはとなりのビルを建てるとき一度どかしてビルができたあとで再び設置したのか、鳥居そのままにビルを建設したのか聞いてみたいところです。(現場検証はとりあえず写真だけ見た。あとでまた読むね)
(紫陽花さん)
たまこさまの現場検証、六本木界隈の今昔、とても詳しくて有難かったです。毎回思うことですが、度々の火災、関東大震災、それに、大戦時の大空襲と焼野原になっていても、江戸時代の屋敷跡の公園とかは結構おもかげを残していて、人々の憩いの場として、今も存在感がありますよね。
長州の事情もさすがに詳しく解説していただき、初めて知ったことが沢山ありました。 本当にありがとうございます。
(すみれさん)
たまこさんの現場検証も、相変わらず深いですね。
東京は田舎とはまた違った意味での緑の多いところと感心させられます。10年以上は暮らした場所なのに、新しいことばかりで楽しいです。
(茜雲さん)
「鳥居」の写真は、朝日神社の鳥居でしょうか?これはたぶん、再開発のときに作り直したものじゃないかな〜この神社はもともと、それほど広い地所ではなかったようですが、今はさらに境内も縮小になって、ビルの隙間に入ってしまったようです。都心にはそういう寺社がたくさんありますが、残っているだけでも有難いですね。
タモリさんも言ってましたが、江戸時代からある寺社には、是非とも由来を記した説明板を設置してほしいです。
(たまこさん)



  ぐりさんの五七五 

今季ははやくだそうと早くに本を出してまず読み通したら次のが読みたくなって次々と読みふけってしまいました、なんか読みながら唸ってしまいました 同じ親子の話でも同じ展開本人たちの心情はなくかわせみの人々の関わった人たちへの思いも深く 何だか泣けてしまうことがただありました やっぱりいいですよね 平岩先生300話よく書かれたと感じ入ります
このお話は大好きなお話でおみやの清太郎に対する一途な思い最後に叶うところがとても良かったと思っていました でも今回読んで もし井筒屋の両親にあのおみやとわからなかったなら、気づかなかったらどういう展開になっていたのかと気にもなりました でもおみやさんは清太郎さんに尽くすでしょうから 気にいられないということはなかったとは思いますけど〜 今回もよろしくお願いします
UPありがとうございます、せっかくの連休ものんびりできなかったのではと思います いろいろな目線、(お事煮、ゴールはスタート、あまたろう、ヽ籠屋、親子となったことへの喜び)楽しませていただきました きずかない目線でした こういうところがハイクリングの楽しみですね
(ぐりさんの談)

「でも、おみやさんとおっしゃる方、それなりに御苦労なさったのでしょうから……」
いつ、清太郎とめぐり合ったのかはわからないが、かなりの年月を女が働いて男を養って来たことになる。
「出来ることなら、一生、日蔭の身にしたくないと思うのは人情でございましょう」
「目籠ことはじめ」より
10年も清太郎に尽くしなんとか両親とも和解させたいと思うおみやの心情 うたれますね、おみやは子供の頃から清太郎だけをおもっていたのですね


あなただけ 一筋に尽くし 木の根開く


「木の根開く」は私の歳時記には載っていなかったのですが、調べたら「冬の間に積もった雪が、木の根本あたりから融け始める」ことをいうそうですね。雪はまるで、長年の親子のわだかまりのようです。
(こでまり)
ぐりさんの使われた「木の根開く」という季語は初めて知りました。
(たまこさん)



笹竹のようにしなやかな心で暮らしていってほしいですね


笹起きる しなやかにとて ふたりして


雪を被った笹は、折れてしまうんじゃないかと思うほどしなっています。時々よその玄関先の笹でも、誰も見ていない時にパパッと払ってあげるんですが、手を出せない(?)場所の笹も、気がつくと元のように戻っていて、しなやかな強さに感動します。
(こでまり)
「笹起きる」というのも、春の季語なんですね。「笹起きる」については、宗匠のコメントも、雪国ならではで感動的でした。
(たまこさん)



