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  菜の花月夜
新装版「秘曲」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
思いがけない大雪となった2月の初めでしたが、立春を過ぎてから急に暖かくなり、大きかった雪のかたまりも見る見る融けていきました。それに比べ時期が重なった九州の火山灰被害は大変なことと思います。自然の力には抗えないものの、その分、人と人の支えあいも広がっているのではないかと思いつつ、一日も早い終息を願うばかりです。

・・・という書きはじめで今季のお題を紹介した翌月、誰もが予想もしなかったマグニチュード9という大地震・大津波・原発事故が、東北・関東地方を襲いました。後に「東日本大震災」と名付けられたことでもわかるように、被災地は東日本全体に広がる未曾有の大災害となり、震災から1ヶ月が過ぎた今でも、被害の全体像がわからないほどです。
被災された方に、心からお見舞い申し上げます。

今季の投句については、なかなか本を読む気持ちになれないと
いうのが、皆さんの正直な気持ちだったと思います。そんな中、掲示板を中心に交わされた「自分の輪を回そう」をきっかけに、非常時の中でも自分らしい生活を心がけつつ、出来る方は拙宅にもご参加くださったことに深く感謝いたします。

今季選んだ「菜の花月夜」は、忘れられない中期の名作ですね。
さあ、今季はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成二十三年春)

今季のお題、頑張ろうと思ったのですが、
公私ともにバタバタして、できそうにありません。
今季はお休みさせてくださいませ。
皆勤賞を狙ってたんだけどなぁ〜(笑)。
また、明るく投稿できる日が来ますように…。
(浅黄裏さん)



  麦わらぼうしさんの五七五 

今回の大震災は、本当に、あまりに被害が大きすぎて、言葉になりません。でも掲示板でみなさまの無事のお言葉を拝見できてほっとしています。
こんな時にお題を送るのは不謹慎かなとも思ったのですが、掲示板でたまこさまが“「自分の日常」というものをしっかり回していかなければならない”と書かれているし、なんでも自粛自粛はかえってよくないなと思い、送る事にしました。(実は、今季はめずらしく早く出来て、先週には週末ぐらいに送ろうかなと思っていたのです)
よそに自分の子がいるのではと悩む夫、自分に子供が出来なくて夫にすまないと思う妻、自分の子供を置き去りにする若妻…子供をめぐるいろんな人間模様。そして嫁姑問題やちょっと頼りない若ダンナなど今でもよく聞く話も出てきて、時代は変わっても人間はそんなに変わらないんだなと思いました。
(麦わらぼうしさんの談)

神林家では通之進は病身だが、東吾のほうは病気知らずの男盛りであった。自分のような年上の女ではなく、もっと若い娘だったら、或いは東吾の子を。
「お嬢さん、どこかで赤ん坊が泣いていませんか」
お吉にいわれて、るいは我にかえった。
「菜の花月夜」より
おかよにとって、子供を置き去りにする場所はどこでもよかったのだと思いますが、るいさんが子供について強く想い悩んでいたために、思念波がおかよ母子を呼び寄せた…と、アニメ的な妄想をしてしまいました(^_^;)


かけめぐる想いが赤子引き寄せる


るいさんが深く思い悩んでいたように、おかよもおこうを捨てることだけをひたすら思いつめていたようなので、互いの思いが引き合ったという見方はありえそうですね。
ところで「思念波」って、アニメファンの間ではよく使う言葉なんですか?
(こでまり)



いつもなら、つきっきりで酒の酌から、魚の骨まで取ってくれて、飯だ、茶だと面倒をみてくれたるいが、赤ん坊が泣けば飯の最中でも、ついと行ってしまって、暫くは戻って来ない。
  (略)
不愍なのはこっちだ、といいたいのを東吾が我慢しているところへ、長助がいささか疲れた様子で毎日の報告に来た。
「菜の花月夜」より
妻にこんなにもあれこれ世話を焼いてもらう夫を私はいやだ、いえ、私は好き、とか以前にも話題になりましたよね。(ちなみに私はダメ派です)
赤ちゃんにかかりきりのるいさんに相手にしてもらえない東吾さん、赤ちゃんに嫉妬?(当時は数え年だから本当は二歳ですが、私的に満年齢の零歳児の方がしっくりくるので)


妻の愛競う相手は零歳児


むふふ、ココは私も詠みましたよ〜。東吾さんって、可愛いわねえと、草もちを食べながら思うのでありました。
(こでまり)



