いつも「現場検証」でお世話になっているたまこさんですが、日頃から何事にも観察をおこたらないようで、ふと目にした石碑から、こんな素敵な「オマケ」を作って下さいました。
今回は中編のようですよ〜♪
どうぞお楽しみください。
(平成20年1月)



春 風 上 野 (一)




「ねぇ、本当にあきれてしまうでしょう」
お千代は、香りのよい紅茶のカップをテーブルに置きながら、憤懣やるかたなしという様子で、千春に向かってため息をついた。
もっとも、4人の子の母親になっても、娘時代の童顔とおっとりした雰囲気を失っていないお千代のことで、言葉ほどには怒っているように見えないのだが、幼馴染の親友の気安さで、千春の返事も聞かず、さらに言葉を続ける。
「うちの人だけならまだわかるのよ。あの人が、馬鹿みたいなことにすぐ夢中になるのは、子供の時からよく知っているんですから。あきれるのはお兄様ですよ。最初は 『弥三郎のやつ、いい歳をしてそんな遊びに熱中しているのか。よし、俺が剣術の稽古でしごいて、目を覚まさせてやるぞ』 なんて見得を切っていたくせに、今じゃ日曜日になれば、自分のほうが大張り切りで、朝早くからうちの人や子供達を誘い出しに来るんですから。それも今日は、こでまり宗匠がはるばる越前からお見えになっているというのにねぇ」


「でも、源太郎さんも弥三郎さんも、そんなに夢中になってしまわれるなんて、よっぽど面白いものなんでしょうねぇ、そのベースボールとかいうの」
千春は優雅な手つきでカップを受け皿に戻しながら、のんびりと応えた。
「どこが面白いものですか。小さな毬みたいなものを追いかけ回して、走ったり転んだりするなんて。着ている物は泥だらけになるし…」
「毬」という言葉に反応したのか、安楽椅子でこくりこくりと船をこいでいたこでまりが、きょろりと目を開けた。
「宗匠様、お国のほうでも、そのベースボールとかいうもの、殿方たちの間で流行っていますの?」
千春の問いかけが聞こえたのか聞こえなかったのか、こでまりは2人の顔を交互に見やって、しみじみと言った。
「まぁ、おるい様もお千絵様も、本当にいつまでもお変わりにならずお綺麗で…私はすっかり年老いてしまいましたよ」
そこへ、小さな女の子がちょこちょこと走りこんできた。
「まぁまぁ、千春ちゃんかしら、お千代ちゃんかしら、すっかり大きくなって。おいくつになられたの」
「あたしは千花子ですっ!千春おばさまはそっちで、こっちがあたしのお母様よ。それにお千絵はお母様じゃなくってお祖母様だわ」
「千花子、なんて口のきき方です、宗匠様に失礼でしょう。宗匠様はね、遠くから江戸に出て来て下さって、久方ぶりにお目にかかったのだから、うっかりなさっても当たり前でしょう」
「あらあら、そうそう、千花ちゃんねぇ。お千代さんのお子さんがこんなに大きくなるなんて…すっかり老いぼれて間違えてしまいました。これでは、こでまりじゃなくって、ぼけまりですわ」
「お母様だってぼけお母様〜〜東京のことを江戸だって」
「本当に、お行儀が悪くて困ります。末っ子でつい甘やかしてしまって」
「お母様、お父様たちどうしてあたしだけ置いてきぼりにしたの、ひどいわ、あたしだってベースボールしたい!」
千花子はお千代の腕をとらえて揺さぶりながら叫んだ。
「女の子がベースボールなんて出来ませんよ。一日中外を走り回って真っ黒に日焼けなんかしたら、お嫁に行けなくなってしまうわ」
「だってお姉様は一緒に行ったのに、ずるいずるい〜」
「弥絵子はかわいそうに、お弁当の番をするのに連れていかれたのですよ。ちゃんと日陰の涼しい所に座っているかしら、全くうちの人もお兄様も…」
「あ、花世伯母様だ!」


女中に案内されてこちらへ来る花世を目ざとく見つけた千花子が居間から飛び出すと、花世の腕にぶらさがるようにして一緒に入って来た。今度は花世に向かって、しきりと訴えている。
「まぁ、せっかくの日曜日なのに、千花ちゃんを置いてきぼりにして自分たちだけ遊びに行ってしまうなんて、悪いお父様と伯父様だこと。いいわ。私が連れ戻して来てあげる。だいたい、源太郎さんもこのごろ、お休みでも家を留守にしてばっかりで、私も文句を言おうと思っていたのよ。場所は上野のお山でしたよね。どうもうちのお父様も一緒らしいのよ、全く年寄りの冷や水だというのに…私がガツンと言って、皆まとめて連れ戻してきてあげます」
「まぁ、お義姉さま、いらっしゃったばかりで、せめてお茶でも飲んでいって下さいな」
お千代の声も聞こえないらしく、花世は袴の裾をひるがえすと走って出ていった。
「相変わらずねぇお義姉様は。でも、お義姉様がお出ましになったら、もう大丈夫だわ。なにしろうちのお兄様は、お義姉様には昔っから全然頭があがらないんだから」
「うふふ、どうなることか…」
千春はちょっと首をかしげて忍び笑いをした。
つづく
春風上野(二)