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 野老沢の肝っ玉おっ母あ
「江戸の精霊流し」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
先月は「青江屋の若旦那」にご参加くださいまして、ありがとうございました。また、ご覧下さいました皆様も、ありがとうございました。
競作ポイントが幾つかに分かれて盛り上がり、彼らのお習字も掲示板の話題をさらいましたね。

さて、今月は「野老沢の肝っ玉おっ母あ」を選びました。

これは、江戸編の最後に近づくにしたがってズームアップされてきた「お石ちゃん」の家族にまつわるお話です。たまに飛び出すお国言葉も可愛いですが、江戸へ出てきた頃を思い出すと、まるで別人のようですね。

さあ、今月はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成二十年六月)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
すいません!今月はお休みさせてください。
欠席届けが遅れて申し訳ありません!
(花みずきさん)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 たまこさんの五七五 

奉公人の家族の問題に関して、休みを与えて帰省させるだけでなく主人みずから、わざわざ当地までついていくってすごいですよね。でも、こういう思いやりの厚さで、単に雇い主と奉公人というだけでない強い信頼関係が築かれていくところが、「かわせみ」シリーズの良いところなんでしょうね〜
(たまこさんの談)

「そういうのを見てみたい。どこへ行ったら見られますか」
と、るいに訊いた。るいが返事に困っていると、たまたま、そこにいたお石が、
「どこへ行かなくってもごらんになれます。うちの裏庭に作りましょう」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お石ちゃんが家庭に入って幸せなのはとても嬉しいことですが、実をいうと小源さんに内助の功というだけでは、私はちょっと不満なんです。だって、お石ちゃん小学校の先生などになったら、すっごく適性ありそうなんだもん。小源さんの若いお弟子さんたちの生活指導とか、明治編でも活躍してくれたら嬉しいけど。(某横綱も、部屋のおかみさんがお石ちゃんだったら、少し態度を改めていたのでは…)
   
裏庭で実習千春の生活科
   

今の小学生には「生活科」(オッ、一度で変換)っていうのがあるんですか。体を動かして何かを作ったり、植物を育てたりするのって、とてもいい教育になりそうですね。「適性ありそう」は姐さんらしい観点で面白いです。
(こでまり)



「野老茶屋って何ですかね」
「名前からすると、大方、麦飯にとろろ汁でも食べさせるんじゃないかね」
「いっぺん、若先生にお話して食べに行ってみますかね」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お吉さんのグルメ検証(?)も年季が入ってますよねぇ。食べて帰ってきたら、また、板前さんたちに、ああでもないこうでもないといろいろトライしてもらうのでしょうか。
   
麦とろも検証リストに即入る
   




ここだけ登場の源さんですが、「相変らずご当家の方々は面倒見がよいですな」というセリフが彼らしいですね。そういう源さんが、一番「面倒見がよいですな」。
   
野老茶屋講釈をする巻羽織
   




お石の生まれた村はその昔、久米川宿と呼ばれた宿場の近くらしいのだが、そこから眺められる八国山の麓に徳藏寺という臨済宗の寺がある。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
江戸でも有数の棟梁のおかみとなるお石ちゃんの将来と、その姉との人生の差が、本人の心がけとはいいながら、残念なことですが、故郷の自然と、おっ母さんの地に足をつけた生き方に、ほっとする ものを感じます。
   
八国の峰より寺へ青葉風
   
夏草や野良着姿の慈母観音
   

「八国の」はとても大きな景が詠まれていて、「夏草や」のお句とともに心が晴々としてきます。景色の広がりと心の広がりとでも言うのかな。「慈母観音」という言葉もピッタリですね。
(こでまり)



【たまこさんの現場検証】
今月はいかにものどかな雰囲気でしたので、
本編を読んでいる時から楽しみでした。
今月の現場検証はこちらから、どうぞ!
今月も「濃〜い」内容の現場検証を、ありがとうございました。毎月の検証を本にしたら、江戸界隈のウォーキングの本が出来そうですね。もちろん出版は「黒豆堂」!
(こでまり)
さっそくザザッと見てまいりました〜!たまこ様の現場検証!凄すぎです\(◎o◎)/! 素晴らしいですね〜!まさか一日で歩いたわけではないですよね?お石ちゃんの時代から考えると今の所沢の発展は考えられないことでしょうね。
(みちころんろんさん)
現場検証、のんびりと読んでいたら「太平記」の現場検証まで入っている!たまこさまの博識&健脚ぶりに感動です。北条綱成の話題が出れば、すかさず「玉縄城址」の写真が出るし、どれだけフットワーク軽いんだろう、「もしかして遠隔操作の手足があるのでは?」などと考えてしまいます(^_^;)
(麦わらぼうしさん)
たまこ姐さま、遠くまで現場検証ご苦労さまでした!私は子供の頃西武線の沿線に住んでいたので、少し土地勘があるのですが、、、あのあたりは交通の便が悪いんですよねー。ライオンズ球場が出来たとき(古い!)何回か通いましたが同じ沿線でもすごく遠かったです。
(コシキブさん)
たまこさまの現場検証も楽しませて頂きました文章にも歩かれることにも脱帽です
(ぐりさん)
所沢。遠い遠すぎる〜かわせみから府中までだって遠いじゃない。地図で確認しちゃったよ。それも“駅すぱーと”で(笑)
(紫陽花さん)