「年をとられると、若い女に弱いのかも知れないな」
おとせが真顔で首をふった。
「そんなのとは違います。あのおみやさんという方は、女の私がみても、なにか、いじらしくて……」
どこか思いつめているようなのが心を惹くといったおとせの言葉を、その時の東吾は笑い捨てたのだったが……。
「目籠ことはじめ」より
女を見る目にかけては自信のある東吾さんですが 今回はイマイチでしたね
やはり若くて可愛い子でないとダメなのかな


春燈や 艶はなしなら するどいの


今回ばかりは、見る目がなかったと言われてもしかたありませんね。
(こでまり)



如月の夜、外は音もなく雨が降り出している。
「まあ、井筒屋も今日から若夫婦のことはじめだろう」
東吾が明るく笑い、るいは徳利を取り上げた。
「目籠ことはじめ」より
もしおみやがさってしまったら両親と清太郎の間でひと悶着あったかもしれないですね
うまくいってよかったと本当に思うおはなしです


残る鴨 こよいふたりの ことはじめ





お宮を白梅に見立ててみました


竹かごに 活けた白梅 妻の事





  千姫さんの五七五 

ご本家の3月の尽句に出遅れてこれでは居なくなっちゃうと焦って作句に励みました。日が短くて読み込みが浅く、おちゃらけな五七五しか出来なかったけれど、「まずは参加、参加することに意義がある」と言いきかせての投稿です♪期日を過ぎていますがよろしくお願いします。
(千姫さんの談)

「私も、こちらへ参りまして、はじめて知ったのでございますよ」
毎年二月八日をこと八日と称し、この日が終ると、田に出て働いてもよいということなのだと、おとせは東吾に説明した。
「目籠ことはじめ」より
田に出て働いてもよいということ・・・昔の人は皆、働き者だったのね。何事も一日延ばしで結局、せず仕舞いになっちゃう私には耳が痛いですぅ。


なまけ者働け働けこと八日


いや〜、共感のコメントですぅ〜〜。
(こでまり)
そういえば、源さんが登場しなくても源さん句を、という目標も今回は達成できず。でも、千姫さんも源さん句が無かったから、まぁいいか(ライバルか?!)
(たまこさん)



大きな目という意味の鬼なのね。
「だいなまこ」と勘違い読みしていたから視力が弱い鬼を想像していました(^_^;)


だいまなこ気はちっちゃいが鬼は鬼


きゃ〜かわいい、こういうギャップがたまらない〜という人もいそうです。もし「だいなまこ」だったらお吉さんに捕まって、お膳に出されてしまうかもです!
(こでまり)
千姫さんの、「働け働け」も「鬼は鬼」も、すごく発想が面白いですよね。
(たまこさん)



「勝手を申すようでございますが、私、清太郎さんより三つも年上でございますし、この通り、器量よしでもございません。井筒屋のお内儀さんには不似合いな女でございます」
年上の女房だといわれて、るいは途方に暮れた。自分も東吾より姉さんである。
「目籠ことはじめ」より
今のるいにはわかっているんですよね。年が上だって、身分が違っていたって、赤い糸さえ結ばれていたら必ず夫婦になれるんだって。ただ気弱になって身を引こうと思い詰める気持ちもよくわかる・・・。


年上の心重ねてそこに春


「年上妻」でおみやに共感するおるいさんの気持も、「共感したんだなぁ」という事は読めても、それをこういう形で詠むっていうことがなかなか出来ないのよねぇと感心しきりです。
(たまこさん)



