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 女師匠
「宝船まつり」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
先月の「鯉魚の仇討」にご参加くださいました皆様、またご覧下さいました皆様、ありがとうございました。

さて、今月は「女師匠」を選びました。

お話は、皆の止めるのも聞かずに、お吉さんが大安売りに出かけるところから始まります。東吾さん、るいさんのためにも、自分のためにも、とても良い買い物ができたと喜んだお吉さんでしたが、店の表に出たとたんに若い娘とぶつかってしまい、一分のお金をまきあげられることに……。
その二人と、彼女らを預かる寺小屋の女師匠をめぐるお話です。


さあ、今月はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成十九年五月)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
折角締切りが遅くなったので参加出来る〜と思ったけど、
やっぱり出来ない!
今月はみんなのお作を楽しませてもらう側にします。
宗匠もいろいろ忙しい中、どうぞ無理しないでぼちぼちアップ作業してね。
(あっちの管理人さん)
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今月はねばってみたけどとうとうギブアップして、みなさんのお作を
楽しませていただくことに致しました。宗匠も↓でお書きのように「なるほど〜!」と
思わず納得したり、「やられた〜!」と感心したり。
「女師匠」地味な作品で内容は重いものがありますが、みなさんが
登場人物それぞれの心情に深く踏み込んで素晴らしい作品が揃いましたね。
また週末じっくり拝見させて頂こうと思います。
宗匠、すいません、今月はお休みさせて下さい。
がんばったら出来るかな、とおもってたのですが、
ぼやーっと浮かぶもののそこからまとまらないのでギブアップします。
皆さんのを楽しみにしてます。
(のばらさん)
せっかく締め切りが伸びたというのに、あの後じたばたしているばかりで、
結局何も形になりませんでした。
言語化するのが 難しいお話というか、何というか…いろいろと考えさせら れ、
ここは何とか詠んでみたい、などと思っていたのに、残念です。
そんなわけで泣く泣く欠席届を出させて頂きます…
↑あー、これももっと早く出すべきでした〜!ごめんなさい!
もし来月参加できるようでしたら、その時にはまたどうぞよろ しくお願いいたします。
(じゃからんださん)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 麦わらぼうしさんの五七五 

改めてじっくり読むと、いろいろ考えさせられるお話ですねぇ〜うちも年頃の子供がいるから、なにか他人事には思えないです。全体的に重い雰囲気の中で、お吉のバーゲン大好き気質や、三人で五月人形を眺めながら柏餅を食べるところ、兄上が長助たちに砂糖を送るところなど、ホッとさせられる場面がちりばめられているのが好きです。
 (UP後に)
今月(六月)のお題も発表されましたね。 う〜ん、いいお話なんだけど難しそう〜(←いつも言っている…) なんとか今月も参加できるようがんばりたいです。その前に「女師匠」の感想送ります。
(麦わらぼうしさんの談)

源三郎が羽目板のほうをふりむいた。
「東吾さん、おまたせしました」
「なんだ、気がついていたのか」
「障子に影が映っていますよ」
「女師匠」より
ここ、源さんは実際影も見ていないと思うのですよ、だって、ふりむいて東吾さんに声をかけたのですから。こういう状況の時は必ず東吾さんが来てくれる、影など見なくても気配でわかる、という二人の心の結びつきを感じました。
   
影法師見ずともわかる友の顔
   

おおーっ、私は見てから言ってると思ってましたが、気配で感じていたんですね。目からウロコでした。
(こでまり)
「障子の影」ですが、麦さまの「見ずともわかる」には、やられた〜〜!です。そういえば他のお話でも、「そろそろ東吾さんが来そうな気がして」足を止めていたりということがありましたよね。むはは東吾さんと源さん、青い(?)糸で結ばれているのかも(^O^)
(たまこさん)
そうか〜源さんには東吾さんの気配が見なくてもわかるのか!むむむ〜アヤシイ〜(きゃ)ではなくて(爆)やはり幼馴染なんですねぇ(^^♪
(はなはなさん)



真新しい馬の人形を眺め、麻太郎と馬術の話をしながら、東吾さんの胸の内には、晴れて父と子として共に駆け巡りたい、という願望がしまい込まれているのでは…と想像しました。(天は“そら”と読んで下さいませ…)
   
駒並べ天を駆ける日夢に見る
   

フリガナをふらなくても「そら」と読めそうなお仲間が、いっぱいいそうですね。
(こでまり)
こんな時間を過ごすと「娘」の父親としてだけでなく、「息子」の父親でもありたいという気持ちが疼いてしまいそうですね。そんな東吾さんの心情をうまく汲み取ったお句だと思いました。
(浅黄裏さん)
私も同じシーンを詠ませてもらいましたが、東吾さんの切ない気持ちが伝わってきます。「天」はやはり「そら」ですよね♪
(はなはなさん)



 すみれさんの五七五 

親子、師弟のコミュニケーションの難しさは古くて新しい課題ですね。もつれてしまうと修復がしづらくなるのも古今東西共通の悩みのようです。
(すみれさんの談)

「よい日にお出かけくださいました。いつも、お買い上げ下さいますのと同じ品が、今日は三割引でお求め頂けますので、どうぞお好きなだけおっしゃって下さいまし。のちほど、小僧がお届け申します」
といってくれたので、るいと東吾の分にはいつもの上等の品を、それより安い自分達のも含めて、およそ半年は間に合いそうなだけ買い込んだ。
「女師匠」より
お吉さんのバーゲン好きに共感してしまいます。沢山買い込まぬつもりで出かけても、皆の熱気である種のプチ催眠状態になりますものね♪今も昔も買い物はストレス解消の娯楽でもあります♪朝刊のチラシを見るのも大好き♪
   
楽しみは安売り店の賑わいにあれこれ迷い買い集う時
   

久々に「独楽吟」で詠んでくださいましたね!
最近の私はバーゲンに行くことは少なくなりましたが、ネット上のお店で「クリアランス」の文字を見つけると、すぐクリックします。時間があっという間に過ぎちゃいます。
(こでまり)