 みちころんろんさんの五七五 

ずいぶんと掲示板とも御無沙汰をしてしまいました。先月末、伯母が急逝し、諸事に忙しくしておりました。
今月のお題はとても好きなお話なのでぜひとも参加させていただきたいと思い、なんとかひねり出しましたが…やはり私にはセンスがないようで… お目汚しになってしまいお恥ずかしいのですが、よろしくお願い致します。
(みちころんろんさんの談)

先日亡くなった伯母と重なります。お石ちゃんのお母さんと少し立場は違いますが、伯母は農家に後妻に入り、自分の子は産むことなく、苦労してなさぬ仲の息子を立派に育て上げた素晴らしい女性でした。いつも外で作業していたため真黒に日焼けして、そしていつも息子を気にかけておりました。私的なことで失礼しました。
   
日焼けした 婆(ババ)の笑顔に 守られて 健やかなること ただただ願う
   

みちころんろんさん、伯母様の御逝去、心からお悔やみ申し上げます。素晴らしい伯母様だったようで、今月がこのお話だったことも不思議な感じがいたしますね。お忙しい中をご参加くださって、ありがとうございました。
(こでまり)



お国なまりに気がついてまっ赤になった。
「おれ……いや、わたし、故郷へ来たら、すっかり故郷の言葉に戻ってしまって……」
「いいのさ、それが自然なんだ」
野を渡る風に青葉の匂いがしていた。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
年老いた母を思い、そしてやはり自分は母の子だと自然とでてしまうお国訛りに実感したのではないでしょうか?
   
雲雀鳴き 母を思いて 涙する お国訛りに わが身を思う
   

私もバリバリの福井弁ですが、若い頃と違って、いつからか「これでいいのだ」と思うようになりました。お国なまりっていいものですよ〜。
(こでまり)



「相変わらず御当家の方々は面倒見がよいですな。手前も町廻りの折、気をつけて、長助にでもそれとなく聞かせてみましょう」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
世話焼きはかわせみの面々の特権ではないですよね?
   
巻羽織 気配り人情 負けはせぬ
   




 あっちの管理人さんの五七五 

先月は欠席してしまったので、今月は早く取りかかろうと思いながら結局今月もまた締切りギリギリになってしまいました。「野老」と書いて「ところ」と読むというのは、会社に入って、その名前の方がいらしたので知りました。PCでは変換出来ないですね。「野老沢」を読んでいたら、ついつい他のお話も読み続けてしまって、はなちゃんにすっかりバレていたけど、「今日のお話」もその続きになってしまいました(笑)
(UP後に)
先月は参加出来なかったので今月はなんとか参加出来て良かった。やっぱり少しでも参加出来るとアップを拝見する時のドキドキ感が増すような気がします。夕顔が結構競作ポイントになっていて嬉しかったです。たまこ姐さんの現場検証はどんどんパワーアップしてるし、お馴染みのトリオも可愛いし、じっくり拝見していたら随分と時間が経っていました!
(あっちの管理人さんの談)

たしかに少しばかり不細工だが質実剛健といった感じの夕顔棚で、植木屋が苗を持って来て植えつけると、いい具合に蔓が延びて、今年は待望の白い花が咲いた。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お石ちゃんが作った夕顔棚。千春ちゃんは夕顔の花が咲くのを朝から待ちかねていたことでしょう。もちろん瓢箪も早くならないかと楽しみだったでしょうね。
   
夕顔や縁側で待つ日暮れ時
   

夕顔の咲く日暮れ時を朝からずっと待っている……いかにも千春ちゃんらしいですね。まるで目に浮かぶようです。
(こでまり)



新しい女中として野老沢からやってきたお石ちゃんは体もおっきくて山出しの力持ちだったけど、とーっても素直でお吉さんが声を枯らして叱った甲斐あって、どんどん素敵に成長しましたよね。見かけはごつくても 心はとってもピュアだった。そんなお石ちゃんを育てたおっ母さんは素朴だけど大きな心でみんなを包み込んでしまうあったかい人ですね。
   
とろろ飯 どこか通じる母の慈愛(あい)
   

「とろろ飯」は「御馳走」という感じではないけど、食べれば体に優しくて滋養もあり、今回改めて知ったおっ母さんに通じますね。
ところで、私のIMEでは「野老」が出てきますよ。「野老沢(ところさわ)」でも変換できました。
(こでまり)



