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 福の湯
新装版「かくれんぼ」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
先月は「月と狸」にご参加くださいまして、ありがとうございました。また、ご覧下さいました皆様も、ありがとうございました。
これまでいろんな「オマケ」をいただいてきました。イラストに物語、お人形に現場検証などなど。でもまさか、そこに歳時記が加わるとは思いもよらず、浅黄裏さんの解説にすっかり魅了されました〜。こんなステキな御常連に恵まれて、本当に管理人として嬉しく有難く思います。ぜひこれからも、よろしくお願いいたします。(揉み手、手ぐすね)

さて、今月は「福の湯」を選びました!
お話は、今回もお吉さんの得意満面な講釈から始まります。普段はシャワー派の私ですが、たまに入浴剤などを頂いた時に入るお風呂は、やっぱりいいものです。お話を読み終わると、ゆったりとお湯につかりたくなる人も多いのでは。

さあ、今月はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成二十年二月)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今回は、残念ながら欠席の御連絡です。
お題が発表になるや、読み返してはいたのですが…
高校受験の息子が約1名おりまして、今月が勝負月☆
なにかとそちら関係で落ち着かず…
今回は、申し訳ないのですが欠席させていただきます。
落ち着きましたら参加致します
皆様の御作を楽しみにしております。
(みちころんろんさん)
今月は比較的時間にゆとりがあって
できれば参加したかったのですが、
どうしても「かくれんぼ」だけが見つかりません。
残念ですが、今月もお休みさせていただきます。
(茜雲さん)
ごめんなさい、今月もダメだ〜ということで欠席させてください。
もっと早くから掛かんなきゃエンジンがかからなくなってます。
年度末ということもあって連日学校に足を運んでいます。
正直カンベンしてくれ〜と思うけど
子供のためと思ってがんばっています。
(花みずきさん)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 こでまりの五七五 

かなり以前に読んだ時には、何となく暗いお話のように感じてしまったのは何故でしょうね。少し前には印象も変ったのですが、今回はじっくりと読み、しみじみとしてしまいました。ご常連の皆さんがどう詠まれるかもとても楽しみです。それにしてもこの季節になると、お句もオマケも桃色まじりだわ〜。
(こでまりの談)

「きてれつ」としかいいようのない湯に入れられて閉口する東吾さん。でも忠義者のお吉さんが自ら「福袋」を買いに行ったと聞いて、心まで温かくなったことでしょう。
   
きてれつで温き湯に入る一の午
   




「まさに、かわせみの皆さんのお診立て通り、風邪と疲労のためでしたよ。もう一日、薬を飲ませて、部屋を暖かくしていれば、すっかり回復するでしょう」
機嫌のよい顔で帰って行った。
「福の湯」より
この場面ですっごく喜んでいる宗太郎さんが、大らかでいいですね。
   
春の風邪名医も誉める診立てぶり
   




「こちらは、以前からこの近くへ参りますたびに、一度、泊めて頂きたいと思って居りましたので……」
少し、はにかんだようにいうのが、小娘のようで印象は悪くない。
「福の湯」より
いくつになっても、ちょっと気になっていたお店に入るのって、ワクワクしますよね。まして「お泊り♪」だし。そんなスペシャルな日の始まりに気持ちを高ぶらせながら、お寿さんは「かわせみ」を訪ねたんでしょうね。
   
憧れの暖簾をくぐり春の夕
   




五十歳というと、やはり人生の区切りの年齢の一つだと思います。どんな立場の人でも、ふと「私の人生はこれで良かったのか」「あの時、別の選択をしていたら…」などと思うのではないでしょうか。
たとえその時は意味の見出せない「今」であったとしても、時間はずっと繋がっているのですから、いくつになっても「今」の過し方次第で、きっと意味が見出せるような「未来」が来ると信じたいものです。
   
浅き春来し方の意味問ひ直し
   

コメントの「時間は繋がっている」というのは、ありがたい反面、とても怖い気もします。長い物思いをしてしまいそうです。
(はなはなさん)



気軽に、宗太郎はるいとお吉に病人の様子と飲ませた薬のことを訊いて、自分で梅の間へ行って、おとりを診てくれた。
  (略)
「松の間のお客様ですけれど、江戸見物にお出でになったようですのね」
「福の湯」より
与兵衛たちの部屋は、単行本ではずっと「梅の間」なんですが、新装版では落葉焚きのところで「松の間」に変っているんです。なんで?
   
いつの間に梅の間松の間に変る?
   

宗匠の鋭い観察眼にびっくりしましたが、私の文庫旧装版1997年10月10日第一刷)でも、宗太郎さんが診察する時も落ち葉焚きの時のお寿さんの台詞も変わらず「梅の間」ですよ。新装版は片方が松で片方が梅なんですか?病人を寝かせる時はとりあえず梅で、その後松に変わったのかなぁ(謎)
面白いので、ご本家の「バーチャルお泊り」を探し出して再読してしまいました。松の間にお泊りはお千さんと真名さんで、宗匠は当然松!と思ったらこれが梅の間だった(^O^)
(たまこさん)
私も最初は具合が悪そうなので手頃な(部屋がこじんまりしてるとか)「梅の間」に寝かせて、良くなってから「松の間」に移動したのかと思ったんです。でも読み直すと到着した時は普通の様子だったので、やっぱり「なんでかな」と思ったわけで。で、今気づいたけど、これってご本家の「謎」に入れてもらえるかな〜なんてちょっとワクワクしてます。(ここでアピール?)
(こでまり)
梅の間→松の間、どうしちゃったんでしょうね。編集者さんの凡ミスかしら(文春の方が見てらしたらごめんなさい)
またひとつ「かわせみの謎」が見つかりましたね。
(はなはなさん)
宗匠の梅の間と松の間、新装版をチェックするまで全然気がつきませんでした。早速「謎」に入れさせて頂きます!たまこ姐さんにはバーチャルお泊りのチェックまでして頂いてありがとうございます。明治編も始まったことだし「明治のかわせみ」にバーチャルお泊りなんて楽しそう!とついつい新しい企画に目がいく管理人のさが?(笑)
(あっちの管理人さん)