偶然立ち寄った茶店。でも実はおこうの思念波(←また思念波…(^_^;))が東吾さんたちを引き寄せたような気がしました。(私の家はこの近く、早くたどり着いて!)と。草餅は長助の手を借りて、おこうが買わせたのかも…で、長助も、かわせみに行った時に、「おこうの家を探してる時に、なりゆきで買っちまいまして、赤子の世話でお疲れでございましょうから、これでも食べてくだせえ」なんて言って渡したりして。


草餅やおこうからの保育料





「心当たりがあるなら、大川端まで来てくれ」
東吾の言葉に、庄太郎がいった。
「手前が参りますについては、親達におかよがなにをしでかしたかを話さねばなりません。そうなりますと、ことが大きくなりますので……」
「菜の花月夜」より
おかよはもちろん悪いのですが、この時代ですので介護、育児を嫁がするのは当然としても、このダンナ、「いつもすまないね」とか、言葉や態度でおかよをいたわる心があれば、おかよがあんな行動をとることもなかったかもしれません。娘を自ら迎えに行こうとしないダンナですから、そういう事は期待できなさそうですね。


つつみこむ羽が薄くて巣が凍る


そうそう、この人は親や亭主としては薄情そうに見えるのですが、武家や岡っ引を相手に、咄嗟にこんな判断をするなんて、庄屋としては案外優秀なのかなとも思いました。
(こでまり)



菜の花畑はおこうら、この辺りの子供たちを見守る地蔵とか鬼子母神のような存在なのではないかと思いました。いい事も悪い事も、いつも黙って見守っている。


育ちゆく雛を見守る菜の花よ





  すみれさんの五七五 

本当に大変な大災害と原発への恐怖という、時代に直面してしまいました。ここら辺は、直接の被害は無いけれど、じわじわと間接的に、おこってくるのでしょうね。(長期間にわたって) 私的にこの時期の諸事情と、今回の大災害、なかなかかわせみモードに入って行けませんでした。宗匠へ、今季の締め切りの延期を、申し入れをしようか・・・と、掲示板を見たら・・・ 麦さまの投句の書き込みが・・・(汗)言い訳にしてる自分がとても恥ずかしいです。形だけ五七五になりましたので、お受け取り下さいませ。
ついに、東吾さんが、るいさんに決して言えない隠し事があらわになってきました。東吾さんにとって、まさかまさかの天変地異(この現世の大災害を思うにつけ心が痛みます) これまで、お日様ばかり浴びていた東吾さんにとって、この苦悩が、彼をどう成熟した人間へと導いて行くのかが興味深いです。
(すみれさんの談)

ほとんど、一刻おきに貰い乳だ、重湯だと走り廻り、赤ん坊が寝ている間にはお襁褓の洗濯であった。
流石に疲れるのだろう、夜になって布団に入ると、すぐねむってしまう。そのくせ、ちょっと赤ん坊がむずかると、ぱっと目をさまして、起き上って行く。
「菜の花月夜」より
子供が授からないこの二人に捨て子の登場で、るいさんが、母性をかきたてられる場面がいじらしいです。


母ごころ有無も育児は待ったなし


毎年すみれさん宅に間借りに来るツバメの子育てを思い出してしまいました。
(こでまり)



「親になるのは誰でも大変なものですよ。しかし、いい子にしてやりたいと思う気持があれば、大抵のことはうまく行くものですがね」
なるべく、気持をゆったり持って赤ん坊の世話をして下さいといい、夜泣きがひどかった時には、湯に入れる時には、などと、細かな注意をしてくれた。
「菜の花月夜」より
宗太郎さんという良き相談相手がいてくれて、助けられますね。昔も今もカウンセラーを必要とする人は絶えることはありません。


春愁や聞いて応えて見守りて


このお句は、東吾さんにとってか、るいさんにとってのことなのかと迷いましたが、どちらにとってもいいなと思いました。一家に一人、宗太郎さんみたいなホームドクター&カウンセラーがいてくれるといいですね。
(こでまり)



東吾さんが、るいさんを黄色に染まった菜の花畑へと連れて行くところは、彼の真骨頂発揮で、世話をしてもらえない・・・などど、ぶつぶつ文句を言っていたことも、許してあげたくなります。
人を襲うのも自然の現象、綺麗な花や景色で癒してくれるのも自然・・・畏れを忘れてはいけないのですね。