「そうだ。この子のこともだけれど、姉ちゃんの行方も知れねえし、徳三さんも野老沢へ行って来るといったきり消息がねえし……」
最初、きちんと挨拶したお石がだんだんお国なまりになって行くのを、東吾もお吉も微笑ましく眺めていた。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
「かわせみ」に来て3年、るいさんやお吉さんに接客業をしっかり仕込まれて、今ではお吉さんの立派な右腕に。併せて身ごなしや着こなしも教わって、初めて「かわせみ」に来た時とは見違えるほど綺麗になって、すっかり「江戸の女」に大変身!そんなお石ちゃんも野老沢に帰っておっ母さんと話し始めたら自然にお国訛りになるところが微笑ましいですね。
   
ついと出たお国なまりや江戸の女(ひと)
   




 千姫さんの五七五 

先月は尽句の日も気が付かないくらいバタバタしていました。何処もかしこも話題に乗り遅れています。せめて息をしている証に、はいくりんぐへの投稿だけはと思いながら、とうとう「欠席届け」に踏み切ろうと諦めた今日、やっと一つだけ、17文字にまとまってくれました(^_^;)
(千姫さんの談)

「姉ちゃんのことは案じてくれねえでええよ。もう大人だ。第一、この広い世の中、探そうたって探せるものでもねえ。おてるも必ずどこぞで働いて暮している。どうにもならなくなったら、この村へ帰って来るでね。わしに出来ることは、この子を大事に育てることさ。母ちゃん、それしか出来ねえもんね」
お石が母親にすがりつき、母親は太く節くれ立った指で娘の背中を撫で続けた。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
おっ母さんの懐の深さを句にしたかったのですが…。お石ちゃんが自分の事ではないのに周りに気を使いながら、自分では抱えきれない悩みを抱いて帰りながら、懐かしい風景を目にした時、母にさえ会えば「もうこれで大丈夫」と肩の荷が降りるような気持ち、何となくわかるような気がします。
   
山裾に灯影(ほかげ)がゆれて母が待つ
   

おっ母さんはベッタリ甘いわけでなく、巣立った子ども達を「大人」として認めているし、適度な距離も置いてますね。でも戻ってきたらいつでも迎え入れる準備はある、そんな安心感を確かめて、お石ちゃんは江戸に戻ったのでしょうね。
(こでまり)



 はなはなさんの五七五 

どうも〜。そろそろ作品も作らなくてはならなくて、早めにお題を提出しておかないとまずい…(汗汗) 提出しようと思う日に限って仕事が遅れていたり、今月もちょっと消化不足ですが、よろしくお願いします。
(UP後に)
先ほどからプリンターにせっせと仕事をさせつつ、はいくりんぐを読みふけっておりました♪今月も優しくてあたたかで、青葉若葉のように爽やかな御作がいっぱいで、堪能させていただきました。宗匠、お疲れ様でしたm(__)mこうして拝見すると、お話がどんどん膨らんでいって、お話の中からその情景が立ち上がってくるような気がします。浅黄裏さまや宗匠が奇しくもおっしゃってましたが、こんなにじっくりお話を読むなんて、やっぱりみんなで同じお話を詠んで俳句を作るはいくりんぐならでは、ですよね。ホント、感謝しています。
(はなはなさんの談)

「立派な瓢箪が成るには、まだ、ちっとばかり早いと思いますがね」
と植木屋はいったが、千春は大喜びだし、お石も鼻を高くしている。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
夕顔は白くて大きくて、おっとりしていて好きなお花です。源氏物語では悲しい恋の代名詞のようになっていますが、瓢箪とのかかわりで登場するあたりが「かわせみ」らしいな、と思いました。お石と千春の姉妹のような微笑ましい風情を見るにつけ、千春の父と母は、同じ庭で切ない恋に身を焦がしていたのにね。
   
夕顔の揺るるを見ては笑み交わし
   
おとづるるひとも昔やゆふがほ揺るる
   

“ゆふがほ” “たゆとう” はなはなさんらしい言葉選びだなと思いました。わたしの中にはない言葉です。勉強になります。
(紫陽花さん)



お石の言葉に母親が笑顔で首をふった。
「わしはお前も入れて八人の子を育てただがね。もう一人ぐらい、なんということもない。いくら貧乏でも、孫ぐらい育てられるで、心配することはねえ。それより、しっかり御奉公するだ」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
素朴で純真なお石に比べればおてるが恋をまっとうしようと思わずに、飛び出していったのには参りましたが、2人ともこの「おっ母あ」に育てられたのですね。かわせみの面々の言うとおり人それぞれなんだなぁ、と思いますが、おっ母あの生命力に満ちた姿と、明るくあたたかなたたずまいは素晴らしいと思いました。
お石はおっ母あをよく見て育ったのでしょうね。作物のできないとは言っても、野老し獲れる。自然はたくましいもの。その大地のようなおっ母あですね。
   
たゆとう緑風のごとく母笑う
   
いのち抱く白き大地を踏みしめて
   

「白き大地」は乾いた土地をうまく表していますね。その大地を「踏みしめて」がいいですね。肝っ玉おっ母あの雰囲気がよく感じられます。
(こでまり)