 たまこさんの五七五 

「かわせみ」物語には、時代を先取りするものが多いと常々思っていますが、頑張ってきた女性の「自分にご褒美をあげるための、ちょっと贅沢な一人旅」というのも、その一つではないかなと思いながら、興味深く読み返しました。仕事も恋愛もバリバリ(!?)派も多いでしょうが、仕事で成功したぶん、男性には慎重になってしまうという女性、今でも決して少なくはないと思います。しかし福の湯のお寿さんも信濃屋のおとりさんも、初めてこの話を読んだ時には、まだずっと人生の先輩という印象だったのに、考えてみればもう、こちらのほうが年上なのね…
(UP後に)
皆さんおっしゃっているように、今回は人生を考えさせるとても深いお話だけに、皆さんの御句も深い味わいのものが多くて、何度も繰り返し読みたくなります。それにしても人生の深い味わいと共に「一晩中」がやっぱりポイントだったんだなぁ…お千さんの真っ向からの突っ込みを始め、みんなそれぞれにからんでいるのに、全く気づかず通り過ぎてしまったのが悔しい(>_<)
(たまこさんの談)

「かわせみも、すっかり名医になりましたね」
戻って来るなり、心配そうなお吉の肩を叩かんばかりにして笑っている。
「福の湯」より
「麻生医院分館」のほかに、探偵事務所・カウンセラー・子供たちの溜まり場、と、「かわせみ」も副業のほうが繁盛している?
   
本業は御宿だったと思い出し
   




お寿の話を、るいは東吾に話さなかった。
孤独な女の愚痴を夫婦で話せば、どうしても、自分の気持に優越感が湧いて来る。それは、お寿にすまないと考えたからである。
「福の湯」より
私だったら、「ねぇねぇねぇ…」と亭主に脚色入りで細大もらさず報告した上、息子や娘にも「こういう事なんだからね、あんたたちも四の五の言ってないで、さっさと良い相手を見つけろっていうんだよ!」 と叫びまくっているなぁ。たとえちょっぴり優越感を持って噂話をしたところで、夫婦の間だけのこと、本人を傷つける事はないしどうってことないと普通なら考えますが、おるいさんには、毛ほどでもそのような、他人を貶めていい気になる態度を避けたい、何よりそういう自分の姿を愛する夫に見せたくない、という凛とした姿勢が感じられます。「粋」というのは外面でなく、このような心の姿勢なんだなと思いました。
   
人通りなき道筋に梅香る
   

今回、おるいさんのこの姿勢に感動した方が多くて、そのこと自体もステキなことだなあと思いました。
目には見えなくても、間違いなく存在する「心」。同じように、見えないけれどふと香る梅の香、気づかれようが気づかれまいが、変らずに香る梅に寄せて詠まれた秀句と感じ入りました。
(こでまり)
ここはるいさんの高潔な気持ちの持ちように感動しましたが、あまりに自分には痛くて、ここでは詠めませんでした。梅に寄せたたまこさまの感動の表現に、心を打たれました。
(はなはなさん)



今回は最後だけ登場の源さんですが、与兵衛・おとり夫婦と同じく源三郎夫婦にも、源太郎の上に亡くした子がいたんですよね。働き者で人柄の良い両親なのに、なぜこんな家庭内暴力息子に育ってしまったのか、前から疑問だったのですが、源さんたちのように産んで育てるつもりが不可抗力で亡くなってしまったのと違い、経済的余裕さえあれば育てられた子、それだけに両親の思いが深く、その幻の兄(姉?)への嫉妬のようなものが新助にあったのかもしれないと思いました。
   
啓蟄や兄弟虫の並び行く
   




お寿の気持ちが落ち着いたのは、決して、一見自分よりも幸せそうに見えた老夫婦に、意外な不幸の面もあったので安心した…ということではないと思います。幸福って人と比べてみても仕方がないと悟ったのでしょうね。このお話では、小説としてわかりやすい結末になっていますが、たとえ、息子夫婦が良く出来た人々で見送りに来たのだとしても、やはりお寿は羨ましさを乗り越えたと思います。現役を若い世代に譲った後の寂しさ、老夫婦仲良く暮らしていればそれだけ片方がいなくなった時を思う不安など、感受性の鋭い彼女ならば感じ取れたでしょう。100%の幸福なんてどんな人間にも無いし、自分は自分で一生懸命生きてきた道をこれからも素直に歩き続ける事が幸せとお寿は実感出来たのでしょう。
   
我が幸は我が道にあり蕗の薹
   

コメントのひと言ひと言が心にしみます。お句の「蕗の薹」も、宿を発つお寿さんにとてもふさわしい感じがしました。
(こでまり)