あっという間に時刻が過ぎて、東吾は義姉に訊いた。
麻太郎と過す時はこの上もなく楽しいが、自分はあくまでも叔父だというけじめをつい忘れそうになるのが心もとない。
「女師匠」より
東吾さんと麻太郎さんの二人の時間をさりげなく配慮してくださる兄上夫婦の大きな愛を感じます。東吾さんもそれに甘えてはいけないと自制しながら、子の成長に胸が切なくなるのでしょう。
   
茶で濁す父の幸せ柏餅
   

「茶で濁す」が上手な表現ですね〜。東吾さんが己を律しながらも味わう幸せ、柏餅みたいに甘かったでしょうね。
(こでまり)
自制しながらも麻太郎と過ごす幸せ…本当に上手な表現です〜!
(麦わらぼうしさん)
皆様すごいですね、本当に短い句の中に、あの話の場面がぱっと浮かぶというのはある意味で神業だと思いました。個人的にはすみれ様の2つ目の句が好きです。
(蕭風庵 さん)
蕭風庵様、拙句に嬉しいコメントをいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
(すみれさん)
「茶」は苦くて「柏餅」は甘い。東吾さんの心のうちそのままのように表現されたお句ですね。
(浅黄裏さん)



お照には杉江さんが本当に親身に心配してくれているのは、分かっている。杉江さんに母親の愛の代わりを求めているのかもしれません。心配してくれる=自分の事を気に掛けてくれる=愛してくれる…若者のねじれた気持ちが愛しいです。大事な人への恩を仇で返す仕打ちをしたお照さんですが、救いのある終わり方なので、なんとかトンネルの向こうに出口の明るさを見た思いです。
   
師の「禮」に返禮いつか天邪鬼
   

【参照】
  今は亡き杉浦日向子さん著
  「お江戸風流さんぽ道」第一部第四章「江戸の町…十八 みち」より
『江戸の寺子屋の教育の基本は、ただひとつ「禮」(れい)でした。
禮を尽くす人になれと教え育てたのです。
禮とは豊かさを示すと書きます。
豊かさとは心の豊かさで、自分自身の心が満ち足りていなければ、他者を敬ったり、許したりできないということです。』


希望のある御作でこちらまであたたかい気持ちになってきます。せめて杉江にだけはお照の気持ちが届けば良いのに、と思います。
(はなはなさん)



 千姫さんの五七五 

こんにちはー。「女師匠」ってどんなお話だったっけ?ってくらい、記憶にありませんでした。はいくりんぐのお題のお陰で読み返し、初めて読んだ当時とは自分自身の生活環境の変化もあって、涙なくして読めない…ついでに五七五も詠めない…あっ、これはいつもの事でした、あはは。
(千姫さんの談)

私は「3割引」と書いてあったら、先ず「正札の値を十で割って、三倍にして、んでもってそれを正札から引く」のです。計算に時間がかかるし、正確な値段が出せなくてイライラして「安いかもしれないけれど今、必要ない」って買う気が無くなってしまいます。うふふ、計算の弱い私にはピッタリでしょう。
   
三割を パチパチはじく 頭ン中
   

あら〜、やんわりした姫路言葉で、もっと値切っちゃうのかと思ってました。イカンイカン、先入観!
(こでまり)
千姫さま、同じです〜!本当は三割引なら「正札×0、7」が一番早く答えが出るんですよね、でもそれがとっさに出来ないんです…(^_^;)
(麦わらぼうしさん)



「家へ戻って、思い切って父に申しました。赤い塗り櫛が欲しいので、お金を下さい。父は財布を渡しました。櫛の値など知らぬから、この中から持って行くようにと……。私、あんまり簡単なので、びっくりしました。そのことがあってから、父は私に財布をまかせるようになりました」
「女師匠」より
財布をまかせるようになったくだりが切ないです。男親って、解っていても何も出来ないもどかしさや、伝えきれない思いをぐっと飲み込んで寡黙になっていくのでしょうか。杉江の父は櫛の美しさより、小さな手で炊事や裁縫をしている姿が、愛おしく美しいと思えたのでしょうね。
   
藤の下 素顔をほめる 男親
   

全てかどうかはわかりませんが、男親って娘に対しては、こういう感覚の方が多いのでしょうね。杉江さんの父親は口に出して「ほめる」ことはなかったように思いますが、一度でも言葉にしてほめめてくれたら、何かが変わっていたような気もします。
(こでまり)
某ハリウッド映画では、当初はラストシーンで日本人である男親が娘に『愛してる』と声をかけるという設定になっていたそうです。それをその男親役の役者さんが「日本人の父親はそんなことは言わない。言うなら『元気で』とか『気をつけてな』くらいだ」とアドバイスして、結局セリフを変更することになったそうです。この話を聞いて、千姫さんのお句のお話を思い出しました。お句にも納得です。
(浅黄裏さん)
このシーンは切ないシーンですよね。千姫さまの御作にも浅黄裏さまのコメントにも納得です。厳しかったウチの父も年とともに私にあたたかい言葉をくれるようになりました。杉江の父もそんな不器用な「男親」なのですね。
(はなはなさん)



 コシキブさんの五七五 

さわやかな季節になってなんとなく気持ちも晴れ晴れとする今日この頃ですね。最近はロムすることが多くなかなか掲示板に書き込みできずにいますが、私は元気でやっております(笑)
「女師匠」は殺人も立ち回りも無い地味な部類のお話ですが、最後の杉江の告白が印象に残り、好きなお話のひとつでした。家庭での寂しさを、悪さすることで外にアピールする少女達の姿も現代に通じるものがありますね。
 (UP後に)
今月は心の奥底の秘められた思いを静かに見つめるようなお話で、確かに難しかったですが、みなさまやっぱり流石に上手に詠んでられますね。東吾と麻くんの場面も またこんな日がくるかな…と思うと切ないくらい穏やかでいい時間ですね。
(コシキブさんの談)

愛しく思っても叔父として接することしか出来ない立場を東吾はよくわかっています。ここでは文中には出て来ない麻太郎が東吾を思う気持ちを想像してみました。颯爽とした立ち居振る舞いや気さくな笑顔に、憧れの気持ちを持っていたと思うのです。
   
武具飾る白馬の如き叔父が居て
   

初めての出会いが蝉取りだったから、あの頃からずっと東吾さんが「ヒーロー」に見えてたでしょうね。
(こでまり)
若い父と息子の構図として爽やかかつ微笑ましいシーンですよね。それからもずっと双方の心に残ったであろう情景をきれいに詠み込まれたお句だと思いました。
(浅黄裏さん)