先月のお話も、初夏の街道を旅していた東吾。山々を眺めながら、まっすぐにのびる道を、気持ちよさげに歩く姿が眼に浮かぶよう。お石やお吉もまっすぐで気持ちの良い人間。それを詠んでみたくなりました。
   
真直ぐなる青葉若葉の匂う道
   

お句を読んでいるとすぐにでも歩きたくなるような気持になりますが、姐さんの現場検証によれば、なかなか大変な距離のようですね。でも梅雨に入る前の時期は、何をするにも爽やかでいいですね。
(こでまり)



 すみれさんの五七五 

大地と共にしっかり生きている、たくましい母性、お石ちゃんのおっかさんらしいですね。後妻に入って、子供達を分け隔てなく育てられる母性、長助の女房のお栄さんも後妻でしたね。働き者で情深いところなど、共通点を感じます。
(UP後に)
今月のお話も、どうにか参加でき、とりあえずほっとしております。皆様のお作からは、深みを感じられるのに、自分のは、トホホ状態ですが、冒頭の場面やおっ母さんの競作ポイントに何とか入っているみたいだから(?) まぁ良いかと、自分に大甘です。お石ちゃんのキャスティングも決まったことだし、かわせみ第三弾の映像化が実現すると良いですね。
(すみれさんの談)

大川端の旅籠「かわせみ」の裏庭に昨年から夕顔棚が出来た。
そればかりか、その附近がちょっとした畑になって、紫蘇や山椒、生姜、芹だのあさつきだの、野蒜に葱に夏菜などが季節に応じてこまごまと植えられている。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
冒頭の場面、お石ちゃんが丹精している畑と、紫陽花さん宅の畑がリンクしてしまいます。例のトリオも、湯のみが水遣り、茶たくが土いじり、狐火は虫除け…仕事をしている絵が浮かびます。でも自分には描けない(キッパリ、当たり前だろう!一人つっこみ)家庭菜園は現代でも大流行ですものね。
   
夏野菜育てて楽し食べて良し
   

江戸の町中では、こんな畑は珍しかったのでしょうか。でも毎日新鮮な野菜を収穫できて、体にもいいし楽しそうですね。紫陽花さんの畑とリンクしたとは、むふふ。
(こでまり)
夏野菜〜 実はすみれさんがコメントに書いているようにあいつらを畑の野菜の中に紛れ込ませるか、ひょうたんと一緒に棚にぶる下げようかと思ったのですが、なんだか誰かが想像しているような気がしたのでこわくなって(?)やめたのです。的中でした。
(紫陽花さん)



「この子がこんなになったのは、この子の心がけのせいですよ。こんないい子は滅多にいやあしません。こちらの旦那様も、江戸でお待ちの御新造様も、どれほどお石に目をかけて下さっていることか。おっ母さん、お石ちゃんのことなら何も心配はありませんよ」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お石ちゃんも山出しの娘から、お江戸に馴染んでどんどん綺麗になり、かわせみに無くてはならない働き手になりました。育児放棄の暗いお話なのに、おっかさんの登場で、最後はほんわか気分になれますね。本物の母性の強さでしょう。見習いたいものです。
   
辛抱と努力で光る石となり
   

“光る石”うまい!座布団一枚!と思いました。
(紫陽花さん)



おっ母あに抱きしめられて、背中を撫でてもらいながら、お石ちゃんが泣く場面はほろっとしますね。
一昔前のCM、「○○のこころは母心、押せば生命の泉湧く」を思い出しました。子供を生み育てるのが女性の生涯の仕事だった時代、母親は体も心も逞しくなければ生きぬけなかったのでしょうね。
   
母の掌に生命の泉湧くという
   

この場面、本当にいい場面ですね。ひと撫でごとにおっ母あからお石ちゃんに、ジワ〜ッと温かいものが伝わっていったことでしょう。
(こでまり)



 浅黄裏さんの五七五 

今月も佳いお話に触れることが出来て嬉しいです。自分ひとりで読んでいてもそれだけで終わってしまうので、こうしてたくさんの方と一緒に共感したりしながら句を詠めるのは楽しいですね。と言いながら、このところ一つの御題で二句ほどしかできません。多くても三句です。最初に御題を読んだ際に一つか二つのシーンに目がいって、そこから離れなくなってしまいます。という訳で二句のみです。自分の詠めなかったところは、他の方が見事に五七五にされているところを拝見したいと思います。
(浅黄裏さんの談)

まっ黒な顔に白い涙がこぼれ、それを野良着の袖で拭きながら、母親は何度も頭を下げた。
「どうぞ、お石をお願い申します。この子は幸せ者だ。わしはもう何も心配はせん」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
おっ母あの着物は、ボロで継ぎはあってもきちんと繕ってあるんだろうなぁと思いながら詠みました。観音さまの御衣(おんぞ)にも似て、おっ母あの裾につかまることで助けられる人も多いのではないでしょうか。
   