【たまこさんの現場検証】 さて、今月もまた充実の「現場検証」を届けていただいておりますよ。こちらからどうぞ〜。 ⇒ 
UPのお知らせに来てみてビックリ!麦わらぼうしさんは既にお読みのようですが、姐さん、すごい現場検証番外編!だって、拙宅にもいつものお話にちなんだ「現場検証」が届いているのですよ。それも凄い量の。いったいどれくらい歩いているんだ〜〜!それはさておき、大河もなるべく見るようにしているので、楽しみに拝読させていただきます。「●●藩邸跡を歩く」って、シリーズ化ですか?なんて、何気にふってみたりして。
(こでまり)
「薩摩江戸藩邸跡を歩く」拝見しました。相変わらずのたまこさまの健脚ぶりに感動しております。お写真もさることながら、文章も読み応えがあってタップリ楽しみました。薩摩藩というのは本当に独特ですよね。こうやって後世から、歴史のお話として読むのは大変興味ありますが、実際江戸時代に薩摩の農民だったら相当に大変だったろうな〜と思ってしまいます。たまこさまもお書きの「生きては戻れぬ薩摩飛脚」(江戸時代の薩摩はいわゆる二重鎖国状態だった)とか、身分差とか農民支配も相当厳しかったとか。(大河の篤姫、薩摩でのあの自由な雰囲気はありえない!とコアな歴史ファンからは厳しい意見も出ていますが…) 関が原の戦いで、西軍の敗北が濃厚になった頃、日和見な藩が次々と寝返る中で、少ない人数で家康の本陣近くまで迫り敵中突破して薩摩まで帰った、というエピソードは、大好きです。
いつにも増して盛りだくさんなはいくりんぐですね♪ 現場検証、あれだけ充実した薩摩藩邸編の他にちゃんと今月のお話編が!しかもさらに読み応えタップリ。ますますたまこさまの健脚&文才に感動しております。
(麦わらぼうしさん)
たまこ姐さんの現場検証も益々本格的になり、充実度満点ですね!やっぱり「かわせみ」ファンにとって深川佐賀町、永代橋は特別なものがありますよね〜♪
(あっちの管理人さん)
たまこ姐さんの健脚(剣客とでた!)と筆の冴えに例によって感嘆の声を上げつつ、薩摩藩現場検証を楽しみました。その後に今月のお題UPを知り、続けて廻ってきました。\(~o~)/あー満足満足薩摩藩はかわせみのお話し中では、敵対する間柄云々の箇所にうなづきつつ、お江戸発見の散策を楽しんでおられる様子が眩しく感じます。佐賀町界隈の現場検証も読み応えがありますね。またゆっくり読みますね。
(すみれさん)
麦さま、番外編も早速ご覧頂きありがとうございます。そんな歩いてないですってば〜田町と品川の一駅くらいで、日比谷から三田も地下鉄で行っちゃいましたし。
(たまこさん)
たまこさまの現場検証も歩かれる距離も文章も凄いの一言です 番外編も大河とあいまって楽しませていただきました、かわせみでは薩摩と水戸藩が敵ですね、大河が地元薩摩で問題になっているとか聞きましたが男尊女卑(こんな言い方はいけないかしら)の旗頭ですものねなんとなく判る気もしました(それだけではないと思いますが 一番にそこへ気が行きました)
(ぐりさん)
たまこさまの「現場検証乱れ打ち」は圧巻ですね。私のような篤姫フリークには大変嬉しい「薩摩屋敷探訪」でした。原作の「篤姫」では、三田の上屋敷で安政地震に遭うシーンがあるのですが印象的なんですよね。養母・英姫との交情が良いんですよね〜。もう一度じっくり拝見します。佐賀町のほうも、まさか「福の湯」を探すとは…脱帽です。地図を片手に拝見しました。忠臣蔵のエピソードも嬉しいし、他のかわせみのお話とのリンクもありがたいです。たまこさま独特の切り口と考察を楽しませていただきました、ありがとうございます。
(はなはなさん)



 すみれさんの五七五 

今月のお題、なんとか出来ましたので、提出することにします。我が家の気ぜわしさの為(出来の悪いのに理屈をつけているだけ)、この程度で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。親子関係は時代を超えたものだとつくづく感じながら、他人事に思えなくて困ってしまいました。
(UP後に)
親子に限らず、人生いろいろあって当たり前、わかっちゃいても迷うのが 俗世に生きる事なのでしょう。皆様のはいくをまたしみじみと味わってみます。
(すみれさんの談)

従って初午の日は、その紋日だから、他の湯屋は祝儀を頂こうというのに、深川の福の湯ばかりは無料で、しかも、無病息災の薬湯だから客の押しかけるのは当然であった。
「福の湯」より
江戸の銭湯のミニ知識が書かれているのが興味深いです。現代の初午では、いなり寿司が売られていましたよ。米の消費拡大に向けて恵方巻きに続けと企画されたのだそうです。商魂につられて、買って美味しく食べました♪
   
初午や湯屋へと急げ江戸っ子だぃ
   

紋日に祝儀をおくなんて、全然知らなかったです。いかにもお江戸らしい習慣という気がしますね。
(こでまり)



お寿さんは独り身を通してきて、これまでの人生に物足りなさを感じてしまったのでしょうね。誰しも別の人生ならどうだったかな…と、省みることはありますね。
   
福寿草となりの庭に惹かれつつ
   




「御縁談の他に、お好きな方はいらっしゃらなかったのですか」
思い切って、るいが訊き、お寿は目を細くした。
  (略)
色っぽいことなど、ついに一度も口にすら出さなかったといった。
「福の湯」より
るいさんとお寿さんの会話がしっとりとした大人の空間をかもし出していて印象的です。焚き火のちろちろとした炎の効果で、二人の女性がしみじみ語り合えたのでしょう。るいさんが、その事を自分だけの胸に納める場面では、るいさんの人間性の高尚さを改めて実感しました。
   
落ち葉炊き本音いざなう微笑みや
   




「源さんの話だと、御牢内の新助はちぢみ上って、毎日、泣いてばかりいるそうだ。源さんの脅しは俺より本職だから、改心はしないまでも、信州まで行く元気は失せるだろう」
「福の湯」より
源三郎さんの厳しいお取調べは実際にはどんな風なのでしょうね?東吾さん達との会話とは全く声の調子も違うのでしょうか?このお話しでは、源三郎さんは気配だけの登場だったのがちょっと物足りないなぁ。
   
町廻り鬼と仏を使い分け
   




産んだ子供と心の交流の無い暮らしだから、なおさら産まなかった子供が愛おしく思われるのでしょうね。長男夫婦ときちんと財産分けをできるような話し合いも持てぬままに、店を出てきた親夫婦の心情が察しられて哀しいです。この後、息子と絶縁したまま老後を送ることになるみたいで、なんだか可哀想です。
   
ふる里に眠る子良い子ふきのとう
   

「ふる里に眠る子良い子」に二人の気持ちがよく表れていて、胸に迫ります。すみれさんも「ふきのとう」をお使いですね。こちらは赤ちゃんのようで愛らしいです。
(こでまり)
あたたかな御作にほっとします。亡くしたお子は、ふきのとうのように愛らしい赤ん坊のままなのでしょうね。
(はなはなさん)
はなはなさん、いつもはいくりんぐへ感想を寄せていただいてありがとう。最近は感想を書くのもご無沙汰していて申し訳ない(^^ゞ
(すみれさん)
すみれ様どういたしまして。こちらこそ、毎月勉強させていただいています。今月も本当に味わい深い「はいくりんぐ」でしたね♪
(はなはなさん)