「これを、長寿庵へ届けて頂きたいと仰せられましたの」
極上の砂糖が木箱に入っている。
「いつも蕎麦粉など、心にかけてくれて、せめてものお返しのつもりですけれど……」
「それは喜びますよ。これだけ上質のものはなかなか買えるものではありません」
「女師匠」より
武士と町人、長男と次男。厳然として存在する身分という垣根を、かわせみの人々は心遣いや思いやりでひょいと飛び越えてしまうんですよね。頼まれごとを快く引き受ける東吾も、お砂糖を押し頂いて神棚に上げるおえいも裏表の無い心根が気持ちいいですね。
   
真心を繋ぐ役目や風薫る
   

香苗さんだって西之丸御留守居役のお嬢さんで、普通なら奉行所の与力とは一緒にならないと思うんですよね。そんな人がまずは自分で長寿庵に届けに行こうとするんですものね。本当にみんな、あたたかな心遣いで繋がっているんですね。
(こでまり)
この場面も大好き!(でも詠めなかった…)“真心を繋ぐ”という表現に暖かなものを感じます。
(麦わらぼうしさん)
あたたかい御作ですね。東吾さんの屈託なさが心に沁みます。かわせみに出てくるレギュラー陣のあたたかさがひときわ感じられます。こんな心遣いが、お照・お鹿、その家族にもあればよかったのに。
(はなはなさん)



ごく自然に、万引はしなくなった。
「それっきりです」
西陽がかげって、庭が薄暗くなっていた。
「俺は男で、女の気持がわからないってことだけは気がついたよ」
「女師匠」より
子供の頃に犯した間違いにいまだ苛まれる心、お照の寂しさをわかりながら良い方向に導けない無力感…。 女師匠・杉江の苦しみは浅からぬものがありますが、人に聞いてもらったことで少しずつ軽くなっていったのではないでしょうか。東吾とのやりとりも興味深く、好きな場面です。
   
横顔に西日翳りし女所帯
   

美しい情景に杉江の心が寄せられていてとても好きな御作です。同じシーンでもこんなに印象的な詠み方もありました…脱帽です。
(はなはなさん)



 たまこさんの五七五 

こちらのご常連には結構「女師匠」や「元・女師匠」が多いんですよね。どんな御作やコメントが出てくるかなと楽しみにしています。ラストシーンの深川神明宮を訪れたことから、「本所・深川の境界は?」 という疑問が出てきて、掲示板でもお騒がせしてしまいましたが、ヒロチャンのお江戸川船巡りレポートを始め、皆様いろいろと有難うございました!
 (UP後に)
今月のお題は、いつもにも増して難しかったですが、ほんとに皆さんの御作、読みごたえがあり、かつ、紫陽花さんのオマケも「まさかあのシーンが」ですし、「すりこぎ話題」も予想外の展開が楽しいです。寺子屋よりも柏餅のほうが競作ポイントだったんですね(^^ゞ
(たまこさんの談)

「まだ、お節句には少し早いのですけれど」
三人で柏餅を食べ、麻太郎は東吾に馬術の話を聞いてもらい、千文字の習字帳をみせた。
「女師匠」より
最初、「柏餅」を始めに持ってきて「父と名乗れる日は来るや」としていたのですが、「来るか」の意味で「来るや」とは言わないのではないか…「ありやなしやと」というのはあるけど「あるや」とは言わないから、と思って変えました。「来るか」の文語はどうなるんでしょう?学生時代もっと勉強しとけばよかった(とほほ)
   
父子よと名乗る日ありや柏餅
   

文語の問題についてはどなたかに任せるとして(わはは、スルーです)、「父子よ」と名乗る日があるかないかは、今もって重大&興味あるテーマですね。
(こでまり)
私も文章の問題はみなさまにおまかせして…こちらのお句、今のかわせみファンのみんなの気持ちですよね?
(麦わらぼうしさん)



そのまんま東(違った)、そのまんま東吾(これも違った)、そのまんま五七五です。
   
巻羽織障子の影を見逃さず
   

たまこさんのお句じゃなくてコメントに:「そのまんま…」 …可笑しすぎます…。
(浅黄裏さん)



だが、誰も知らなかった。
祭の日でもなければ、滅多に参詣人も来ないような六間堀の神明宮で、お照は必死になってお百度をふんでいる。
「女師匠」より
五七五のところで止めておいたほうがよかったかも…七七は蛇足のような気もしますが。
   
しづもるる社の森の青葉風 誰にも言えぬ心伝えて
   

私はただの小さな神社と思ったのですが、↓の現場検証を拝見すると、「しづもるる森」という雰囲気がわかるような気がしました。さすがに現場に立った方ならではの一首ですね。
(こでまり)
静寂の中に小さな下駄の音まで聞こえてきそうでとても好きです。「青葉風」「心伝えて」杉江にだけはどうしても届かせたい、お照の気持ちです。爽やかな言葉とともに心に留めておきたい御作だと思いました。
(はなはなさん)



【おたま姐さんの現場検証 深川神明宮】
深川は大川端と共に、「かわせみ」では最もおなじみの土地ですよね。長寿庵のある佐賀町を始め富岡八幡など、ご本家の「かわせみの舞台」や七周年記念アルバムにも記録されていますし、こちらでも、「名月や」で、団子検証(?)深川・門前仲町のお団子屋さんを訪れました。しかし、深川の発祥地とも言うべき地点は、この物語のラストシーンに出てくる「深川神明宮」なのだそうです。
都営地下鉄(新宿線・大江戸線)「森下」駅から徒歩5分ほど。「森下」という町名は、「本所深川絵図」にも「北森下町・南森下町」があるとおり昔からのもので、北に竪川・南に小名木川、さらにかわせみの時代には、六間堀・五間堀もあり、人や荷を乗せた舟が行き来していたことと思われます。隅田川のほうに向かえば、その昔芭蕉が庵を結んだ所縁で建てられた「芭蕉記念館」があり、「雨月」に出てくる長慶寺(長桂寺)もすぐ近くです。