継ぎあての御衣の裾や草いきれ
   

「御衣(おんぞ)」という言葉、初めて知りました。東吾さんが「白衣観音」とたとえたことを、とてもうまく取り入れていますね。「草いきれ」もおっ母あらしくていいですね。
ところで、↑の「自分ひとりで読んでいても〜」は同感ですう。その通りです!
(こでまり)
浅黄裏さんと「白衣観音」が以心伝心だったのが嬉しいです。季語も迷ったのですが、選び方が間違ってなかったみたいと自信が(^O^)
(たまこさん)
「以心伝心」→たまこさんと観音&着てるもの&草つながりでご一緒できて嬉しいです。先月も波&千鳥つながりでしたね♪ 季語選びはいつも迷いますよね。手持ちの歳時記からもどうしても佳い季語が選び出せないともうそこで行き詰ってしまいます。季語からお題のシーンが浮かんで句になる時もあればお題のシーンから妄想が出てきてそこにポンとはまるべき季語を探す時とがあります。
(浅黄裏さん)



その夏の終り、東吾は飯倉の方月館を訪ねて、近くの辻で麦飯ととろろ汁を屋台で商っている徳三をみかけた。
  (略)
徳三に出会ったことを、東吾はるいにも「かわせみ」の誰にも告げなかった。なによりも、お石の耳に入るのを避けたかったからである。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お話のラストで、東吾さんとるいさんがそれぞれに見たものを互いに言わず仕舞っておきますね。
   
秋近く見しものひとつ胸に置く
   




 麦わらぼうしさんの五七五 

今月は欠席かな〜と思ったのですが、なんとか出来ました。まさしく「参加する事に意義があり」状態ですが(いつもの事…)、今月もお世話になりますm(__)m
(UP後に)
冒頭の家庭菜園シーンが大競作ポイントだったのですね、それもみなさま、様々な視点で詠まれていて…さすがです。
(麦わらぼうしさんの談)

「お石ちゃんのおっ母さんは律儀な人で、先妻の子には他人の飯を食って苦労をさせたくないって考えて手許におき、自分の産んだ子を他国へ奉公に出したんだそうです。おてるって子も、それで満足していたらしいんですけどね、心の中ではやっぱり江戸へ憧れるみたいなものがあったんでしょうかね」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お石とおてる、生みの母親は違うけど、同じ家で同じ親に育てられたのに、だいぶ性格は違うようで…
   
同じ野に色の異なる花が咲く
   




「だから、いやになったっていってるだろう、江戸で指折りの料理屋で働いているなんて大嘘でねえか。たかが屋台の麦飯売りのくせして、おらはだまされたんだ……」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
これはおてるの事です。久しぶりに故郷に戻った男がかっこよく見えて、私も江戸へ出れば、と。しかし思い描いていた生活とはあまりに違いすぎ、自分自身も何も変わらない…そんな時お石に会い、見違えるように美しくなったのを見て、今の生活を変えれば今度こそ私も、と思ったのでは。自分で努力しなければ変われない、という事に気付かずに…
   
蜜求め花から花へ移りゆく
   

こうして本で読んでいると、お石ちゃんの堅実さやおてるの危なっかしさがよくわかるのですが、自分に目を向けてみると、けっこう「おてる」っぽい所もあるんだろうと思います。自分の姿って、なかなか自分では見えないものですね。
(こでまり)



 こでまりの五七五 

今月は「野老沢」や「八国山」を少し知りたいと思って検索してみました。ウォーキンググループのサイトで、徳蔵寺の写真や江戸時代の古地図を見たりして楽しかったです。そんな中で知ったのですが、「八国山」って、「となりのトトロ」に出てくる「七国山」のモデルなんですってね。どうも人を癒す力のある場所みたいな気がします。
気になったのは、「おっ母さん」なんですが、イラストのせいか本人の言葉のせいか、すっかり「婆」だと思っていましたが、お石ちゃんの年を考えたら、もしかして惑惑組より前なんじゃないの?なんて思ったりもしています。う〜ん、肝っ玉が座っているからか、不惑の風情ですう〜。
(こでまりの談)

千春ちゃんの問いかけから、お石ちゃんも思わぬ楽しみができましたね。来年は瓢箪がなるかしら。
   
夕顔や幼子の夢叶え咲く
   




「徳三と申すは赤ん坊の時、両親が歿りましてな。この寺で十の年まで育ちました。川越へ奉公がきまって出て行くとき、お前の名を徳三とつけたのは、この徳藏寺にあやかったものだ。どこへ行っても自分の育った所を忘れぬようにと申してやりましたが、さて、人が一人、この世の中で生きて行くのは、なかなか大変なことじゃで……」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
徳蔵寺の住職もおっ母さんも「育ての親」ですが、心は「生みの親」と変らないですね。東吾さんに謝る言葉は、親の言葉です。村から送り出した日と同じ気持で、今も徳三を見守っていることを知ってほしいですね。
   