菜の花や眠り児の香の川向こう





  はなはなさんの五七五 

事件といえば事件ですが、前の「秘曲」から麻太郎問題を引きずって、少々見苦しい東吾さん(私って東吾さんに厳しすぎ?・笑)と 深刻に不妊を悩んでいるおるいさんに、人騒がせな幼い母が絡んで季節感もあって巧みなお話だなぁ、と思いました。私は「子供」にそれほど思いをかけたことはありませんがおるいさんの切ない気持ちと、それに応えた最後の東吾さんの女房孝行が印象的でした。
(はなはなさんの談)

帳場にすわり込んで、るいはすっかり緑の濃くなった柳の下枝を、みるともなしに眺めていた。
空気がなま温かく、睡気を誘うような午下りである。
「菜の花月夜」より
おるいさんが帳場にいるのはめずらしいなぁ、と思ったら嘉助さんが髪結に行っていたんですね。春先、雨が降ってもぼかぼかとした生ぬるいような空気のなかで 東吾さんの行動に何かを感じて、それが子供を持てない悩みに繋がって針のような雨が心に刺さるような、切ない昼下がりでした。


見つめゐる青やなぎ刺す針の雨





女の子でよかった、というのが、東吾の気持であった。これが、男の赤ん坊だったら、つい、麻太郎と重なってしまって、到底、平静ではいられないだろうと思う。
「菜の花月夜」より
その東吾さんは、秘密を自分だけの胸にしまっておけなくてさっそく宗太郎さんに相談に行ったり、おきざりにされた哀れなおこうに麻太郎を重ねてみたり。挙句の果てに、おるいさんに放っておかれて拗ねてみたり。ちょっと情けないですな(笑) モテ男・東吾さんも、このあたりから「三爺」に足を踏み入れたのかも(爆)
4月は「花月」ともいうそうで、例の貝合わせ・お能「花月」に通じるのでぜひ使ってみたいと思いました。


うろたえて面影うつす花月の子





おかよはまさに「子供が子どもを生んだ」、母になりきれてなかったんですね。嫁姑問題もあってだんな様ともあんまり睦まじくなかったのかも。おるいさんは産めなくて悩み、おかよは産んで悩み、女は「母」であればいいのか、「女」であればいいのか、私はおるいさんほど「女」にもなれず、また「母」にもなれず、このまま行くのですが。


子に惑う母なるゆゑに女ゆゑに





「大丈夫でございます。これでも、女のはしくれでございますもの」
いつものるいらしくない言い方に、源三郎は、はっとしたようだったが、すぐに真面目な表情で、
「では、とりあえず、お願い申します」
母親の年頃や人相などを嘉助に聞いて、まだ降り続いている雨の中を帰って行った。
「菜の花月夜」より
源さんファンは感激したのではないでしょうか。このお話の源さんの心遣いはさすがですね♪源さんがおるいさんの気持ちをぱっと察して黙るのもいいですよね。
お千絵さんがすぐ応援に駆けつけるのも、この夫婦ならではの息の合ったところ。たまこさまと千姫さまにプレゼント♪


はっとして気遣い巡らす巻羽織


キッとなったるいさんの目に、源さんが「はっとした」様子は見えていたのでしょうか。るいさんがそんな自分を出せるのも、相手が兄のような源さんだからでしょうね。
(こでまり)



「昨日、長助と、この先を通ったんだ。あんまり見事なんで、るいに見せてやりたくなったのさ」
江戸もここまで来ると閑静だろう、という東吾を、るいは涙の滲んだ目で仰いだ。
「菜の花月夜」より
最後のシーンは、幻想的でステキですね。子供なんていなくても良いではありませんか、と思わずふたりに言ってあげたくなりました。


ただあなたさえいれば菜の花の海


花の中を歩きながら、きっと二人とも、お句のような気持だったでしょう。
(こでまり)



  たまこさんの五七五 

「見知らぬ若い女が宿屋に赤ん坊を置いて失踪する」という突然の椿事だけでも、読者は興味をひかれますが、それを巡るかわせみレギュラー陣それぞれの心理や行動が、実にきめ細かく生き生きと描かれていることに、読むたび感嘆します。これは「秘曲」の直後のお話でもあり、「親と子」の問題が全体の大きなテーマになっているんですね。源さんとお千絵さんがそれぞれに登場するのも、畝家ファンには嬉しい所です。
(たまこさんの談)