アツアツの二人に言いわけなんていらないでしょうが。


冷えますね身体重ねる冬の雨





  はなはなさんの五七五 

お忙しい中「はいくりんぐ」UPお疲れ様でした&ありがとうございました。長いコメントをつけちゃって、お手を煩わせてしまい、申し訳なく思っています。今月も読みごたえたっぷりですよねー。駕籠屋とか、おこと煮とか独占ポイントもたくさんあって、つくづく視点が人それぞれなんだなぁ、と思いました。
(はなはなさんの談)
「この際、清太郎さんと別れて、他国へ行って暮すと申しまして……」
るいは改めて長火鉢のむこうの女を眺めた。
障子越しに、もう春を思わせるような明るい陽が部屋の中にこぼれている。
おみやの表情は暗く、疲れ切っていた。
「目籠ことはじめ」より
「目籠ことはじめ」は深く考えさせられるお話でした。おみやはなぜこんなにも思いつめてしまったのか。東吾さんが最初感じたように、計算ずくの献身なら事は単純だったのかもしれませんが、おみやの幼いころからの純粋な思いの強さが、話を複雑に(作劇としては面白く)したのでしょうね。
おみや自身、自分で思い定めたことであっても別れたくなかったのは当然です。名主様の機織場にいても思い乱れたことでしょう。(嶋田伝蔵さんは名主さんとして優秀な方ですよね。意外と好きです)


北窓を開いても麻はもつれて


後半の「麻はもつれて」が、おみやの仕事を絡ませていていいですね。前半の「北窓開く」はすみれさんもお使いでしたが、すみれさんは未来へ向う明るい印象を、一方こちらはまだ迷っている様子をお詠みです。表情や印象が変わって、う〜ん、私も一度「北窓開く」を使ってみたいです。
(こでまり)
「北窓開く」は、すみれ様と競作できて嬉しかったです。宗匠のご指摘どおり使い方がまったく逆ですけど(笑)本当は「嬉しさ」を表現する季語のように思いますが、あえて逆説で使ってしまったのは天邪鬼な私の性格ゆえかも(汗)
(なはなさん)
はなはなさんと同じ季語を使っても、雰囲気が全く違うのも、はいくりんぐの面白味ですよね。
(すみれさん)
北窓開クの季語知りませんでしたいつか使ってみたいです
(ぐりさん)



「何故、そんなことをお考えになりますの」
おみやが顔を上げた。
あきらめ切った、寂しげな微笑が彼女を思いがけず美しくみせた。
「私の役目は、もう終ったのでございます」
「目籠ことはじめ」より
おるいさんとの対比も印象的でした。同じように年上女房なのに(現代では1〜3年の年の差なんて問題でもないと思うのですが)、かたや悩みながらもあきらめきれず長い年月を耐えてあるがままに収まるところに収まり、かたや自ら身を引けるほど愛し過ぎ、男の幸せを完璧にしようとする(独りよがりな価値観なのですが)。

「何故そんなことをお考えになりますの」 このおるいさんの言葉は重いです。
別のお話でおるいさんは付き合い初めの頃「東吾様がお厭きになったらいつでも捨ててくださいまし」と思っていたのに、こうも馴染んでしまった今はとてもそんなことは言い出せない、と独白していました。まして念願かなって夫婦となった今、自分から身を引く・離れ離れになることなど思いもよらない。
しかし、おみやは一人前になった男が親の元に戻ったことでもう自分の役目は終わったと言う。献身または自己犠牲の意味、愛情の重さをおるいさんは自分の身に引き比べて考え込んだ、と思うのです。年上であること、町人になったこと、夫婦同然なのに世間的には日陰の身であること… 悩んだことも今は昔、おみやもつかめるはずのこの幸せをなぜ自ら手離そうとするか。いやそもそも掴んだこの幸せは、本当にそうなってよかった幸せなのか…おみやの思いつめた様子にそんな疑問も浮かんだのではないでしょうか。
一方おみやはその思いの強さのゆえに清太郎の心を計ることができなかったようにも思います。清太郎の幸せは仕事が認められることはもとより、おみやと晴れて夫婦になる、というけじめのつけ様であったのに、それがわからなかった。奉公人の娘という出自に捕われていたとも考えられます。