青葉風あの日のままの寺に吹き
   




その夜は徳藏寺で厄介になり、翌朝、東吾とお吉、お石は江戸へ旅立った。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
三年ぶりにおっ母さんに会えたお石ちゃん。しっかり者の女中さんではなく、親に甘える普通の娘さんに戻れました。枕を並べて積もる話をするには、夏の夜は短すぎたかも知れませんね。
   
蚊遣火や娘に戻る夜は更けて
   




野老は夏に小さな目立たない花を咲かせ、秋には滋養たっぷりの山芋をつけます。そして葉っぱは可愛いハート型♪あたたかい心がイッパイのおっ母さんにそっくりですよね。
   
おっ母あは野老の花のごとく在り
   




「まあ、ここらあたりは閑静で……ですが、ちょっと鄙びすぎてますですね」
大真面目で感想を述べているお吉の足も軽い。
どこかで雲雀の啼き声が聞えていた。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お吉さんに「鄙びすぎて」と言われ、それは久しぶりに帰ってきたお石ちゃん自身も感じたことでしょうが、故郷や何より母への誇りに満ちての帰途になったと思います。
   
夏雲雀鄙びすぎでもおらが故郷(くに)
   




 紫陽花さんの五七五 

19日ですね。今月も一句です〜 五七五にもなってなし(笑)
(UP後に)
野老…わたしは大変な勘違いをしていました。自然薯のことかと思っていたのです。とろろ飯は自然薯をすりおろしたものだと思っていたので…危なかった(?)
しずちゃんがお石ちゃんならお母さんは泉ピン子かなと最近和田アキ子のドラマで母役をやっていたのを思い出しました。ということは和田アキ子=お石ちゃんというのも変だなぁ。
(紫陽花さんの談)

出発は翌日の夜明け前で野老沢への道は、お石が「かわせみ」へ奉公に来る時、仲間と一緒に歩いて来た甲州街道を行くことになった。府中からいわゆる鎌倉街道を北上する道で、お石が知っているのはその道筋しかない。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
   
行く道の地の匂い風の匂いもなつかしく
   

江戸から帰って来る道すがら、忘れていた故郷の匂いにいくつも気づいたでしょうね。それとともに足の運びも速くなっていったような。気がします。
(こでまり)



姉の脱いだ、ちびた下駄をお石はすばやく土間の下足棚のすみに片づけ、姉を台所の方へ連れて行ったのは、お吉や傍輩に挨拶させるためのようである。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
オマケ…ちびた下駄ってどんな下駄?最近下駄そのものも見ていないなぁ。
   
   

「ちびた下駄」は下駄の歯が磨り減ってることだと思っていましたが、どうなんでしょう。今月も湯飲みは危ないことをやっていますね。
(こでまり)
おまけのあの子達もかわいくて…紫陽花さま、ありがとうございました。
(みちころんろんさん)
今月も彼らが愛らしいし〜(あんなに足開いてて、アノ細い足がもげちゃわないか心配だわ〜)
(はなはなさん)
「オマケ」は、またしても、「こう来たか〜」と意外なポイントでした。トリオの旅姿もしくは瓢箪ねらいだと思っていたので…やっぱり発想が平凡だなぁ。
(たまこさん)
トリオは湯飲みが今月もこぼれそうですね、おっとと危ないよ、ちびた下駄は矢張り磨り減った下駄ですよね下駄を履いたのは遠い記憶なような気がします、でも最近見直されてきていて孫の保育園では草鞋を履いて散歩しているそうです
(ぐりさん)
「あの三人組み」→今月も最高です!湯呑みの開脚角度が素晴らしく、実はかなり若いか日頃鍛錬を怠っていないものと見ました。ちなみに私は90度しか開きません…。股割りで180度開くお相撲さんを見るたびに羨ましく思います。
(浅黄裏さん)



 シュミットさんの五七五 




子供を抱いたお石の母親がなんともいい笑顔で応じた。
「和尚さんのいいなさるのはもっともじゃと思うが、我が子が産んで、育てられんという子であれば、婆が育てるのが当たり前じゃでね。誰でもない、わしの孫だ」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
いつの世も母は強ですね。
   
徳蔵寺 観音様といい笑顔 徳三もよし おてるまでよし
   

このおっ母あは、本当に強いですね。苦労も、苦労しているという顔をせずに、乗り越えていく力がありますね。
(こでまり)



 コシキブさんの五七五 

このお話、なんといってもタイトルにもなっているお石のおっかさんがいいですよねえ。おてると徳三の非礼で無責任な言動にどんどん辟易させられるストーリーでしたが、このおっかさんのおおらかな言葉に、最後は暖かな思いで読み終える事ができます。そして同じ親のもとで育っても、兄弟姉妹のその後の人生はそれぞれ…。それは現代でも同じですね。全然関係ないですが、もしお石をドラマに登場させるとしたら南海キャンディーズのしずちゃんがいいかな、なんて思いだしたらもう私の中ではお石=しずちゃんの時代劇バージョン姿になってしまってます^_^;
(UP後に)
私も書き込み久しぶりです。ロムばかりですみません。今月も皆様の素敵な言葉と優しい目線に癒されました!夕顔は競作ポイントでしたね。千春ちゃんと夕顔の取り合わせは可憐さがぴったりですね。
(コシキブさんの談)