下らないおまけもどき、優秀なご常連の方々に比べると、恥ずかしいの一語ですが、年寄りの脳トレだと笑って下さると救われます。
【ある夜、源三郎、お千絵夫婦の会話】
「源太郎はもう寝たのかい」
「はい、旦那さま。今日はかわせみのお吉さんがお風呂に呼んでくださいましてね。本所の宗太郎先生から体に良い薬湯の素をいただいたので、お入りになりませんか?って…折角のお誘いでしたので、源太郎ともらい湯をしてまいりました。そのお湯で温まりましてぐっすり眠ってしまいましたの」
「ほう…それは良かったな。薬湯ってのは、初午に福の湯で配っていたのじゃないのか?」
「それと似ていますけれど、枸杞(くこ)なんですって…お湯の色は少し茶色くて、ほんのり薬のような香りがするのですけれど、軟らかい感じでとても良うございましたよ。源太郎は子供ですから、なんだか変な色のお湯だ…なんて言っておりましたけれどね。私はいつものひどい肩こりが和らいだ心地ですの。それにこの寒さでも湯冷めがなくて、まだ体がぽかぽかしているみたい。」
「ほーぅ。それはますます良かったな…俺も近いうちに町廻りの途中にかわせみでその湯に入ってみようかな。」
「そうなさいまし。まだまだ寒い日が続きますしね」
「さぁ、もう休もうじゃないか…お前の体がまだ温かいか調べてみたいからな(笑い)」
「あら、旦那さまったら(恥)そんなつもりでお話ししたのではないのに…うふふ」
外は名残りの雪がちらちらと降り出している…春はまだ少し先の夜は更けていった。

おお〜、オマケをありがとうございます。どこが「年寄りの脳トレ」なんだか、春ですな〜(ポッ)
(こでまり)
「福の湯」、キイワードの一つは「一晩中」だったのかしらん♪千姫さんもはなはなさんもちゃんとはいくに詠まれているのに、ちゃちな会話でごまかした私…恥ずかしいです(>_<) バレンタイン中の源さん夫婦のラブラブ人形を眺めていたのと、源さんの登場がほとんど無かったので、勝手にお風呂に入ってもらいました。八丁堀の役宅って、内湯は無いで良かったのでしたっけ?
(すみれさん)
きゃ〜すみれさんたら、 源さんこんな所で「お調べ」モードになっちゃって、これも「お調べ」シリーズの一環と考えていいんでしょうか(笑)いやいやほんとにお千絵さんとの隠れラブラブっぷりには参っちゃいますね。この時は何も知らずに寝ていた源太郎クン、明治になっていい若者になりましたが、まだなのかもうなのか、麻太郎クンのほうは長崎で遊びまくったという実父の遺伝もあり何しろ19世紀のロンドンに行ってきたんですから、とっくに…だと思うけど(ああ妄想が尽きない)
(たまこさん)
きゃ〜すみれさんたら♪最近情念系にのっていますね先月もわぁ~というのがあったしーああ暑い〜お調べシリーズも快調ですね
(ぐりさん)
やはり皆さま「一晩中」に反応されていたんですね♪すみれさまには見事にやられましたねぇ♪お見事です。源さんもなかなかやりますね〜(うふ)
(はなはなさん)
すみれさんにも「きゃ〜」ですが、きゃ〜たまこさんまで♪おたま姐さん(>▽<)危ないってば〜〜(爆)
(のばらさん)
すみれさまのオマケは最高ですね♪この「一晩中」なんとか詠みたいと思ったのですが私には無理でした。
(麦わらぼうしさん)
「まだなのかもうなのか」
↑……うきゃー♪受けました!! 直球ですな。参戦したいですが、また次回に。
(浅黄裏さん)
もうはまだ也まだはもう也
こら〜引っ張るな〜〜〜
(たまこさん)
「まだなのかもうなのか」まさに名言ですね〜。私は謹厳なお兄様の薫陶よろしく「まだなのよ」に一票♪浅黄裏さまの参戦、待ち望んでおりまする♪
(はなはなさん)
「まだなのかもうなのか」姐さんだから出来る発言?なーんちゃって!
(あっちの管理人さん)
「一晩中」のキーワードからこんなに盛り上がってたんですね〜。乗り遅れたわ。
たまこさま!「まだなのかもうなのか」さらりと言ってしまうところが流石、姐さま。ウフフ、ロンドンでの麻太郎くん、確かに妄想が膨らみますねえ♪
(コシキブさん)



 麦わらぼうしさんの五七五 

あらためて読み返すと、いろんなエッセンスがあって、詠みごたえのあるいいお話ですね。お話はよくても句の出来はあいかわらずですが…先月は欠席してしまったので、とにかく参加する事が目標なので思い切って送ります。よろしくお願いします。
(麦わらぼうしさんの談)

「要するに、いかがわしいものかどうか調べてくれないかというのですよ。深川の福の湯という湯屋が延命長寿、無病息災と謳って売っているが、まやかしものではないかと心配しましてね」
万一、いい加減なもので、庶民をあざむいているのだと、ほうってはおけないというわけらしい。
「福の湯」より
別に社保庁だけじゃないですけどね、平成の世の役人や企業のトップたちには、ぜひ江戸の世の文吾兵衛の心意気を見習ってほしいものです。
   
社保庁よ弟子入りしたら?元締に
   

お役所はもちろんですが、やはり社会を支える市井の庶民のこういう感覚や心意気こそが、本当に大切なんでしょうね。
(こでまり)



「いいと思うようなお方には、もうお内儀さんがおいででした。私、それでも割り込んで行ける性分ではありませんし、あちらが私をどう思っていらっしゃるかもわかりませんでしたから……」
「そのお方は……」
「昨年、お歿りになりましたの」
「福の湯」より
お寿にとって、“そのお方”というのは見ているだけで幸せな気持ちになる憧れの存在だったのではないでしょうか。“そのお方”が亡くなって、生きる張り合いというか目標を見失ってしまったのでは。疲れがとれない、というのもそういった精神的なものが大きいような気がします。
   
舵無くし心は波間漂って…
   

50歳を迎えて不安なお寿の気持ちがよくわかる御作ですね。「そのお方」の死が引き金かもしれませんが、人生を駆け抜けてきた自分が急に愛しくなったのかもしれませんね。
(はなはなさん)



 bf109さんの五七五 


たまたま泊りに来たお寿も疲労をいやすためと聞いたので、そのまま、枸杞湯を続けていた。
  (略)
「お気に召しませんでしたら、今夜から、普通の湯に致しましょうか」
「いいえ。さっぱりとして、本当に疲れが癒されるように存じます」
「福の湯」より
世の中、幸せそうに見える人にもその人なりの隠れた部分があるのですね。人を羨むのはやめることにしたいと思います…。
寒い夜はお風呂が一番!
   