春なのに心巣食うか何故に鬼


おみやは親の代から井筒屋に世話になっていて、主家に対する報恩の思いは、今の私たちからは想像できないほどかもしれません。それに加えて、親代わりとなって育ててもらった二年間は、その後のおみやの人生の支えとなるような、温かな思い出なのでしょう。
方月館での再会は、おみやにとって辛いものとなりました。身を引くことしか見えていないのは、少し物憂い春のせいなのでしょうか。
(こでまり)
はなはなさんが、おみやを「独りよがりの価値観」としながらも、その心情に寄りそい、東吾・るいと比べながら考察されているのは、とても読みごたえがありました。おるいさんの今の幸せも、長い年月をかけて得たものですよね。そして何よりも「かわせみ」というものがあったから・・・おみやにも、嘉助やお吉のような存在があれば、あれほどかたくなにならずにすんだでしょうね。
(たまこさん)



おみやにとって井筒屋で過ごした8歳までの日々は愛知に満ちた輝かしいものだったのでしょうね。その中心に清太郎がいたのでしょう。おみやを長きにわたって支配する、まるで王のような清太郎。2人が出会った頃のおみやの震えるような幸福を描きたいと思いました。


時超えて愛ふたたびの春の王





揚雲雀は、自分の巣を守るために巣から離れたところから高く舞い上がりさえずるのだそうですね。清太郎が職人として大成しようと努力したり、東吾が講武所や軍艦操練所で活躍したり、おるいさんがかわせみを経営したり… それは大切な人を守るためでもあるのでしょう。おみやにはもしかしたらそれが判らなかったのかも。かたくなだった心が融けて本当によかった、と思います。


さえずりも大地ありてのあげひばり





「女は好きな人のためなら、自分を捨てることが出来ますもの」
「冗談じゃねえ。それじゃ男の立つ瀬がないだろう」
居間の炬燵にさしむかいで、東吾は酒の燗をみているるいをしみじみ眺めた。
「なんのかんのといったって、結局、男がしっかりしてなけりゃ、女を泣かすことになるんだな」
「目籠ことはじめ」より
このお話が、「秘曲」の直前に置かれているのも意味が深いように思います。「秘曲」「菜の花月夜」での麻太郎の存在に気がついた東吾のうろたえぶりは、普段の 東吾からは思いもよらないほど極端ですが、「目籠ことはじめ」のラストシーンではおるいさんとのおおらかな夫婦ぶりを見せてい ます。嵐の前の静けさとも言いましょうか。
「秘曲」のあとの「菜の花月夜」も以前にお題になって東吾・るいの夫婦の絆を再確認したお話でした。心にくい並べ方だからこそ、かわせみ大河は魅力的なのですね。


たゆとうてまた流れゆく春の河


ぐりさんも、続けて読み通してしまったと仰っていますが、確かに「嵐の前の」的な配置ですね。この辺のお話は気になるものばかりです。明治の「かわせみ」から振り返ると、まだまだ川も上流と言えそうですね。
(こでまり)
五句の御作も、どれも素敵で何度も拝見しました。しいて選ぶと「たゆとうてまた・・・」が好きかな〜〜物語とも、人生そのものとも思える河ですよね。
(たまこさん)



  こでまりの五七五 

大好きなお話でしたが、詠みにくかったです〜。何でだろう?一見シンプルな筋立てのようですが、なかなか奥深いお話だと思いました。今回登場した女性たちはみんなステキな人でしたね。おみやは一途で可愛いし(一途すぎて少々暴走気味)、おえいは正直で優しいですよね。それから懐疑的な東吾さんに対し、おとせさんはいつになく意見してくれるし。そんなこともあって、読後感が爽やかなんだろうと思いました。
お人形句がすでに立夏のお句になったのに(管理人さん、おめでとうございます)、まったくお恥ずかしい次第ですが、ようやく「目籠ことはじめ」をUPさせていただきました。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。欠席届をお出しくださった方には、「こんなことなら出せたのに〜」と思われていそうです。申し訳ありません。
幸い寒々としたお話ではなかったので、今から読んでも大丈夫!(←開き直った!) どうぞ皆様、お楽しみくださいませ♪
(こでまりの談)