徳川家康が江戸に幕府を開いたばかりの頃、このあたりは葦の生い茂る湿地帯だったのですが、深川八郎右衛門という人の一族が摂津の国からここに移り住み、土地の開拓に着手しました。八郎右衛門がここに祠を建て日頃から崇敬する伊勢神宮の分霊を祀ったものが深川神明宮なのだそうです。神明宮とは、天照大神および伊勢神宮を祀る神社のことで、各地で土地の鎮守神として祀られています。その後、家康がこの地を巡視し、八郎右衛門の開拓の功績をたたえて、その姓「深川」を地名とすると決め、八郎右衛門の子孫が代々深川二十七ヶ町の名主をつとめました。深川家の菩提寺は、やはり八郎右衛門によって創建された猿江の泉養寺という所でしたが、関東大震災後に千葉県市川の国府台に移転しました。今でも氏子の方々が毎春、市川まで懇親を兼ねたバス旅行を行い、深川八郎右衛門追善供養を行っているそうです。
深川神明宮には「寿老人」を祀る神社もあり、深川七福神の一つになっていますが、連休中にもかかわらず、境内はひっそりとしていました。本文にも「祭の日でもなければ、滅多に参詣人も来ないような」と書かれていますが、深川不動尊や富岡八幡に比べて、大通りや商店街と離れているためでしょうが、とても静かです。現在は幼稚園が併設されていますが、昔はこの幼稚園の敷地も全部境内だったのでしょうから、うっそうとした木立に包まれた人気のない、お江戸の中の真空スポットのような感じだったのではないかと思われます。



【おまけ その1】


神社の鳥居には「神明系」と「明神系」の2種類があるそうです。詳しいことはよくわかりませんが、この深川神明宮の鳥居でもわかるように、前者が「シンプル」、後者が「派手」(?)ということのようです。明神系の八坂神社・神田明神・諏訪大社などの鳥居の画像を検索して比べてみるとわかりますが、明神系のほうは扁額や飾りがついたり、上の横木が二重になったりしていますね。
【おまけ その2】
美人画で有名な日本画家の伊東深水(1898−1972)は、深川神明宮の門前で生まれたのだそうです。私たちの世代には「女優の朝丘雪路さんのお父さん」としても知られていますが…「深水」という号は、「深川の水」から取って、師匠の鏑木清方がつけてくれたのだそうです。

おたま姐さん、今月も内容盛りだくさんの現場検証を、ありがとうございました。ラストで出てきた「神明宮」が深川の発祥地とか、鳥居の比較などなど、面白いことがいっぱいでした。
(こでまり)
現場検証は話題満載で、思わずいろいろ検索してしまいました〜。鳥居の形、面白いですよね、こちらにも興味津々です。
(はなはなさん)
現場検証も、「豪華なおしのぎ」版があったのに、なお勝るような詳しくてためになる情報が満載でした。大感謝です。
(すみれさん)
「伊東深水」の名前の由来も神社の鳥居の系統のお話も興味深く読ませていただきました。神明宮のひっそりした様子など伺うと平岩先生もきっと現在の様子を取材されてから書かれたのに違いないと思ってしまいます。今月もありがとうございます。
(浅黄裏さん)
鳥居の形にはいろいろときまりがあるようで、 山王系(日枝神社など)だと、この上に三角屋根のようなものがつきますし、三つ鳥居といって3連に連なるもの(奈良・檜原神社)や三角形に組まれたもの(京都・蚕の社)など…。祈りの形は様々なのですね。
(はなはなさん)



 みちころんろんさんの五七五 

何かと日々忙しく過ごしており、掲示板はロムだけ…☆はじめまして…の方々が多くいらっしゃるのにご挨拶もまださせていただいてなくて… お題も今月こそはパソコンからしっかりと…と思っていたにもかかわらず、電車の中から携帯メールで提出というのは失礼このうえなく申し訳なく思っております(>_<) (それもこんなギリギリ) 出来がよければ許されましょうが、私は下手の横好き…今月も駄句ばかりですがよろしくお願いいたしますm(__)m
(みちころんろんさんの談)

「私がお照さんを突きはなせないのは、私もお照さんだったからです……」
そっと片手を上げて、もう一方の手でその指を撫でた。
「私も、お照さんと同じように万引をしたことがございます」
「女師匠」より
自分一人の胸の中に収めていた他人にはいえない心の裡(ウチ)。その気持ちが痛いほどわかるからこそ、全てを受け止めている…。気持ちは通じるもの…
続けて最後の場面を詠みたかったのですが、どのように表したらよいかわからず詠めませんでした(>_<)
   
時を経て 我が身省み 言葉には 出さずにおいた 胸の奥底
   

電車の中からの投句、書きづらかったでしょうにありがとうございます。
杉江さんはこのことをずっと隠しておきたいと思いつつ、いつかは話してしまいたいという気持もあったように思いました。
(こでまり)



   
わかってと 悪しき行い 繰り返す 我が身に代えて 受け皿となる
   

後半の二人の会話は、とても静かなんだけど読み応えがありますね。ここは年齢によっても感じ方が違ってくる部分でしょうね。
(こでまり)
私は全然詠めなかった杉江さんの気持ちを、うまく詠まれていますよね、特に二つめのお句が好きです、お照を救っている=実は自分自身を救っている、という気持ちがよく伝わってきて。
(麦わらぼうしさん)
「受け皿」という言葉がいいですね。杉江さんの気持ちの中ではきっと「受け皿」でありたい、また自分ならそうなれると思う気持ちが強かったと思います。
(浅黄裏さん)
私も「受け皿」という言葉にハッとしました。杉江にはお照がわかるゆえに、理解する存在でいたい、と思ったのでしょうね。この気持ちが切なく「我が身に代えて受け皿となる」がこめられているように思いました。
(はなはなさん)



 花みずきさんの五七五 

毎回おなじことを言ってますが、むずかしかったです。ポイントは絞れたのですが、言葉が出てこない… 今月もなんとか出来たもの送りします。
 (UP後に)
今回はみなさんも、むずかしかったんですね〜(^^♪(なに、喜んでるんだ!) 毎回むずかしい〜と頭を抱えている私は、みなさんのお作を拝読するたび「おお〜」っと思ったり「こんな風に詠みたかった」と思ったりしております。
(花みずきさんの談)