もし、自分の子が誕生したら、どんなに喜ぶだろう。
  (略)
ぼんやり考えていて、るいは、はっとした。
武家の場合、本妻に子が出来ない時は、妻が自ら、適当な女を探して、妾として夫に勧めるという話を思い出したからである。
「菜の花月夜」より
忍ぶ仲だった頃のおるいさんは、悩んでも仕方ないことはなるべく考えないようにしようとしていたふしがありますが、めでたく夫婦になってから、却っていろいろ物思いにふけるようになったようで・・・


春泥のごとく思いは結ぼれて





源三郎から聞いたといい、風呂敷包にして来たお襁褓だの小さな下着や着物を取り出した。
「源太郎が赤ん坊の時のものですけれど、この際、男も女もありませんでしょう」
  (略)
小座敷に布団を敷かせ、これも持参の小さな枕をちょこんとおいて、赤ん坊を寝かしつける。
「菜の花月夜」より
確かにおむつや着るものは誰でも思いつくけれど、小さな枕まで持ってきたのは 「さすが〜」という所でしょうか。もっとも、空気の読めないおたま姐さんなどがいたら「赤ん坊に枕なんか不要でござんすよ。おむつを重ねて置いときゃ用が足ります」とか言ってたかもしれませんが、たいした事じゃなくっても、一度も経験した事がないと、すごい事に見えるというのは、子育てに限らないと思います。


小枕で差を見せつける経験者


う〜ん、この独占ポイントはやられました。確かにコメントの通りですね。っていうか、次のお句も含めて、面白すぎます!
(こでまり)



小枕と源太郎の衣類、しっかり者のお千絵さんは、お千代ちゃんが生まれる時にはまた取り返して行ったに違いありません(笑) でも、次男だとばかり思っていて女の子の物は用意しなかったのでおるいさんが、いろいろ縫っては畝家に持っていったとありますが (「穴八幡の虫封じ」)、おるいさんとしては、ちょっぴりこの時の意趣返しもあったかも(^^ゞ


すみませんまた使うのでと取り返し





気が抜けたようなるいを、東吾は黙って眺めていた。
こんな時、下手なことをいっても仕方がないと承知している。
間のびがしてしまったような、その夜の「かわせみ」であった。
「菜の花月夜」より
「こんな時、下手なことをいっても・・・」の文の次にすぐ翌日の話になっても、物語的には全然問題ないのですが、2行だけ、その日の夜の描写があるのが、すごく効いていると思いました。結局母子とも無事だった訳だし、久々に東吾さんとおるいさん、のんびりゆっくり過ごせる嬉しい夜のはずなのにね〜


春闇に刻む時間の長さかな


何か感慨深い、大人な2行だわ〜。
(こでまり)



久しぶりにバッチリ「季語タイトル」お題だったのですが、「菜の花月夜」ってそのまま使うの難しいんですよね〜〜「月夜」は切り離すと秋の季語になってしまいますしね。菜の花も月も使わずにやってみようかと思ったツムジ曲がりでした。


金色のひかり天地に宵の春


天には月、地には菜の花の金色が光る春の夜。狙いがバッチリ成功してますな。
(こでまり)



【おたま姐さんのブラたまこ】 今季も、長編・大作の現場検証が皆さんを待っていました〜〜。今回は荒川と越前の意外な関係が紹介されていて、福井県民としては興味津々です。
また、「江戸東京散歩」をたどりながら菜の花の場所を確認していたのですが、姐さんの解説により、「下木下川村」の白髭神社に気づくことができました。遠いと思っていたんですよ。納得しました。
さあ、皆さんもこちらからどうぞ!



  あっちの管理人さんの五七五 

またいつもの如く締切りぎりぎりになってしまいました。読み返したのは早い時だったのですが、のんびりしている間に、あの大地震が起り、ばたばたと日が過ぎて行きました。被災された皆さんを思えば、私たちの今の現状など小さなことですが、やはり日常とは違う状況にうろたえてもいます。2週間が過ぎて、突然鳴り出す「緊急地震速報」の数も減り、少し落着いてきたように、少しずつ日常が戻りつつあります。
(あっちの管理人さんの談)

るいさんがぼんやり柳の根方を濡らす雨を眺める冒頭のシーン。私も雨を眺めるのが大好きなので、是非詠みたいと思ったのですがこれがなかなか難しかったです。


待ち人の柳を揺らす春雨かな


ひと月以上経つのに、未だに大きな余震が続きますね。管理人さんにも、優しい春雨を眺める穏やかな日が、早く戻ってほしいです。
(こでまり)