福の湯も 薬湯に入り福を呼ぶ 福と思えた おとりよへいも
   

「かわせみ」に泊ったことで、お寿さんも信濃屋さんも新しい福を見つけるきっかけになったみたいですね。人を見ていいな〜、羨ましいな〜と思うこと、私はイッパイありますよ!でもそれでひどく落ち込むこともない、お気楽な性分です。
(こでまり)
「幸せ〜ってなんだっけなんだっけ・byさんま」と思わず口を衝いて出てきてしまいました。ウィットの利いたbf109様は、今月も冴えてますね。
(はなはなさん)
拝見しました。UP、ありがとうございます。ほんと、月に一度の「脳トレ」になっています。
(bf109さん)



 はなはなさんの五七五 

毎日寒いですね。2月だから仕方がないんですが、立春を過ぎてから寒くなるなんて。そういう中でもやっぱり努力を怠ってはいけません(笑)、と自分を叱咤激励、やっとできました〜。
シングルにも、カップルにも考えさせられるお話でしたね。「結婚していれば今頃は」というのは、私のような者でもふと考える世迷言です。今さら取り返せるものでもなし、この選択に後悔しているわけでもありませんがもしかしたら違った世界を観ることができたかも、と思ってしまいます。でも、それは甘えか逃げでしかなく、本当は自分がどう生きていくかが問題なのですけれど。改めてそんなことを考えながら読むと、あちこちで「痛たたたた〜」と悲鳴を上げざるを得ずしぼりにしぼっても、やっとこの程度でした(涙)
(UP後に)
競作ポイントにも乱入できたし、自分なりの読み方・詠み方もできたし…ということで、自作のできばえには大いに反省ですが、とりあえずほっとしています。ご常連の皆様のあたたかで感受性の鋭い視点や御作に、感動しながら拝見しました。おるいさんの自分を戒める姿勢は、私のようなものにとっては大いに学ばなければならない点なのですが、ついついそこは自分の至らなさに悲鳴を上げつつ目をつぶってやり過ごしてしまいました(汗)ああ恥ずかしい。
(はなはなさんの談)

「私、とうとう一生を独りで来てしまいましたけれど、あのような御夫婦をみると、これでよかったのかと……」
「福の湯」より
お寿の気持ちは痛いですね。女一人で生きるには、心の中に強くかたい「芯」のようなものがなくては到底無理だと思います。お寿も五十を迎えて、その芯を持ち続けるのに疲れたのでしょうか。そんなときに幸福そうな老いを迎えた信濃屋夫婦の様子に、自分の人生が枯れ果てた荒野のように思えて、枯野に野火が燃え広がるように切なくなったのではないかと思います。るいにとっても東吾を待ち続けた心細い日々が、幸せな今でもぱっとよみがえってきたのかもしれません。
   
かへりみれば野火が身を走り過ぎる
   

「かわせみ」に来るまでのお寿さんは、あまり自分のことをマイナスイメージでとらえていなかったと思うんです。仕事も好きみたいだし。それが信濃屋の二人を見た時にふととらわれた思いを「野火が走る」と詠まれたのは、なるほどと思いました。一瞬で感傷にひたるようなところ、女性にはありますよね。でもそれが過ぎたらいつまでもそこに身をおいていない大人の分別も、お寿さんには感じました。
(こでまり)



「子供の時から許嫁だったのに、水呑百姓でなかなか祝言もままならない。そのうちにおとりさんのお腹に赤ちゃんが出来て、泣く泣く水に流したんだそうですよ。(略)そうなってみると、最初の子供が不愍で不愍で、夜もねむれなくなったって、おとりさん泣いていましたよ」
「福の湯」より
与兵衛とおとりも、今はおだやかな余生を送る、幸せそうな老夫婦ですが、自分達が生きるために授かった子を流した過去があり、わが子の新助の乱暴に悩む親でもあったのですね。産むことができなかったわが子の面影は、雪解けの水に流されていく氷のかけらのようにはかないものではないでしょうか。おとりには自分達が生きるために、自分で手にかけたも同然のわが子がいたわしくて、たまらない思いだったでしょうね。
   
手にかけし子の面影や浮氷
   




お寿の迷いもまた、いまや取り返すことの出来ない世迷言です。でも本人にとっては苦しいものです。一見幸せそうな信濃屋夫婦にもまた、苦しい過去があり、実の子とも心が通じ合わない苦しみがあります。また、るいと東吾にも、悲しい別れがやがて来ることを、私たちは知っています。その苦しみは誰にもどうすることもできなくて、みな胸のうちに隠して生きていくしかないのだなぁ、と切なく思います。
うーん、物語に付き過ぎていますね〜。もっと軽やかに詠んでもいいかなぁ〜と思ったのですが、お話の重さを私なりにまっすぐに受け止めて詠んでみたかったので。
   
煉獄は胸に秘しそれぞれの春
   




おまけ♪
枸杞湯の恩恵にあずかる宗太郎・七重&東吾・るいなのでした(笑) 「うーん、宗太郎のヤツ。いまいましいけど冬はやっぱり枸杞湯だな♪」by東吾
   
ほとぼりの醒めぬ身抱いて余寒かな
   

ふふふ、さすがはなちゃん、このポイントは外しませんな。でも東吾さん夫婦や宗太郎さん夫婦の隙間をついて、すみれさんが「源さん&お千絵さん」でオマケに仕立てたのには、やられた〜って感じですね。
(こでまり)



