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 源三郎子守歌
新装版「二十六夜待の殺人」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
先月は「百千鳥の琴」にご参加くださいまして、ありがとうございました。
和世さん、おみわさん、おけいさんにるいさんと、皆さんそれぞれに思いを重ねて詠んでくださいましたね。ありがとうございました。

さて、今月は「源三郎子守歌」を選びました。
S.ファロウの巻羽織句も「父の日」にちなんだものになっていますし、ここで一気に「源太郎誕生」へと行きたいところですが、その前に忘れたくないのがこのお話。源さんの祝言の顛末が明かされ、残念ながら生れることのなかった、源さんたち夫婦にとっての最初のお子にもふれたお話です。
今月も競作ポイントがいっぱいですが、特に最後の東吾さんのひと言には集まりそう〜。

さあ、今月はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成十八年七月)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 TERAIさんの五七五 




当惑げに長助が畝源三郎をみる。以心伝心で、源三郎がそっと廊下へ出た。長助がそそくさと近づく。
「なにか、あったのか」
「源三郎子守歌」より
   
巻羽織何かあったら任せとけ
   

上司と仰ぐにも友になるにも、源さんみたいな人は本当にいいですね。夫には…それはお千絵さんに遠慮しておきましょう。
男性の視点では確かに、源さんって理想の上司であり友人ですよね!4年前の「私の源さんアンケート」では、女性陣の回答は「夫」や「恋人」を上回って、ダントツで「源さんが自分の兄だったらいいなぁ」という答が圧倒的でした。
(たまこさん)



   
むつきとて東吾とるいのためならば
   

私は見落としていましたが、お吉さんの思いもいじらしいですね。
(ななかまどさん)



赤児(やや)さんが出来たら、お留守でも寂しくない、とお千絵は思う。
今朝から、お千絵は赤ん坊の肌着を縫いはじめていた。
「源三郎子守歌」より
「みどりご」という言葉は「人はみかけに」のあるみさまの御作「みどりごに幸多かれとねずみ達」から浮かびました。
   
みどりごがいればひとりも何のその
   

「何のその」…子供がいれば母は強くなれるとの気概がこの五文字にあふれていて、力強いですね。お千絵さんの内助ぶりがしっかりと見えます。
(すみれさん)



   
身重でもお役目第一畝の妻
   

いざという時は自分の危険もかえりみず…さすがお千絵さん、さすが畝様の妻!
(麦わらぼうしさん)
そうそう、このへんも千絵さんのファンになるところです。
(bf109さん)



「先生……」
流石に顔色の変った源三郎に、高橋老人が手をふった。
「大丈夫、御新造は無事じゃ。しかし、もうおてんばはいかぬとよくいっておいたぞ」
「源三郎子守歌」より
源さんはまだお千絵さんの懐妊を知らないことになっていますが…
   
わが子への思い心に子守歌
   




 すみれさんの五七五 

江原屋の法事からはじまり、おいねさん夫婦も非業に死んでいく内容ですが、無垢な赤ん坊がこのお話の救いですね。五七五を考えだしたのですが、それより前にこんなのが…何だか一気に書いてしまいました。だらだらと長くてごめんなさいm(__)m お千絵さん派とおいねさん派に分かれて心模様がたくさん拝見できそうです。
 (UP後に)
気ままに書いてしまった独り言に皆様から過分なお言葉を頂戴して、感激しております。ありがとうございました。
(すみれさんの談)

「お上の御用だ、遠慮することはない」
吉五郎の若い者が先に立って、新鳥越町から山谷町へ出る。この道は千住大橋へ向う街道筋であった。
「源三郎子守歌」より
   
盆の路御用の風は遠慮なし
   




「どうして、お侍が赤ちゃんをつれて逃げてお出でだったのでしょう。赤ちゃんのお母さんは、いったい……」
「源三郎子守歌」より
必死に江戸の町を目指すおいねさんの心情はどんなものだったでしょう。ちょっとおいねさんに入れ込んでしまいました。
   
草いきれしたたる乳の哀しくて
   

「したたる乳」が何とも切ないです。わが子を思うだけで胸が張ってきますものね…。
(ななかまどさん)