きりっとしたるいの挨拶に、相手はひるんだ。
ここは並みの旅館ではなかった。るいにしても、元武士の娘であり、夫は立派な直参だという誇りがある。まして、嘉助は相手の出方によっては、聞き捨てには出来ないという意志を顔にも体にもみなぎらせて、じっと様子を窺っている。
「女師匠」より
この場面は絶対詠みたかったので粘ってみました。それにしても、きりりとしたおるいさんかっこいいですね。
   
黒南風も逃げ出す気迫誇りあり
   

ここ、独占ポイントですよ!粘ってくれてありがとう〜。こういうきりっとしたおるいさん、やっぱり時々見たいですよね。
(こでまり)
こういう時にとっさにきりっとした態度はなかなかとれないですよね、さすがおるいさんですよね、私もここには目が行きませんでした、やられたぁ〜です(^^♪
(麦わらぼうしさん)
「黒南風」の例えが気が利いていますね♪おるいさんの啖呵がカッコイイ、初夏の気持ちよさがあります。「わが思い重ねし娘」本当に思いを重ねて、杉江はお照に対してきたのでしょうね。いつか杉江とお照の気持ちが通うと良いのですが。
(はなはなさん)



「だったら、もう、あいつを突きはなせ。下手に甘やかすのは、あいつのためにならないのかも知れないんだ」
塗り薬の匂いのこもっている部屋の中で、杉江がかすかに身じろぎをした。
「お照さんを突きはなすのは、出来そうにありません」
「女師匠」より
杉江さんのお照をなんとかしてやりたいなのに…・どうして… そんな気持ちを読めたでしょうか
   
我が思い重ねし娘五月闇
   

親子ではなく師弟という関係だからこそ見えることが、杉江さんにはあるのでしょうね。そして師弟だからこそ感じられることが、お照にもあるのでしょう。
(こでまり)
同じ師弟関係を詠むところで、同じ「五月闇」つながりで嬉しいです。
(浅黄裏さん)



お照は杉江さんの気持ちがわかっていたのかも でも、大人は信用出来ない。そんな気持ちが思わずあんなことをしてしまったのかも。
   
人知れず願掛け祈る萍(うきくさ)
   




 bf109さんの五七五 

現代劇で、今放映してもいいような内容ですね。
つぎの「かわせみ」があれば、前・後編で放映して欲しいです。
(bf109さんの談)

石畳をはだしになって、神前で合掌しては手の中のこよりを一つ折る。
「どうか、お師匠さんの火傷が早く治りますように……火傷の痕が残りませんように……」
「女師匠」より
   
火傷した 師匠のほ照り思いつつ 鹿られもせず お百度を踏む
   

今月も登場人物を詠みこまれた一首を、ありがとうございます。そうですねぇ、杉江さんから叱られた方が、お照にしてみたら気が楽だったかもしれませんが、誰に知られることもなく踏む一歩一歩が、お照を変えていくことを願いたいです。
(こでまり)
こでまりさまの、「叱られた方が気が楽だったかも」というコメントになるほどです。家では甘やかされ放題、今まで真剣に叱られた事ってないのかも。本気で自分の事を思ってくれる杉江さんに、一度真剣に叱られたかった、という気持ちもあったのかもしれませんね。
(麦わらぼうしさん)
師匠の顔や身体を火傷させて初めて気付いた己の罪の重さ、というところでしょうか。同じ女としても身にこたえるところがあったのかもしれません。
(浅黄裏さん)
「現代劇でも」というコメントに納得です。毎度登場人物をたくみに読み込まれて素晴らしい。「叱ってくれたら気が楽だったのかも」というこでまり宗匠のコメントにも納得です。杉江の思いを苦しく思うお照も哀れです。
(はなはなさん)



 紫陽花さんの五七五 

間に合ったかな。遅くなっちゃったけど。
(紫陽花さんの談)

「これは、なつかしいですな」
思わず東吾が目を細くしたのは、飾られている鎧も冑も、亡き父が通之進と東吾のために買い求めてくれたもので、その下に並んでいる金太郎や鍾馗の人形も長年、それを前に兄と柏餅を食べた思い出につながっている。
「女師匠」より
麻太郎君の背負うのは神林家の歴史と兄弟の思い出、出生の秘密に明治維新となかなか大変で、とりあえずかしわ餅でも食わしてどんなものを背負ってもつぶされないような体格にしようとういう心配りの句です(笑)
   
思い出を背負うこの子にかしわ餅
   

わはは、それではせっせと麻太郎くんには柏餅を食べていただくといたしましょう。
(こでまり)
確かにあらためて考えてみるとさまざまな重荷を背負っていく事になるのですからねぇ〜、紫陽花さまの親心(?)に感動です。
(麦わらぼうしさん)
明治編を考えても麻くんは全ての要のようですね。柏餅にはつぶされても重圧にはつぶされずに生きていって欲しいです。
(浅黄裏さん)
うーむ、そういう見方もあったか。確かに麻太郎くんには重い枷がたくさんありすぎて… せめて体力だけでも(笑)という紫陽花さまの親心、ご立派♪(わっはは〜)
(はなはなさん)



「さあお開帳だよ、お開帳、いい女の弁天様だ。おがみたけりゃ、お賽銭供えて、好きなだけのぞいてみな」
叫んでいるのはお照で、その隣にお鹿が泣き出しそうな顔で着物の裾をきわどい所までめくり上げて立っている。
「女師匠」より