「赤ちゃんの名は、おこうちゃんだったねえ」
茶店の老爺が、長助にいった。
「お客さん、庄屋さんの知り合いかね」
「昔、世話になってね、おかげで深川で店を出せるようになったんで、ちょいと礼旁、挨拶に行くんだが、ここらあたりは久しぶりに来ると、まるっきり見当がつかなくなっちまって……」
「菜の花月夜」より
子供を捨てた母親の行方を探す長助親分と東吾さん。あてのない聞き込みを黙々と続ける姿に岡っ引の意地と人情を見た思いがします。


だてじゃない世間話に端緒あり


役人風を吹かせて聞き出すわけでなく、相手の立場も考えての聞き込みテクニックはさすがですね。
(こでまり)



「おい、なにを考えている」
東吾に顔をのぞかれて、るいは明るく微笑んだ。
「あんまり、花の香がするので、少し酔ったみたい」
「菜の花月夜」より
そして一番の競作ポイントはなんといってもラストシーンの菜の花畑。るいさんに甘い東吾さんの真骨頂というところでしょうか。一面の菜の花畑、ぽっかり浮ぶ月とくれば、二人並んで(勿論東吾さんがるいさんの手を引いて)歩いて行く後姿が脳内劇場にしっかりと浮んで来ます。


菜の花や月もおぼろに夫婦影





  茜雲さんの五七五 

本当に久々の提出になります。
正直ここしばらく眠りも浅く気持ちの晴れない日が続きましたが、こうして五七五を考えることで少し落ち着く事が出来ました。
明日から4月。気持ちを入れ替えて頑張りましょう。
(茜雲さんの談)

「きれいだろう」
息を呑んでみつめているるいに、東吾がいささか得意そうにいった。
  (略)
荒川に背を向けて、菜の花畑を歩いて行く二人を、淡い夕月が眺めていた。
「菜の花月夜」より
好きな絵本の中に「なのはなおつきさん」という本があります。落ちていた菜の花を投げたら落ちてこなくて泣いてたらおつきさんになって出てきたというものです。
菜の花の花言葉の一つが「小さな幸せ」なんだそうです。最後の場面にぴったりのような気がしました。


菜の花の色が移りし月夜空


菜の花の花言葉、花の様子にピッタリですね。小さくてもいいから、多くの人に届いてほしいという気持ちになりますね。
(こでまり)



宗太郎が診てくれたことで、るいはいくらか度胸がついて、ぴいぴい泣かれても慌てなくなったが、東吾のほうは面白くなかった。
  (略)
夜は夜で、疲れ切っているのをみれば、流石に声もかけにくく、独身時代、兄の屋敷で膝小僧を抱いて寝ていたのを思い出すような日々であった。
「菜の花月夜」より
この場面東吾さんのそれらしい一面だとおもうので詠みたかったのですが五七五ではうまく作れず残念。


赤ちゃんと張り合えぬ夜の次男坊(膝を抱えて寝る春の夜)


ホント、17文字にするのは難しいですよね。でもこの「次男坊」がよく効いていると思います。
(こでまり)



おるいさんの微妙な心持ちに気付きながら知らぬふりする源さんと東吾さん。こういうところがかわせみ男性陣の良いところかも。


女心優しく包む薄霞





  ぐりさんの五七五 

震災にあわれた方で私にとってとても気になることは病気を持っている人たちのことです 薬は手に入るのか 診察はしてもらえるのかなど 長い避難所暮らしは体調も崩されないだろうかと気にはなっても 募金することしかできませんが 今までよりも無駄にしてはいけないと か思ってしまいますね
でも西が元気にならないといけないですよね
今回のお話は秘曲から東吾さんの心情が続き麻太郎君登場と東吾さんの苦悩が始まる 大事なお話ですね
源さんは麻太郎君が東吾さんの子であることを知ることがあったでしょうか 情に厚い源さんですからたとえ気がつくことがあっても口には出さなかったかもとも思えます 相談したのが源さんでも宗太郎さんのようにうまく言えなくても同じようなことを 言ってくれたと思いますね あ〜3人三様にファンでありますけど
(ぐりさんの談)

つい、四、五日前も少し酔った顔で帰って来て、嬉しそうな声で話していた東吾を、るいは思い出していた。
  (略)
この家に子供がないからだと、るいは寂しかった。
「菜の花月夜」より
足しげく宗太郎さんのところへ行く東吾さん行ってもなかなか言い出せずにいたで しょうね そんな東吾さんはちょっと心ここにあらずのようなところがあったかもしれないですね るいさんはそんな東吾さんに何か感じるものがあったでしょうか?