裏庭の夕顔棚を家族みんなで眺める幸せな情景ですね。お石のおかげで千春ちゃんには少女時代のいい思い出が出来たことでしょう。
   
笑顔呼ぶ夕顔棚の白き花
   

「お石ちゃん=しずちゃん」に、なるほどです。しずちゃんって結構頭もいいし、いいかもですね。私は最初「森三中の大島」をイメージしました(^。^)
(麦わらぼうしさん)
「しずちゃん」はたまたま句作のときNHKのドラマで見かけて「ドラマ化したらこの人がいいかな」と思ったら、しっかり私の脳内劇場にキャスティングされちゃったんです^_^;
(コシキブさん)
お石ちゃんに「しずちゃん」は私も大賛成、NHKで始まったドラマ面白くなりそうですよね。朝の「瞳」が今いちなので、こっちを朝ドラマにしてほしい(まぁ朝からリングでのドツキ合いは見たくないという意見もあるでしょうが)「フラガール」でも艶やかな踊りを見せていてくれたので、江戸の水に磨かれて美女に変身していくところもバッチリだと思うんですけど…(小源さんは誰がいいかな?)
(たまこさん)
「お石ちゃん役」→しずちゃん 大賛成!小式部さん、ナイスですわ〜。山出しの頃から小源さんさんと結ばれるまでのいろんな時代(?)のお石ちゃんの顔がぴったりと静ちゃんにはまりますね。「フラガール」の時もなかなかよかったですよね。
(浅黄裏さん)



粗末な木綿物の単衣に古びた半幅帯を締めているが、顔だけはきれいに化粧をしている。
もっとも、その化粧は甚だ野暮ったく、とりわけ唇にさした紅の色が濃すぎて一つ間違うと岡場所の女と思われかねない。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
奉公先の手前、礼儀を知らぬ姉に恐縮するお石が気の毒なくらいです。逆に言えばお石がそれだけ気配りできる一人前の女性になったということ。ここに奉公してから容姿も一変してしまった事が姉の反応からもわかりますね。
   
紅の濃き姉たずね来る薄暑光
   

川開きの翌朝の、この姉の登場はとてもミステリアスでしたね。嘉助さんとのやり取りも、何だか怪しげで興味津々。その姉の「紅」が濃かった……、平岩先生の描写も上手いし、そこを上手に詠みこまれたと思います。
(こでまり)。



「まあ、貴方……、ちょっと、旦那様のお帰りですよ」
俄かに帳場の雰囲気が変って、東吾は憮然として土間へ入った。るいに背中を押されるようにして居間へ行くと、千春は悠々と昼寝の最中である。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
庶民のいざこざには寛大な東吾も思わず憮然とした夫婦の言い争い。おてるの思いは同じ女としてわかる部分もあるのですが、もう赤ちゃんも生まれているのだからいまは我慢が必要でしょう。しかし今回も相談にはのるわ、家賃は立て替えるわ、野老沢まで出向くわ、かわせみの人々の度量の深さは素晴らしいです。
   
夏暖簾いさかう声に揺れる午後
   




お石のおっかさんの悠々とした姿に安心して帰る東吾たちでした。赤ちゃんもこのおっかさんが育ててくれるなら大丈夫!何年かしてひょっこりとおてるが帰ってきても、このおっかさんならきっと大らかに受け入れるのでしょうね。
   
緑陰に帰る場所あり母は立つ
   

おっ母あはまるで「大樹」のようですね。そのおっ母あが作ってくれる緑陰は、広くて涼しくて、みんながひと休みして行きそうです。
(こでまり)



 ぐりさんの五七五 

昨夜送ろうと思っていたのですが 明治篇が休止と聞いてなんだかがっかりしてしまって お題を送ったら21日は10時に書店へ行ってなどと算段して楽しみにしていたので 本当言うとかなりかなりがっかりしました あ~毎月の楽しみがひとつ減った よかった年間予約しないでと思いました
今月のお話はお石ちゃん兄弟のお話 おなじ姉妹なのにずいぶん性格が違いますね 先月も言いましたが姉妹でいいお話ってあまりないような気がします平岩先生女性には点が辛い
(UP後に)
今月も皆さんの視点になるほどとうなずきました 庭の菜園が競作ポイントでしたね、お石ちゃんにしずちゃんなんだかいいですね、静ちゃんのドラマは見逃したので2回から録画しておこう
(ぐりさんの談)

お石ちゃんの作った畑 お米の作れない土地は本当に貧しいでしょうね 今なら山芋がたくさん取れるほうがお金になるかもしれないですね
手をかければ何でもいい作物が取れる土地 自分の故郷もこんな土地ならおっかあももっと楽なのにと思ったのではないでしょうか
   