「すみれさんの談」にもありましたが、おいねさんがすみれさんに成り代わったようなお手紙が届きました。どうぞご覧下さい。
「おいねの独り言」はこちらから



お千絵さんはおいねさんのことを訳ありと思いながらも、自分の身体を省みずに一生懸命に助けようとしていて、源三郎さんの立派な奥方です。
   
留守まもる妻の誇りは巻羽織
   

こんな奥方だから、源さんも安心して外に出られるのでしょうね。
(bf109さん)



武骨な源三郎の腕の中で、おいねの赤ん坊は大人しくねむっているようであった。
「源三郎子守歌」より
源さんが長松に子守歌であやしている場面、情感があって好きです。法要の読経に始まり、子守歌で終わる。生命の繋がりの希望を持たせるところが作者の筆巧者なところですね。長松の両親は非業に亡くなったけれど、武士の本分を守ったし、祖父に引き取られて元気に育ってくれることでしょう。子守歌を歌う源さんは、未だ自分の子供のことは知らされていないだけに、長松を眺めていると、もしあの婚儀がそのまま行われていたら、違う夫婦の生活があり、子供も生まれていたかなぁ…などと感慨にひたっていたのではないでしょうか。
   
かりそめの父に抱かれてまどろむや母の形見の腹掛け温し
   

源さんはこの二、三日の出来事と、今自分の腕の中にいる子との縁の不思議さを、しみじみと感じていたと思います。「かりそめの父」は何とも上手な表現ですね。



 千姫さんの五七五 

降りそうで降らないむしむしした日が続き、頭の中が茹で上がってしまったのか。最近殊勝にも季語を入れる努力をし始めたのが悪かったのか。今まで以上に読み込んだ為に、詠みたい所が多すぎるのか。出来なかった事の「言い訳」なら、いくらでも出てくるんですけど〜
(千姫さんの談)

それというのも、若い夫婦に好感を持ったからで、男のほうは藤兵衛と共に、畑に出て鍬をふるい、よく働いて、女房とつましく暮している様子がなかなか殊勝にみえたからである。
「源三郎子守歌」より
「源三郎祝言」の時から思えば、市三郎もおいねも頑張ったねって、声を掛けたくなります。(それにぴったりの下五文字の季語が浮かばなくて、皮肉な句になってしまって残念です。)
   
妻と子と 養う鍬に 茄子の花
   

ここは私もお気に入りの場面です。そしてこのお句は大好きです。「茄子の花」はつましい生活の中に見出したささやかな喜びを表しているようで、皮肉だなんて思えません。(お千ちゃんは市三郎を詠まれましたが、私はおいねさん寄りに詠んでみました)
「鍬」に「茄子の花」。市三郎さんもまた、よい青年だったのですね。千姫様らしい優しさにあふれたお句だと思います。コメント、笑ってしまいました。私は、当地の冷夏のため、どうしても夏のイメージが浮かばず、苦戦したんです。
(ななかまどさん)



「あなたさまは……」
女の目に強いものを感じて、お千絵は相手を見返すようにした。
「家内でございます」
女が目を伏せた。なにもいわず急にお千絵に背をむける。
「源三郎子守歌」より
「明と暗を分けた二人の女性」とは考えてなかったので、この時のおいねの態度が理解できませんでした。お千絵さんの「幸せオーラ」にひるんじゃったのかしら。
   
片陰や 妻と云う人 聞く女
   

ちょっと違うけど、よくドラマで本妻と愛人がバッタリはちあわせ!という場面ありますけど、つい想像してしまいました(^_^;) 「幸せオーラ」にひるんだ、というコメントに納得です。
(麦わらぼうしさん)
やはり、「妻」「家内」という言葉は、そうでない人にとっては、高い壁なのでしょうか。
(bf109さん)
お千絵さんとおいねさんの初対面の緊迫感がほんとうに見事に表現されていると感じ入りました。夕刻の蔭に身をひそめているおいねさんがお千絵さんを源三郎さんの伴侶とひたと見据える画が見えるようです。この一瞬に色々な思いが交錯していたのでしょうね
(すみれさん)



 麦わらぼうしさんの五七五 

詠むポイントはたくさんある気がするんですが、なかなかうまく出来ません…。もう、思い切って送ってしまって (自分のは置いといて)、みなさまの御作を拝見出来るのを楽しみにしています。
(麦わらぼうしさんの談)