 あっちの管理人さんの五七五 

今月はお休みさせてもらおうかと思いましたが、今年の目標はめざせ皆勤賞というのを思い出して、なんとか3句出来ましたので送ります。アップはとっても楽しみだけど焦らず待ってますから、無理しないでボチボチやって下さいね。
(UP後に)
ワーイ、一番乗り?ちょうどいいタイミングで「福の湯」がアップされて拝見して来ました!地味なお話だけど、しみじみと考えさせられるいいお話でしたね。るいさんとお寿さんの焚火のシーンとるいさんの気遣いが競作ポイントでしたね。すみれさんのオマケに思わず「源さんったら!」と思ってしまいました(笑)
(あっちの管理人さんの談)

つまり、今日、「かわせみ」の湯舟の中に入っているのは、お吉が行列して求めて来た福袋なので、
「深川は長助親分の縄張りですから、あそこの若い衆に頼んでもよかったんですけど、こういうことは、やっぱり思いついた者が自分で出かけませんと、御利益が薄いんじゃないかと思ったもんですから……」
「福の湯」より
例によって好奇心旺盛なお吉さんが貰ってきた妙ちきりんなもの(と言っては可哀想だけど)っていくつかありましたよね。「福の湯の福袋」、「お仏供の湯」等々。今回は早速東吾さんがお風呂に入れられていましたが、お吉びいきの東吾さん、寒空に行列して買って来たお吉さんに「あったまるな」と気づかってましたね。
   
春寒に 福の湯つかり ぬくぬくし
   

実は欠席届を下さった茜雲さんが「お仏供の湯」のお話と間違えられていたんですが、あれもお吉さんの主人思いから出たことでしたよね。東吾さんの気遣いも「ぬくぬく」ですね。
(こでまり)
東吾さんの心遣いのあたたかさは、きっとお吉さんにも伝わっていますよね。「お仏供の湯」のときも思いましたが、お吉さん流の忠誠は、くすっと笑えて、決して重苦しくないのが嬉しいですね。
(はなはなさん)



「かわせみ」一同が、やれやれと安心しているところへ、今度は長寿庵の長助がやって来た。
信州から良い蕎麦粉が届いたからとかついで来たものだったが、
「ちょっとばかり、お願いがございまして……」
「福の湯」より
いつもせっせと「いい蕎麦粉が入りましたので」と訪ねてくる長助親分、目的は東吾さんのお知恵拝借!?いえいえ長助親分のことだから、やっぱり東吾さんに美味しい蕎麦がきを食べて欲しいと思ってのことですよね。
   
蕎麦粉付き お知恵拝借 春浅し
   




もう若くはない初老(決して50歳が初老とは思っていませんが、当時はということで)の女が自分の来し方をこれで良かったのかと振り返る。幸せに年を重ねた夫婦を見、思い思われた男と見事添い遂げたるいを見るに つけ、その思いは益々強くなる。でも羨ましいと思った夫婦にも言えぬ事情があった。冬に足踏みしていた一人の女が春の訪れとともに明るく歩き出す結末が爽やかでした。
   
啓蟄や 人の心に生まれいづ
   

心も啓蟄を迎える、そんな風に考えたことがありませんでしたが、なんだかのびのびとした爽やかな気持になりますね。
ところで平岩先生的には「四十で初老」でしたよね。(by七夕の客)……読んだ時ガックリしました。
(こでまり)



 千姫さんの五七五 

「福の湯」は大・大・大好きなお話です。最初に読んだ時も好きな物語だなぁって思っていたけれど、今回読み返して、現在の私と似ているお寿の立場や考えにホロリとなったり、お寿に対する、るいの思いやりに武士の出らしい女性の清さ、潔よさを改めて感じてるいの事が益々好きになりました。私にもこういう友人が居て「ありがたいなぁ」と感じる今日この頃です。
(千姫さんの談)

いくらお吉の忠義心とはいえ、あまりの匂いに窓を開けて風呂に入っておりました。湯船から月を見ていると、目までチカチカしてきて…これが本当の「朧月…。」by東吾
   
薬草香月もおぼろにかすみけり
   




「拙宅でも、義父上のお気に入りで、ときおり、試みておりますが、七重の体がひと晩中、温かなのですよ」
宗太郎の話がきわどくなりかけて、東吾は派手に咳ばらいをした。
「なんてことを、子供の前でいうんだ」
「別に、体が温まるのは可笑しなことではありません。花世もちゃんと入っています」
「福の湯」より
宗太郎は真面目な東吾をシラっとからかうのが上手。東吾を騙せても、私が代わって突っ込みましょう。
   
「ひと晩中」その言葉がきわどいの!
   

宗太郎さんの前では、全然突っ込み返せない東吾さん。お千ちゃんのひと言、決まってます!
(こでまり)
このびっくりマークがイケてます♪このツッコミ、宗太郎先生も苦笑いですね〜。
(はなはなさん)



焚火の煙が空へ流れるのを見送るようにした。
  (略)
話して、少しだが心が安らいだといい、お寿はそっと焚火の傍を離れて、藤の間へ戻って行った。
「福の湯」より
お寿にとって(私も)過ぎた人生は、その時、その時を精一杯生きてきて、振り返って何も残っていないけれど、後悔もない…そんなささやかなことが幸せなんだと、思える事に気付くことが大事なんだなぁ、って思います。
   
振返り煙の行方うららけし
   

お千ちゃんのこのコメントも、心にとてもしみました。今月このお話を選んで良かったと、またまた思いました。
(こでまり)
後悔もない、というささやかな幸せ…。それが感じ取れる感受性を育てていけたらな、と思います。
(はなはなさん)



 コシキブさんの五七五 

2月のお話「福の湯」は、宿屋ならではの人生模様を描いたお話として私の中では印象に残るもののひとつです。中でもお寿とるいがかわせみの庭で会話する静かなシーンが好きです。お寿の話に同感しながらも、いまは東吾 と結ばれて幸せなるいが優越感を持たないように自分を戒めるという細かい気遣いに感動しました。
(UP後に)
いつにもまして、今回はコメント部分に 共通の視点が多かったように思います。なかなか深い味わいのあるお話でしたね。
(コシキブさんの談)

日本人は今も昔も福袋が好きなんですねー(^_^;) 福をもらいに行列ができれば、お店にしてみればそれが商売繁盛という福になるわけで。こういうお吉のノリを困惑しながらもかわせみの人たちは楽しんでいるみたいですね。
   