こら〜〜、そこの二人(二つ?)、最前列で何してんのよぉぉ〜。
(こでまり)
まったく「やられました」としか言えません。ここが絵になるなんて考えても見ませんでした。
(浅黄裏さん)
紫陽花さん、まさかあのシーンが再現されるとは、誰一人想像しなかったと思います。しかしあの二人、どこに陣取ってるんだか(笑)
(あっちの管理人さん)
これこれそこのお二人〜 どこに陣取っているの ダメじゃないのまだ未成年でしょう、あれ狐火くんなんかあんなところに
(ぐりさん)
それにしても、紫陽花さま…☆あの場面とは…三人ともしっかり見てる…いいのだろうか?
(みちころんろんさん)
「彼ら」はどうやら興味津々と最前列でワクワクしているようですが、良いところで見れなくて残念でした(笑)それにしても今更ながら紫陽花さまのアイデアには改めて感服です(^^♪
(はなはなさん)
紫陽花さまのイラストに大爆笑♪ 何か仕掛けがあるのかしら?なんて、しばらく待ってみちゃいました(^_^;) 茶たくと湯のみの気持ちがよーくわかりますよん…
(すみれさん)
もののけトリオたち〜ダメだよ!なん〜てひとりで突っ込んでしまいました。あの場面を使うとは予想外でした、なんだかうれしいです。
(花みずきさん)
しまった〜 あの黄色いのはかんざしのつもりです。狐火はいないようです。たぶん昼間で見えないんだと思います(描き忘れではないかという説もある・汗)湯のみと茶托も昼間だし人前なので普通の湯のみと茶托のふりをしているので動きません。真剣に見ないでください。さら〜と見過ごしてください。
(紫陽花さん)
狐火は、いなかったんですね。昼間は見えない説に納得です。さて、湯のみと茶托ですが、どうやって「退場」したんでしょうね。お照とお鹿が風をくらって逃げた後に湯のみと茶托が転がっていたら変ですよね。転がりもせずにちゃんと道のど真ん中にいても(あっても)今度は逆に不気味だし。狐火は見過ごせてもここんとこは考え出すと眠れませんです。
(浅黄裏さん)
黄色のかんざしは 狐火が化けてたんではなかったんですね。狐火ちゃんは女性なので(?)あんまり興味ないとかいう話ではないんですね。白状しますと私も「しばらく待っていたら、襦袢の裾も…?」などと思って(「期待して」ではない)見つめておりました(汗) 湯のみと茶托は、やっぱり非常時なので手足を出して風をくらって逃げたんじゃないでしょうか、ぐりさんがおっしゃってるように未成年だし、源さんに補導されたらヤバイと思って(紫陽花さんにもトバッチリが来るかもしれないし)
(たまこさん)



 浅黄裏さんの五七五 

今月は事件でもなく、よって白黒どちらの解決もない、というお話なので、なかなか捉えどころが難しいように思いました。とりわけ杉江さんが顔や身体に火傷を負わせられてもなおお照やお鹿をかばい続けることが出来ることに驚きます。
(浅黄裏さんの談)

「全く、お吉さんにも困ったものだ。いくら安いといったって、すりこぎ十本買って来てどうするつもりだね。こんなものは一本ありゃあ、一生、味噌でも胡麻でも擂れるだろうに……」
と番頭の嘉助までがあきれ顔をしている。
「女師匠」より
これは妄想です。すりこぎのその後です。
「もちろん道中刀はお持ちでしょうが、なんでもかんでも刃物を持ち出すのは剣呑でございますよ。そこへいきますとすりこぎは便利でございます。関所でお役人さまに尋ねられたら“へぇ、すりこぎでございます”と答えれば宜しいですし、夜は用心のために抱いて寝れば安心ですし。なんといいましても一本あれば、一生、味噌でも胡麻でも擂れるんでございます。是非、お江戸の土産に一本お持ちください」とお吉さんが言い、訳もわからないうちにすりこぎを荷物の中に押し込まれたどこかの旦那とお供の手代がいたとかいないとか…。
   
家づとにすりこぎいっぽん紫蘇の飯
   

わーい、浅黄裏さんのショートショート、大好きです♪
(こでまり)
いつも登場人物の深い心理を見事に詠まれている浅黄裏さま、わぁ〜!ショートショートもお得意だったのですね、すご〜い、おもしろ〜い!
(麦わらぼうしさん)
すりこぎの行方ショートショートも、さもありなんで大納得しました。
(すみれさん)
ショートストーリー、思わず噴出してしまいました。みなさんのお句とともに楽しませてくださってありがとうございました。
(花みずきさん)
どうしたらこんなショートショートを思いつくのでしょうか。ありえる! 絶対にありえますって〜(笑) 「江戸名物はすりこぎだよ」なんてどこかで流行しているかも(爆) 「紫蘇の飯」はかわせみの名物でしたね♪
(はなはなさん)



「お金のあるなしじゃないんだと思います。 (略) まどろっこしくて、歯がゆくて、じれったくて、いつもどこかで苛々している。親にもわかってもらえない。こっちからはいう言葉もきっかけもつかめない。誰かわかってくれ、お願いだから、あたしのことを知って欲しい、あたしはこんなにつらいんだ。寂しいんだ。情ないんだ。 (略)」
「女師匠」より
お照の心はひりひりするほどにむき出しになっていたのかもしれません。
   
剥きだして触るるばかりに若葉風
   




それでも杉江さんのような人はやはり稀ですよね。お照やお鹿がそんなお師匠さんと出会えたのには、神様の思し召しのようなものがあったのかもしれません。神様に伺ってみないとわからないことですが。
   
五月闇神慮の在りどは尋ね得ず
   

時として親は子どもからいろんな期待をされるわけで、それも大変なことですよね。親に限らずとも、子どもの気持が「わかる」人はいるでしょうが、「実践する」人はずっと少ないでしょうから、杉江さんとは確かに稀で幸せな出会いだったのでしょうね。
(こでまり)
本当に、浅黄裏さまのおっしゃるとおりお照は良い師匠に出会ったのですが…それに応えるかどうかも「神のみぞ知る」なのでしょうか、切ないです。
(はなはなさん)



 ぐりさんの五七五 

このお話は春という言葉は出てくるだけで(私が気づかないだけかもしれないですが)季節を感じさせる描写がありません、寺子屋の師匠さんで人も見放した子を見放さず面倒を見ているというところが『絵馬の文字」と似ていると思いました 両方ともお父さんが亡くなっているというところも似ています 杉江さんのお父さんもきっとだめな子を見放さず面倒見ていたのではないでしょうか?
(ぐりさんの談)

それでも安売りと聞くと、朝から居ても立っても落ちつかなくなって、
「まあ品物が悪かったら買わずに帰って参りますから……」
そそくさと勝手口をとび出してしまう。
「女師匠」より
お吉さん安売りと聞くといてもたってもいられなくなる気持ち分かります、私もチラシでほしいものがバーゲンと聞くといってみようかどうしょうかと浮き立ちます 『チラシもち 店へと急ぐ 平成吉」なんて句も浮かぶほど チョット興奮しているお吉さん
   