「御法要の席を中座してあいすみませんが、手前は、ちょっと行ってやりてえと存じまして……」
「よし、俺も行こう」
「源三郎子守歌」より
   
事件(こと)聞けば 捨ててはおけぬ 巻羽織
   




「それにしても、なんでございます。あの赤ちゃん……」
人殺しの現場へかけつけて行った男達がつれて来たのだから、どっちみち、いわくのある赤ん坊とるいも嘉助も承知している。
「源三郎子守歌」より
ホントは赤ちゃんは若い衆がおんぶしてきたので、↓の句はちょっと違うのですが、事件だ!と出かけていったのに、帰りに赤ちゃんを連れて来た、っていうのがなんともおかしくて、そこをうまく詠みたかったのですが…(←言い訳、言い訳(^_^;))
   
行き十手 帰り赤子を ふところに
   




赤ちゃん=世の中の宝、という事で。
   
宝らに ひそかな願い 重ね縫う
   




八丁堀界隈に住む人々から慕われている源さん。その畝の旦那の家に害を及ぼそうとしている奴らがいる!すわ!一大事!刀を持っている奴らに、豆腐や人参ではむかうなんて無謀、なんですが自分たちの危険も省みず畝の旦那の為に、 という心意気が好きです。八レンジャーとは{八丁堀レンジャー}という意味で。それ!白レンジャーの豆腐パ〜ンチ!大根キ〜ック!赤レンジャーの人参チョ〜ップ!…な〜んて…失礼しましたぁ〜〜
   
俺たちの 旦那を守れ!八レンジャー!
   

ここも今月の人気のポイントで、本文の雰囲気が麦わらぼうしさんのコメントにまでうつったみたいですね。コメントを読んだ後にお句を拝見したら、本当に楽しくて声を出して笑ってしまいました。
お吉さんのおむつの場面や、がんもや豆腐が空を飛ぶ場面、自分が詠みたくて詠めなかったところですが、麦さまの「八レンジャー」は大受けです!(^^)!
(すみれさん)
たまこさまの現場検証もますます充実してきてもうはいくリングの定番ですね
(ぐりさん)
「八レンジャー」は私も大うけ!最初「はれんじゃー?」と思ったのですが「はちれんじゃー」なんですね。正義の味方だらけの八丁堀ですものね。
(コシキブさん)
八丁堀の日中は、成年男子が出仕して女子供とご老人ばかり残り、意外と不用心なのかも。持ちつ持たれつなんですね。
(ななかまどさん)
おもしろい場面ですよねー。町中は「八丁堀」が、八丁堀は「町人」が守るんですね。
(bf109さん)



事件に関する情報がほとんど無かった時に、腹掛けから糸口をつかんだ、という事と、おいねと市三郎が殺された中で、赤ちゃんだけでも無事だったのは松戸天神のご加護かも。そして、一件落着したものの、娘と婿を亡くして悲しみにくれる笠原長左衛門にとって、残された孫は、これからの人生の希望の灯になる事でしょうね。
   
天神の 導く和子に 希望の灯
   




 紫陽花さんの五七五 




「さぞ、お暑かったでございましょう」
冷えた西瓜やまくわ瓜が運ばれて、源三郎は改めて、今日の法事の礼をいった。
「源三郎子守歌」より
「子守歌」の五七五は今のところ出来ていません。たぶん今後も出来ないでしょう。せめて“おまけ”だけでも送ったほうがいいかなと思い強引に作ったんですが、ストーリーから離れています。

「おまけ」を、ありがとうございました♪
むふふふ〜お吉さんの目を盗んでスイカを運ぶなんて、度胸のいい三人組だこと!
紫陽花さんのオマケ(もうすでにオマケではなく、はいくりんぐの重要な構成の一つですが)は全く予想外のポイントでした。
(たまこさん)
トリオ君たちの登場までの微妙な間合い、その後にオッ!〜クスクス〜セリフ入りだ♪ すいかの転がる様子が縞模様もリアルに回転していて、パソコン技の無い身にはもう脱帽です。
(すみれさん)
トリオの西瓜運びもかわいい♪ずっと眼で追って「がんばれ、がんばれ」って応援しちゃいます。
(コシキブさん)
西瓜1個を、三人組だけで食べたのかなー。腹巻きを送りたい気分です。
(ななかまどさん)
スイカ、上手に運んで食べたのかな、運ぶのを楽しんでそうでムフフと笑っちゃいました!
(のばらさん)
私もたまこさまと同じく「今月はがんもが飛ぶシーンかな?」と予想していたのですが、この場面だったとは!いつもながらその発想の豊かさ、アイデアに感服です。
(麦わらぼうしさん)