江戸時代のお百姓さんて、年貢に苦しめられているだけのように思いますが、物を作って収穫することって、やっぱり楽しみやワクワク感があったろうと思います。春になり、雪が消えた田んぼの土をおこしたりならしたりして水を引き込むと、朝晩はそこに空や山が映ってとてもきれいで、農作業をしない私でもいよいよだという気持ちになります。


春耕やいざ田に出でんこと八日


こでまりさんの「こと八日」は、千姫さんとのコラボのようで楽しいですね。
(たまこさん)



このあたりは江戸といっても百姓地が多いので、そういったのどかないい伝えや風習が残っているのかと、東吾は久しぶりに肩の力がほぐれたような気分になって、松浦方斎の居間へ挨拶に行った。
「目籠ことはじめ」より
本当に楽しい風習ですよね。東吾さんの肩に力が入っているのは、きっと今の大河(八重の桜)のような状況に向いつつあったからだろうな〜と思います。


のどかさや麻布の鬼の言い伝へ


現場検証でご紹介したサイトの、昭和30年代頃の竜土町の都電沿線あたりの写真は、本当にどこの田舎かと思われるようなのどかな風景です。麻布六本木が今のようになったのは、ごく最近なんですよね〜
(たまこさん)



どこかで梅の香がすると思ったら、庭に紅梅の樹があった。その根本に太い青竹が何本も積み重ねられている。
南に向いた家の広い縁側で、若い男が竹を編んでいた。細く裂いた竹がまるで柔かな藁のように男の手の中で自由に曲げられ、組み上げられて行く。
「目籠ことはじめ」より
こちらには小説にもなった「越前竹人形」というものがあり、作家が作っているのを見学できる所もあります。そこへ竹を細く割いたり細工していたのを見に行ったことを思い出しました。


縁側に青竹の香と梅の香と


「梅と青竹」も、詠みたくて詠めなかった所でした。
(たまこさん)



「どうも、おみやさんは、清太郎の両親に会うのをきまり悪がって、ここへも来たがらなかったんだが、わたしが無理に連れて来ました」
  (略)
その夜は、方月館で心ばかりの祝宴をし、清太郎は両親と共に方月館へ泊めてもらい、おみやだけは家の後片付があるからと伝蔵に送られて北日ケ窪へ帰った。
「目籠ことはじめ」より
おみやは方月館で井筒屋夫婦に会うまでは、もしかしたら自分を思い出してくれるのではないかという淡い期待を、打ち消しながらも持っていたと思うのです。でもやっぱりそんなことはなかった……、それどころか、客観的な自分の立場を再確認してしまった。一人で帰る道、悲しかったでしょうね。
清太郎を井筒屋の跡取りにするという望みを持って暮した「北日ケ窪」。北だし窪だし、好いた男をいつまでも日蔭の身にはさせておかないと願うおみやが暮す場所としては、ぴったりの地名だなあと思い、詠んでみたかったのです。


余寒なほ北日ケ窪の帰り道


今回のお話の舞台、宗匠も「気になっていた場所」と言われていましたが、もしかして前々からホリエモン出所記念、いやいや六本木ヒルズオープン10周年記念を狙っての出題?「北日ヶ窪」の町名を詠み込んだ作品は「やられた〜」と思いました。
(たまこさん)



井筒屋へ清太郎の嫁として迎えられたことよりも、もしかしたら井筒屋夫婦に昔と変わらぬ愛情で迎えられたことのほうが、おみやにとっては大きな喜びだったのではないかと思います。


春の月晴れて親子となりし身に


「嫁としてよりも親子として迎えられた喜び」というのは目からウロコの視点でした。おみやが頑なだったのは孤独感からだったのかな、と思いました。
(はなはなさん)
はなはなさまに同じく、こでまりさまの「嫁としてよりも親子として迎えられた喜び」に、目からウロコでした。
(麦わらぼうしさん)