春暑し いこかやめよか 安売りへ
   

このお句の気持ち、よ〜くわかります、お吉さんの事はひとごとではないよなぁと思います。
(麦わらぼうしさん)
「いこかやめよか」はお吉さんの意外な一面を見たようで…でも行っちゃうんですよね♪ やっぱりお吉さんです。
(はなはなさん)



お照さんかなり意地っ張りなんですね
自分がお師匠さんを心配しているなんて 人に知られたくない 出も気持ちはちゃんと通じているんですね 其れが救われます
   
木の根開(あ)く 心溶け出す 日も近し
   

相手に通じるかどうか、きっとこの時のお照は考える余裕もないくらい、真剣だったんでしょうね。不器用なお照に心が残りますが、希望も持てる終わり方です。
(こでまり)
ガーデニングに詳しいぐりさんならではの着想の季語だと思いました。お照がこれから少しずつほぐれてくるような予感がしますね。
(浅黄裏さん)
いろいろな季語を勉強しておられてすごいですね。「木の根開く」はお照の心がほぐれる様を詠んでおられるのでしょうか。植物にお詳しいぐりさまならではですね。
(はなはなさん)



今回はあまりで番はないけれど
   
春障子 東吾の姿 目の隅に
   




「ほんに、ここの家の人達は子供の前で、ろくでもない話ばかり。宗太郎様がおっしゃいましたよ。女の子は小さい時から、きれいなものを見せ、きれいな言葉を聞かせて育てるのが一番大事ですって……」
母親の腕の中で、千春がきゃっきゃっと笑い、お吉は今度こそ本当に尻尾を巻いて台所へ逃げて行った。
「女師匠」より
小さな子どもの存在は場を和ませますね
   
麗らかや 吾子笑う声 無邪気なり
   

こういう「心がけ」を話してくれる人が、お照やお鹿の親たちのまわりにはいなかったんでしょうね。
(こでまり)



財布を手にしたからといって、あり余る金があるわけではないし、高価な買い物が自由になるのでもない。
「別に何か欲しいというのでもありませんでした。あれほど欲しくて買った塗り櫛も、そんなに欲しかったようにも思えなくて……」
「女師匠」より
財布を預けるとき杉江さんのお父さんは 何をおもってわたしたのでしょうか 杉江さんが万引きするのを知っていたから それともそろそろ渡して家系を切り盛りすることも 覚えるきっかけだとおもったのでしょうか そして男の自分には分からない杉江さんの気持ちにきずいたからでしょうか お金を持っていてもそんなに自由に使えるわけじゃなくいつでも買えると思えばそんなにほしくない 杉江さんはひとつ大人になったのですね
   
ひこばゆる 父の思いは どこにある
   

以前「ひこばえ」という季語を使ったことがあるのですが、「ひこばゆる」という季語もあるのですか?私の歳時記には載っていないのですが、ぐりさんの歳時記にはあるのなら、また教えてくださいね。
(こでまり)
「ひこばゆる」についてですが、 私の使っている歳時記は 『成美堂出版」というところの辻桃子さん編集の 『実用俳句歳時記」という本です。これには「蘖ーひこばえ、ひこばゆとして ひこばゆる」とあります
(ぐりさん)
ぐりさん、ありがとうございます。辻桃子さんは時々「俳句王国」などで拝見しますが、とても率直な感想や意見を述べられて、好きな俳人さんの一人です。教えてくださって、本当にありがとうございました!
(こでまり)



 こでまりの五七五 

今月はサイトの手直しのため、UPが大幅に遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。サイトの手直しはまだ継続中なので、とりあえず今月のページをお楽しみください。
それにしても、難しいお話でしたね。はぁ〜。
(こでまりの談)

どれも歳月を経て、それなりに年代を感じさせる飾り物の中に、真新しい馬の人形があった。
本物そっくりに出来ている白馬は色鮮やかな馬具に彩られ、精緻を極めて作られた鞍や鐙など、まことに見事であった。
「女師匠」より
大切に伝えられている飾り物に、新たに加えられた白馬の人形。代々の親子の情愛が感じられる、よい場面ですね。
   
武者のなか白馬もありて端午の日
   




これはいただいた砂糖を見ながら、香苗さんを思い浮かべてありがたがっている長助さんです。最初は「甘き顔している夫婦」としたのですが、よく考えたらおえいさんが初めて通之進さんに会ったのは「長助の女房」ですから、この時はまだ知らないんでしたよね。
   
いくたびも上砂糖より甘き顔
   

“観音様”の香苗さんを思い浮かべてぼっ〜としている長助の顔が見えるようです。
(麦わらぼうしさん)



お鹿がせっせと大根を洗っている。
「表でお照をみかけたんですよ。声をかけたのに、すっと行っちまって。この子だって、こうやってお師匠さんのお役に立とうって気持になってるのに……全く……」
「女師匠」より
お話を読む中で気になったのが、お鹿という娘の気持ちです。お照は決して対等な友だちとして付き合っていたようには思えず、お鹿が彼女をどう思っていたのかも気になります。そんな時お照の起こした事件がきっかけで、おえいさんをはじめとする近所の「小母さん」たちによって、初めて母親の温もりみたいなものに触れたんではないでしょうか。それがお鹿の中の頑なさをほぐすきっかけになったのでは…と思いました。芍薬は花の豪華さよりも咲く前の蕾の固さが、お鹿に似ている気がしました。
   
芍薬のほころぶきざし庭の隅
   

お照の気持ちは考えたけど、お鹿の気持ちはうっかりしてました。今でもよくある、本当はしたくないのに、悪い仲間に引きずられてズルズルと…といったところでしょうか。今回の事がきっかけで悪い誘いもきっぱり断る勇気が出てきた…かな?
(麦わらぼうしさん)
お鹿も気になっていましたが詠めませんでした。それを美しい花に例えた宗匠の御作は見事ですね。いつか芍薬のように、女性として美しく花ひらいてくれたら、と思います。
(はなはなさん)



