「白萩屋敷の月」で通之進さんが香月さんに、贈ったのは「伊勢の御」の歌集でした。
ところで「伊勢の御」って、何?
そう思っていたら、ご常連ののばらさんが、こんなに詳しくお調べ下さいました。



伊勢の御について




『田辺聖子の小倉百人一首』 田辺聖子 角川文庫より

お話の中に出て来た、「伊勢の御」についてのことです。
百人一首のことを知らないおじさんと青年に田辺さんが説明していく・・・という形で歌人、歌の背景、当時の世相、生活習慣についても、興味深いエピソードを交えて書かれていてとてもわかりやすいです。
わたしのようによく知らない者も親しみを持って百人一首が読めます。


 
王朝の女流歌人で、恋に生き、歌に生きた人、というと、小野小町や和泉式部がまず思い浮かぶが、この伊勢も、それに劣らぬ、ドラマチックな人生を生きた才媛であった。
ただ彼女の歌は、才気があるあまりに技巧的で、それが現代的嗜好からやや逸れ、小町や和泉式部のように受け入れられにくいところがある。(中略)
はじめ宇多天皇之中宮温子に仕えていた。伊勢は美しく魅力的で、才たけ気立てもよかったので言い寄る男は多かった。
『田辺聖子の小倉百人一首』 田辺聖子 角川文庫(99頁)より

伊勢は時の権力者、藤原基経の次男、権門の貴公子、藤原仲平と恋に落ちた。伊勢は受領(地方長官)の娘、随分身分違いな恋だったようである。
しだいに出世した仲平はやがて大臣の娘と結婚、傷ついた伊勢はお仕えする中宮のもとを離れそのころ父が赴任していた大和へ去る。その間にも美しい伊勢に言い寄る者もいた。
一年ほどして中宮からのお招きもあり、父にも勧められ伊勢も人交わりをするようになった。
以上はのばらさんの要約



仲平は再び文をよこしてくるようになったが、伊勢はきっぱりと拒絶する。
その頃から伊勢は歌人として名高くなっていて、歌合せの席や、また公的な晴れの屏風歌で名を挙げ「躬恒・貫之にも劣らぬ」と評判をとった。
『田辺聖子の小倉百人一首』 田辺聖子 角川文庫(100頁)より


その伊勢に、宇多天皇が想いを寄せる。お仕えする中宮に対しても心苦しい事だったが天皇にはそむけず、また中宮温子も人柄の暖かい方だったらしく伊勢に優しく、伊勢もそんな中宮を敬愛しつづけた。
以上はのばらさんの要約


宇多天皇は遊び人で、たくさんの妃があられたが、伊勢は寵愛されて行明親王を生んだ。
それで「伊勢の御」とか「伊勢の御息所」と呼ばれるようになった。
しかし宇多天皇は譲位し、落飾される。皇子も幼くして亡くなられた。(中略)
憂いに沈む伊勢は美しく、男心を誘ったようである。今度は宇多院の第四皇子敦慶親王のプロポーズを受けた。親王は二十五、六歳、伊勢は三十を過ぎていた。(中略)
伊勢は親王の子を生んだ。のちにこれも歌人とよばれた中務という娘である。
『田辺聖子の小倉百人一首』 田辺聖子 角川文庫(101頁)より

晩年は親王にも先立たれた。家集『伊勢集』がある。
その気品と魅力に<世の中にはこんなすばらしい人もいるのかと感じ入った>貴族もいたという。(今昔物語)
以上はのばらさんの要約