虚ろなる 心模様に 花菜雨


なるほど、いつもの東吾さんなら、るいさんの心に先に気づくはずですよね。そこを見逃すくらいだから、こちらもかなり「虚ろ」だったわけですね。ぐりさん、鋭い。
(こでまり)



その夜も、東吾は女房から、ほったらかしにされた。
文句のいいようもないので、黙って眺めていると、一日が経って、るいの赤ん坊を抱く手つきも多少、馴れて来たようだが、昼間、貰い乳と重湯と半々で過したという赤ん坊は、相変らず腹が空けば泣き、お襁褓がぬれたと泣いている。
「菜の花月夜」より
春になって炬燵もとって東吾さんも炬燵に不貞寝するわけにもいかず なんか身の置き所もない不満


炬燵とる 妻は赤子に 捕られたり


確かに、炬燵がなくなると何となく横になりにくい感じがしますね。その所在ない感じと、ぶつけ所のない不満の取り合わせが面白いです。
(こでまり)



いつのお話だったか東吾さんが鮎の骨まで取ってもらうことを甘えすぎみたいなこと を書いていらっしゃった気がしますが
うふふーー


鮎の骨 やんちゃ亭主は 値打ち下げ





寄り添って、菜の花畑の続く対岸をみつめながら、るいはその先に、おそらく、おかよの嫁ぎ先があるのだろうと気がついていた。
  (略)
どんな親であれ、親の手に戻った赤ん坊はそれなりに幸せだと思う。
「菜の花月夜」より
気の抜けたようになってしまったるいさん夢中で世話をしたんでしょうね 東吾さんちゃんと心へていますね


菜の花や 土手までつづき 手の篤さ



菜の花の 先にいるやや 幸祈り





  紫陽花さんの五七五 

絵のオマケは簡単で文章のオマケは変ですがよろしくお願いします。
本当にぎりぎりになってしまいました。すみません。
(紫陽花さんの談)

「気に入ったか」
「ありがとう存じます」
ふっと目のすみを指で押えたるいに、東吾は苦笑した。
「よせやい、菜の花ぐらいで礼をいうなよ」
「菜の花月夜」より


菜の花に涙ぐむ君いとおしく






宿に飾ろうとまだ二分咲きといった菜の花を数本貰い帰宅すると宿は到着したばかりの常連客が玄関を賑やかしていた。

るいは菜の花をお吉に
「お願いね」
と言って渡すと宿屋の仕事を楽しげにこなした。

一息ついた頃夕食をいただこうとお膳を見ると菜の花のおひたしがある。
今日は菜の花の一日だわと菜の花畑の風景をうれしく思い出したがおひたしの苦味にふといやな感じがし、まさかと玄関を見に行くと菜の花は飾られていない。

居間に戻るとお吉を呼び
「この菜の花のおひたしは」
と言いかけると
「そうなんですよ。お嬢さん。苦味が強いでしょう。
菜の花はね、蕾がぎゅっと小さくないといけないんですよ。お嬢さんがお持ちになった菜の花はもう花が咲き始めていたでしょう。ああなると味も落ちるしあくぬきしても苦味が強くなるんですよ。
今度からはまだ咲いていないのをおねがいしますね」

言い放ったお吉にるいは黙り込み、東吾は横で大笑いした。

「あの月夜の菜の花」by紫陽花さん


菜の花のおひたし苦く春はゆく


もう、どうしましょう、この面白さ!
一句目は東吾さんの思いが素朴な菜の花の風情とよく響き合って、純粋に「いいなあ」と思いましたが、これって二句目の伏線だったのね。
それにこのスピンオフ話、もうどうしましょう!(ちなみにイラストのお皿の中味は、おひたしではなく草餅だそうです)
(こでまり)



  こでまりの五七五 

昔読んだ時から、いいお話なのに何となく読みきれていないような気がしていました。今回はもう少し読み込めるかと思ったのですが、自分の句を振り返ると相変らずの解釈の狭さに、ガッカリします。もちろん、全部を詠めるなんて思ってもいませんが。
通勤途中に、毎年菜の花が咲く河原があります。今年ももう少しで満開になりそうで、楽しみです。
(こでまりの談)