「あたしがそうだったんです。出来るものなら、誰彼なしにものをぶっつけてやりたい。親切そうに何かいう人なんぞ蹴とばしてやる」
苦笑して東吾は立ち上った。
「あんたには、お照って子がわかるんだな」
「女師匠」より
杉江さんの告白は胸に迫ってきますね。こんな話をする仲ではないはずなのに、東吾さんて、本当に聴き上手。
話をしている部屋には、端午の節句を前に、長屋の誰かが軒に葺いてくれた菖蒲の香がただよっていたかもしれませんね。
   
あやめぐさ弟子の心は痛いほど
   

「文目(あやめ)も分かたぬ」とも懸けてあるのでしょうか。 人の心ほどわからぬものはないと言いますが…いつしか女師匠と弟子は通じ合えるようにも思います。お照・お鹿、杉江を美しい花に例えた宗匠の気持ちがあたたかく、心を打ちます。
(はなはなさん)



ひどい悪さをくり返しながら、お照は杉江に見放さないでくれと、心の中で必死に叫んでいたように感じます。そう思っているのに杉江を試すようなことをしてしまう、そんな、自分でもどうしようもない矛盾が引き起こした事件。誰にも知られない場所を選んでお百度詣りをくり返すお照を、神社の杉の木だけが見ていたのでしょう。
   
ひたすらな声なき祈り杉落葉
   

悪い事は見えるようにやるけれど善い事は知られないようにする。このように動き出せたことがお照の変われるきっかけになりそうに思います。「杉落葉」というのが森閑とした雰囲気を感じさせていると思います。
(浅黄裏さん)
「杉落葉」も杉江に見守られているお照のお百度のような気がして、いいなぁ、と思いました。
(はなはなさん)
サイトの手直しをしていた昨日、去年の7月の中ではなはなさんの「不義理とてひたすらに生き竹落葉」の一句を見つけ、「ワッ、似ている〜」と嬉しくなりました。
(こでまり)



 はなはなさんの五七五 

多分今月は大トリだろうな〜と覚悟の上の提出です。今月はむずかしかったですね〜。心理戦というか…とても微妙な心の交流を描くのはすごくむずかしいですね。誰にも本当の自分をわかってもらえない、その叫びの裏返しが 無茶で無法な行動になって現れる。それは子供っぽいともいえるのかもしれませんが、逆にその根は深いともいえないでしょうか。誰でも「理解されないかなしみ」は味わったことがあるでしょうが、それを心にしまっておけずに、周囲だけでなく、自分さえ傷つけるような行動にでてしまう。現代の殺伐とした世情にも通じるお話だと思います。お吉のバーゲン好きや災難も詠んでみたかったですが、思ったように出来ませんでした。とりあえず提出、です。
(はなはなさんの談)

「それは旦那様が、麻太郎にとお求めになりましたの。麻太郎もとても気に入って……」
香苗のいう傍で、麻太郎が目を輝かした。
「父上が、私の馬術が上達したとお賞め下さって、それで買って下さいました」
「そうか、麻太郎は馬術の稽古もしているのだな」
「女師匠」より
神林家でのさりげない節句の場面。長寿庵での事件の前振りだとはわかりますが、ここで、しっかりと抱きしめるようにして麻太郎を育てている通之進・香苗夫婦の姿を描くことで、放任、または現実を直視できない、子を理解しようとしな、 お鹿・お照の親子関係と対比させているのかな、とうがったことを思ってしまいました。
   
かざりうま子の眼かがやく端午かな
   

生き生きとした麻太郎くんが見えるようなお句ですね。そしてそれを見ている大人の幸せな気持も伝わってきます。(私はここで、麻くんではなく馬を詠んでしまった〜〜)
(こでまり)
重いテーマだけれど、あちこちにほっとする場面があるし、はなはな様のコメントで、子育ての好対照として麻太郎の場面があるという点にも本当だ!と膝を打ちました。
(すみれさん)



東吾は猫の額ほどの庭へ廻った。庭へ向った部屋が二間続きで、子供達が集って来るとそこに寺小屋の小机が並ぶらしいが、今は杉江が机にもたれるようにしてぼんやり庭を眺めていた。
「見舞に来たんだ」
「女師匠」より
杉江を見舞う東吾やるいの心遣いが美しいですね。「猫の額ほどの庭」には何が植えてあったでしょうか。杉江のことですからきっと小さいなりに手入れも行き届き、つつましくも美しい庭だったのではないでしょうか。苦労人・源さんのさしでがましさのない諭しには開かなかった杉江の心が、気恥ずかしいぐらい単刀直入な東吾の聞き方に本音を漏らしたのが印象的でした。
   
うなだれて紫蘭ひそりとほころびぬ
   

“単刀直入な東吾の聞き方に本音を漏らした”になるほどです。“ひそりとほころびぬ” この時の杉江の気持ちを見事に表現していますね。
(麦わらぼうしさん)
紫蘭」が「ひそりと」「ほころび」るのが、とても杉江さんらしくて、つつましさに溢れたお句ですね。今回は東吾さんならではのぶつかり方が功を奏したということでしょうか。
(浅黄裏さん)



寺子屋の女師匠として周囲から評価もされる杉江にも 本人にとっては血の出るような過去がある。それゆえにお照を拒否することが出来ない…、かなしい循環がそこにあると思います。「うつろぎ」は「空ろ木」、うつぎ、卯の花のことで、幹の内部が空ろだというのでこの名があるそうです。この木に心の空白を持つ杉江とお照を託してみました。
   
見えぬものうつろぎにも血流るるを
   

杉江はお照と、お照は杉江と向かい合うことで、いつか「うつろ」でない木になるような気がしますね。
(こでまり)



神様だけにしか聞えない声で呟き、頭を下げ、お照は朝昼晩と、一日に三回もお百度詣りを続けているのであった。
「女師匠」より
お照にも温かい心は宿っていましたね。このシーンは救われるような思いで読みました。このお百度を誰かに知られたら、お照はまた荒れるのでしょう。杉江がお照を信じていることは、お照もわかっていると思うのですが、いつ、彼女は素直になれるのか、心が痛みます。
   
短夜を刻む足音誰知らず
   

本当にこのラストで救われましたね。まだまだ時間はかかるかもしれませんが、いつかお照が素直になれる日が来るのを信じて。
(麦わらぼうしさん)