料峭に列を作るや湯屋の福
   

「料峭」……ご記憶の方もいると思いますが、以前七歩さんがお使いになって「何て読むんですか」と話題になった季語でしたね。それなのに、またしても意味を調べた私です(恥)
(こでまり)



「私、父がなまじっかなものを残してくれなかったら、と思ったこともございます。でも福の湯があったからこそ、この年まで何不自由なく生きて来ることが出来たのですし、女だてらに商売に精を出すのも、けっこう、面白うございました」
「福の湯」より
お寿は寂しげな女性という印象を受けますが、本来は商才のある、いわゆる「出来る女性」だったのでは、と思います。商売に一息ついて骨休めしたかわせみで、偶然、東吾とるいのいきさつを聞いたり仲のいい信濃屋夫婦を見てしまったりして、ふと思うところがあったのでしょう。るいにうちあけ話を聞いてもらったり信濃屋の一件を聞いてふっきれた部分もあったようですね。番頭が迎えに来て帰るという最後は寂しいようですが、おかみの顔を取り戻して今頃は商売に励んでいるのでは、とも想像されます。
   
如月の宿より眺む川景色
   

水辺というのは、精神衛生上とてもいいと聞いたことがあります。日頃同じ川を深川の方から見ていたとは思うのですが、人生の節目のような日々を大川端のかわせみで過したことは、お寿さんにとって良い時間になったのでしょうね。
(こでまり)



信濃屋夫婦は最初の子を水子に流してしまったので、新助を甘やかして育ててしまったのでしょうか。それにしても壮絶な?親子関係ですね。水子の供養は果たせても、もう一人の息子を育てなおすことは出来ない事を後悔して暮らすのでしょうか。
   
老いてなほ残した思い寒き春
   




嘉助がそっとるいにささやき、るいは黙って東吾の袴の手入れをはじめた。
おだやかな春の一日、だが、明日の天気は誰にもわからない。
江戸は、やがて、地面から虫の這い出して来るという、啓蟄の日を迎える。
「福の湯」より
(最後、黙って東吾の袴の手入れをするるいの場面です)様々な人生模様を垣間見てしまう宿屋商売。でも一人見送ればまた次のお客が来るわけで、るいの態度は意外にドライに思えますが、長年女主人としてやってきて身に付いた秘訣なのかもしれません。東吾の妻としての時間を上手く気持ちの切り替えにしているようなのも流石です。
   
春の雲ゆるりと動く妻の刻(とき)
   

ここは独占ポイントですよね。「春の雲」もステキですね。こういう幸せを、お寿は求めていたのではないでしょうか。
(はなはなさん)



 浅黄裏さんの五七五 

お寿さんの想っていた人はどんな人だったのでしょうか。弟さんが弟子入りした医家関係の人かとも思ったのですが「お内儀さん」がいたということは町人だったのかもしれませんね。お寿さんの疑心暗鬼の中には、財産狙いの人の他に弟さんがらみの「口利き」志願の人もいたのかもしれませんね。自分の家の財産だけならまだしも弟さんの関係までは決して迷惑を掛けてはいけないという心のバリケードが、強くあったのかもしれません。 …と、今月も脳内劇場が止まりませんです。
(浅黄裏さんの談)

そのお寿が年のせいもあるのだろう、このところ、疲れがとれない、といって、遠くの温泉場へ湯治に出かけるのでは店も心配だし、どこか近くで二、三日、商売を離れてゆっくりしたいので、大川端の「かわせみ」に頼んでもらえないかと、長助に相談したのだという。
「福の湯」より
気を張って働いてきて、気付けば五十歳という時に自分を休めてみたくなったのも無理ないことだと思います。そういう時に「かわせみ」を思い付いたのも「天の配剤」というものでしょう。これからも時々「かわせみ」に来て休んでいってほしいと思いました。
   
休らへと春の雨中で独り言つ
   
肩越しにふと振り返る午祭
   

お寿さんにとっては間違いなく「忘れられない癒しの日々」になったことでしょうね。「初午の後にはかわせみへ♪」が恒例になってくれたらと、私も思いますです。
(こでまり)
「休らへと」いいですよね。春の雨は優しくて、つい自分を甘やかしたくなったのかもしれないですね。
(はなはなさん)



翌日、春たけなわのような陽光がふりそそぐ中を、与兵衛夫婦は、予定通り、大川端を発った。
「福の湯」より
働きづめで息子夫婦とも分かり合えない日々であったなら、江戸での塵は江戸に置いて、供養と癒しの旅をしてほしいと思います。
   
春塵を洗い落として信濃旅
   




朝晩親御さんのご位牌を拝む時には、かつて想っていた人にも花を供えていたように思います。
   
昔日の想ひに供ふ黄水仙
   

全然思いつかなかったことですが、きっとそうなんでしょうね。「黄水仙」がとてもいいと思いました。
(こでまり)



 のばらさんの五七五 

毎度駆け込みですいません〜〜。でも参加できそうでうれしいです!お世話になります(^-^)
お吉さんの「流行り物ゲット&講釈エピソード」、泊り客としてやってきた福の湯のおかみさんのお話とそれを聞くおるいさんの場面は切ないけれど少し物憂げな春の夜らしく、かわせみらしさがギュッとつまったお話に思えました。
(UP後に)
参加できてホッとしてたんですが、なるほど、ここは考えてなかったなとか今さらながらにうなったり納得したりしています。物語を深く読まれているお句がいっぱいで、しみじみ拝見しました。
(のばらさんの談)

「奇妙きてれつなんておっしゃっちゃあいけません。初午に福の湯に入ったら無病息災、延命長寿疑いなしの上に、福が授かるっていうんですから、今日の福の湯は、夜明けから長い行列が出来ているんです」
「福の湯」より
得意満面で講釈をしているお吉さん。きっと鼻の穴も膨らんだのでは〜(^m^) (ちょっとひねりすぎですね・汗)
   
啓蟄に先駆け開く鼻の穴
   




興味のない人から見たらなんでもない、ささいな、たいして価値も意味も無いこと。
福の湯の「薬湯のもと」からそんな小さな暖かさを連想し、おるいさんやかわせみファミリーの作ってきた「かわせみ」を連想しました。
東吾さんとおるいさんの絆もずっと手のひらに合った。それをいつも見失わずに来たからこその、この日々なのだろうなあとも思えました。
   