夕顔の 花凛と咲き においたつ
   




元をただせば、昨年、駿河から商用で江戸へ出て来て「かわせみ」へ滞在する客が、自分の家で出来たという瓢箪を、
「少々、形が面白いので、柱にでもかけて花活けに使って下さい」
とお吉に渡したのを、千春が珍しがって、水を入れたり、腰に提げたりしたあげく (略)
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
かわせみで貰ったひょうたん千春ちゃんのおもちゃになり 最後には花活けになったのではないでしょうか
   
ひょうたんに 投げ入れられて 小紫陽花
   

瓢箪はきっと花活けにも使われたでしょうね。重々しい花器と違って、季節のさり気ない花もよく似合いそうですね。
(こでまり)



そして、るいはお盆の前日、お吉をお供にして庄司家の菩提寺、浅草の福富町に近い浄念寺の墓地へ参詣に出かけた帰り、新堀の向う岸の道を自堕落な恰好で傍輩らしい女達と歩いて行くおてるの姿を目撃した。
  (略)
るいは目を伏せて、さりげなく日傘のかげに身をかくすようにして、猪牙に近づいて行った。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
おてるはどんなところで働いているんでしょうか 自堕落な格好というのだからあまりまともなところではないような気がしますね 子どものことは気にならないのでしょうか
   
夏帯や 乱れた姿 みないふり
   




お石の弟や妹たちも小さいといっても遊んでばかり入られないんでしょうね 水のない土地川から水を汲むのも大変でしょうね そんな仕事は多分子どもの仕事ではないでしょうか
   
水汲みは 子どもの仕事 裸子や
   

暮らしていくためには必要だから、やっぱり水はどこかに汲みに行っていたんでしょうね。そういえばアジアやアフリカの子ども達は、小さい頃から親をよく手伝いますがその姿と重なりました。
(こでまり)



「お石のおっ母さんは徳藏寺の白衣観音の生れ変りかも知れないな」
川のふちの一本道を府中へ向いながら東吾がいった。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
もう子供たちもお手伝いが出来る年頃になって 少しは楽が出来るようになっているのに また子育てで苦労しなければならない でもそんなところはおくびにも出さず お石ちゃんのお母さんらしいですね
このおっかさんの子だからみんないい子ですよねきっと 素朴で強いおっかさんは朴木の花の様に素朴でも 白くて綺麗ですよね
   
朴の花 白衣観音 思えたり
   

「白衣」から「朴木の花」を思い浮かべたのでしょうが、飛騨の国のぐりさんらしいなと思いました。花もちょうど今頃咲くようですね。
(こでまり)



 茜雲さんの五七五 

お石ちゃんの故郷は旦那の育った場所に近く、結婚してから結構バイクなどで走り回ったところで懐かしく読ませていただきました。五七五は相変わらずの出来ですが、とりあえず送らせていただきます。
(茜雲さんの談)

ここへ来て、徳三とおてるの行方がわからなくなっているのを知ったというのに、どういうわけか暗い気持になれない。それは、どうやら、子供を抱いて話しているお石の母親の底抜けに明るく、悠々とした雰囲気のせいらしい。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
お石ちゃんもそうですが、このおっかさんも出て来るだけで爽やかですべてが解決しますね。
   
孫抱く母の姿に風涼し
   




「俺は昨夜、あの寺の御本尊の白衣観音様をみて、お石のおっ母さんにそっくりなんで驚いたんだよ」
お石がはにかんで答えた。
「おらのおっ母さんは、あんな器量よしじゃねえですよ」
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
どうも観音様というと折れた腕が…香苗さんとは随分違いますのにね。
   
たくましき腕もまた観音様に似て
   

こっちの観音様は、千本分の働きを二本で全部やってしまいそうですね。
(こでまり)



おてるにはおてるの、お石にはお石の人生があるのだと、改めて胸の底で自分にいいきかせただけであった。
七月、江戸はもう秋の気配を空の片すみに漂わせている。
「野老沢の肝っ玉おっ母あ」より
似たもの夫婦のるいさんと東吾さんきっと思ったことも同じなのでしょう。
   
それぞれの後世それぞれの胸に秘め
   




おまけ
お石ちゃんが丹精込めて作っている作物、どうにもうちのほっぽってある裏に勝手にはえてくるものに似てるんですが…せりとか紫蘇とか野蒜ってどうも育てるもののような気がしなくて…お石ちゃんごめんなさい。
   
かわせみの裏庭我が家の裏に似て
   

おおっ、茜雲さんちの裏は、そんな宝の山なんですか。「ほっぽってある」もまた生活感のある言葉ですね。もちろん時々は食卓を飾るのでしょう?
(こでまり)
茜雲さんの最後のお句。そうよねぇ〜と同感しました。せり、紫蘇、野蒜は勝手に生えてるって感じですよね。せりや野蒜は春になると母は摘んできて食べています。わたしは積極的に摘んで料理する気にはならないです。出来たものが食卓にあれば食べますけど(笑)
(紫陽花さん)