針のように細い春の雨が「かわせみ」の暖簾越しにみえる柳の根元を濡らしていた。
「菜の花月夜」より
葉が生い茂る前の柳の淡い緑色、大好きです。


春の雨柳にからむ午下り





ここは、意外な競作ポイントでしたねっ!
自分もよその子たちに会いにせっせと出かけているのに、それとこれとは別なんでしょうね。「ほったらかしにされた」と何度も書かれるたびに、それが東吾さんの不愍さよりもお子ちゃまぶりを増しているようで、笑えます。


不愍さを赤子と張り合ふ春の宵





「実は五日ほど前にやって来まして、婚家のほうから、少しばかり骨休みをして来いといわれたと申します。うちの奴が、赤ん坊はどうしたのかと訊きますと、乳母がついているので心配ないといいまして……」
それはいいとしても、二階で一日中、ごろごろしていて、店の手伝いはおろか、上げ膳、据え膳で飯の仕度もしない。
「菜の花月夜」より
おかよは本当にイヤになっちゃったんでしょうね。「かわせみ」にたどり着くまで、とにかく捨てることだけを考えていたみたいだし。兄の家に着いた日には、まるで濡れた着物を着替えるみたいに、サッパリとした気分でよく眠ったのではないかと思います。
「かわせみ」や兄の家での言い訳を読むと、頭は回るようなので、今後年を重ねながら、庄屋の奥さんにふさわしい人になってくれたらと思います。


脱ぎ捨てる濡れし衣や春の夜





荒川の流れが目の前にある。
川のむこうは、まっ黄色の花で埋まっていた。どこまでも、菜の花だけが長く広く続いている。
「菜の花月夜」より
ここは素敵な場面でしたね。もちろん今回一番の競作ポイントでしたが、東吾さんの思いやりや、おこうちゃんのこれからの幸せを願うお句に、被災された方への思いも重なっているようで、心が温かくなりました。


夫と見る荒川越へて花菜風



幸願ふ菜の花堤ほど長く





  千姫さんの五七五 

菜の花月夜では、珍しく東吾の子供が生めないるいの心の屈折が何度も出てきます。時代が違うというとそれまでですが、子供のない私が、理解が出来るようで出来ないような。
最後には東吾の思いやりで、ふっきれたみたいでほっとしました。
(千姫さんの談)

子供が欲しくて欲しくて堪らない時、何を見てもお願いしたい気持ちになるのだろうかと考えてみました。
朧月って、もやっとしていて頼りない気がするけれど、るいの気持ちの代弁のようで良いかなーと。千春ちゃんが生れて来る事をそっと教えてあげたいなぁ。


子宝をどこに願うか朧月





白髭大明神の境内のふちを行くと、見渡す限り菜の花畑であった。
花の中を、東吾はるいの手をひいて万福寺へ出た。
「菜の花月夜」より
物語の最初の頃は、普段、人の気持ちをよく読める東吾にしては珍しい行動でしたが、子供は授かりもの、子供がいてもいなくてもるいを愛する気持ちは変らない東吾にとって当たり前の普段の行動だったのですね。でも、事件がきっかけでるいの気持ちに気づいてくれて 良かった♪
さりげない気遣いは東吾らしくていいですね。


菜の花や妻と見ている里の春


菜の花だけでなく「里の春」としたことで、最後のるいさんの落着いた心までが表現されているみたいで、ホッとします。
(こでまり)



赤ん坊は吉次郎が抱き、長助にうながされて早々に兄妹は「かわせみ」を出て行った。
  (略)
赤ん坊の泣き声は、もう、どこからも聞えて来ない。
「菜の花月夜」より
無事、一件落着したものの、子供の泣き声って何故か脳裏に残りますよね。
姪がまだ赤ちゃんだった頃、家で預かっていた時がありました。お風呂に入っている間に、蛇口から出る水の音が泣き声に聞こえるような、消されるような。子供の世話をするのが大好きなるいの事、しばらくはこんな状態かな。


春雨や赤子泣く声耳澄ます


このコメント、実感があってお句の味わいが深くなります。本文には「聞えてこない」とあるけれど、るいさんの心は、このお句の通りなんでしょうね。
(こでまり)