手のひらの福をあたため春来る
   

「手のひら」に握れるくらいのささやかなことを、大切にしたり有難いと感じられる心が、「福」そのもののようですね。
(こでまり)
いいなぁ〜。自分に見合った幸せが「手のひら」という言葉に集約されているのですね。背伸びしても不幸になるだけなのかもしれませんね。
(はなはなさん)



 紫陽花さんの五七五 

最近なんだかくたびれちゃってちょっと横になると寝てしまいます。そのくせ単純なゲームをテレビを見ながら2時間もやっていたり…「かわせみ」にお宿をとって2,3日こもっていたい気分です。
(紫陽花さんの談)

「人の一生はやり直しの出来るものではありませんが、こちらへ来て、あのようなよく年をとられた御夫婦をみましたら、なにやら、わびしくなって、せめて、おるい様に私の気持を聞いて頂きたくなりました」
「福の湯」より
落ち葉にくべて、“灰”にしようか、“煙”にしようか迷ったんですが、最近流行の“風”にしてみました。
   
つぶやきを落ち葉にくべて風とする
   

う〜、いいですね〜このお句。「風」も正解!「つぶやきを落葉にくべて」っていうのもいいし、下五の「風とする」も肩肘張ってるわけではないけど、前向きな感じがして好きです。
(こでまり)
これも胸に落ちてすーっと染み込んでいくような御作ですね。 こんなふうに自分の人生を見つめられたら良いのに。
(はなはなさん)



とにかく、お入り下さいとせっつかれて、東吾は風呂場へ入ってみた。
湯の色は茶っぽく、まるで風邪薬でも煎じたような匂いがするが、入ってみると湯触りは悪くない。
「福の湯」より
オマケ…お風呂場再び登場(手抜きともいう)

手抜きだなんて、何をおっしゃいますやら。全体に茶色なのに、パーツによって微妙に色が変えてあってさすがです。お湯につかっていてもお茶が入ったままの湯のみって、律儀(?)ですね。
(こでまり)
紫陽花さんのオマケも芸が細かい!宗匠のコメントも爆笑ですし茶托のみずすましごっこ(?)も面白いです。
(たまこさん)
今月もおまけ一杯で楽しめました、茶たくと湯飲みの入っているのも薬湯でしょうか?
(ぐりさん)
紫陽花さまのおまけは「手抜き」ではなくて「応用」というのでは?(笑)彼らも薬湯に浸かって今頃はほっこりしていることでしょう♪人だけでなくもののけにも施湯♪
(はなはなさん)
「湯の色は茶っぽく」を読んで私は茶色のことかと思ったのですが、彼らが入っている湯はお茶の色。これってお茶所駿河の国の紫陽花さんらしい色使いなんだなあと、密かに感じ入っています。
(こでまり@深読み)



 ぐりさんの五七五 

このお話は派手なところは少しもないのですがしみじみ人生を考えさせるお話ですね好きなお話です
(UP後に)
るいさんの心遣いも心の綺麗なひとだなーと思って一句いきたかったのですが 浮かびませんでした、梅香る、黄水仙、ふきのとうの使い方がいいなーと思いました、花の持つ季節感があかるさや綺麗な心かわいらしさを感じました かわせみを読み始めたときと今とではとらえ方も少し違うかもしれないです
(ぐりさんの談)

この頃は母親に躾けられたのだろう、きちんとすわって両手をつき、
「とうたま、ようこそ、おいでなされまちた」
というのまではよいが、あとはぴょんと抱きついて来て、東吾の肩にしがみついたまま居間へ行く。
「福の湯」より
小さなころの花世ちゃんの描写本当に可愛くて抱きつかれたら東吾さんでなくても可愛くてしょうがなくなりそうですね お転婆できかんぼうで個性的な花世ちゃんやっぱり大好きです(あの時代だめな女のイメージですけどでも補うだけのみょくのある子だとおもいます)
   
もみじの手 ふわりまとわる 春隣
   

さすが「花世ラー」のぐりさん、このポイントは見逃しませんね。「ふわりまとわる」は、実感なのでしょう、私には出てこない表現だなあと思いました。
(こでまり)
優しい表現ですね。子どもの手のぬくもり、やわらかさが伝わってきますね。
(はなはなさん)



人生の晩年を迎えて、夫婦は漸く、若い時の悲しみの帳尻を合せようと、故郷へ帰って行った。
「福の湯」より
与平衛さん夫婦が若い頃流してしまった子が気がかりでしょうがない(生まれなかった子は可愛くてしょうがないと後悔もあると思いますが)供養のためにも 信州に帰ることにしたのはどうしょうもない今の息子と多分似たものであろう嫁へのがっかりとした気持ちもあるのでしょうね 孝行息子だったら信州までには帰らないんではないでしょうか?
   
過去の日へ 清算をしに 冬が尽く
   




宗太郎さんのおかげで風邪ぐらいではあわてないかわせみですね
   
かわせみも 名医なりけり 風邪なれば
   




自分の胸の内を聞いてもらうことでなんとなく荷が降りるというか気が済むというかそういうことありますね
   
庭焚き火 女が二人 ぽつぽつと
   

長年商売をしてきたお寿さん、人を見る目もあったでしょう。三日目に自分から声をかけてきた時には、おるいさんの人柄を見極めていたのでしょうね。ちょうど庭で焚火をしていたのも、心の内を話すのにはよい状況だったと思います。
(こでまり)



福の湯のお寿は、大変喜んで、今夜から御厄介になりたいと一刻ばかり後に「かわせみ」へ向うという。
「それじゃ、お炬燵に火を入れませんと」
お吉があたふたと炭火を運び、火鉢にかけた鉄瓶から白い湯気が立ち上る頃に、長助が自分でお寿を案内して来た。
「福の湯」より
火鉢には炭が起き炬燵をいれ暖かい部屋でお客を迎える お客様もほっとしてくつろげますね 今では宿屋の基本ですが江戸のころはどうだったのでしょうか
   
置炬燵 火を入れ客を 待つお宿