 ななかまどさんの五七五 

好きなお話なのですが、いつも以上に難しかったです。
 (UP後に)
私はお盆=秋で、秋の季語を使ってしまいました。夏の季語を使ったほうが、このお話の色合いがよく出たでしょう。難しいですね。
(ななかまどさんの談)

「与作屋敷のところで、水戸の奴らに斬られたよ。源さんの奥方は、おいねさんを助けようとして、並みの体でないのに、八丁堀をかけ廻ったんだ」
「源三郎子守歌」より
お母さんのおなかの中にいるうちから、 立派な畝家の惣領ぶりでした。
   
総領も 母も 八丁堀の人
   




お江戸の川が、「銀河鉄道の夜」の銀河に重なってしまいました。
   
本所越え 銀河に散りし 江戸女
   

{銀河}という言葉にヨワイんですよ〜私(^^♪銀河に散って星になったおいね。空から長松を見守っていることでしょうね。
(麦わらぼうしさん)
なんだか、いい感じのする歌ですね。今月のお気に入りです。
(bf109さん)
おいねさんが実家を過ぎて八丁堀まで来てしまったこと、妄想が色々と湧き上がるところですが、命をかけてしまうほど、江戸の女だったのでしょう。
(すみれさん)



東吾が、この男にしてはしんみり子守歌に耳を傾けた。
「あいつ、案外、いい声をしてやがる……」
「源三郎子守歌」より
   
良き声の 西に響くや 盂蘭盆会
   

東吾さんでさえ聞いたことのない源さんの歌声だったようですが、その子守歌は、きっとおいねさんたちにも届いたでしょうね。
源さんの子守歌は抱いている赤ん坊に歌っているとともに、市三郎、おいね夫婦にも鎮魂の思いを込めて歌っていたのでしょうね。
(すみれさん)



 こでまりの五七五 

「今月のお話」は一読めの面白さで決めましたが、準備をしながら本文を読み直すほどに、登場人物のいろんな気持ちが気になるし、また詠み手が誰に心を寄せているかによっても、印象が変るお話だと思いました。
(こでまりの談)

新番方小町と呼ばれて育ったおいねさんは、それまで土に触れることなどなかったと思います。松戸に来てからは田畑がそばにある暮しで、天気によって、また季節によって変化する土の香りにまで、心を寄せることがあったのではないでしょうか。つましくとも、半年あまりのこの日々は、それなりに幸せだったと思います。
   
土の香に満ちる暮らしや瓜の花
   

こでまりさまのおっしゃるように、きっと幸せだったんでしょうね。つつましいけど幸せなおいね一家のささやかな喜びが感じられるお句ですね。
(麦わらぼうしさん)
二人の暮らしはそれなりに幸せだったと自分も思います。お金はなくとも見守ってくれる人たちに囲まれて、いずれは江戸へ帰る希望もあったと思われます。そんな様子がこのお句からも伝わってきます。
(すみれさん)



市三郎は旅支度で、女房は赤ん坊を背負っている。如何にも慌しい様子に呑まれて、藤兵衛夫婦は、なにも訊けずに三人を見送った。
「源三郎子守歌」より
いったいどんな使命感が、この二人をこんな風に衝き動かしたのでしょう。ともかくも、一瞬にして江戸へ向うことを決意したのですね。
   
馳せ上る水戸街道や盆の月
   

この緊張感!お師匠は、語彙の豊富さも、それらの使いこなしも鮮やかですね。私も、普段の日本語に磨きをかける努力をしなくては。
(ななかまどさん)



八丁堀から南町奉行所まで、東吾は源三郎につき添い、又、長助が走り廻って、町方お手先一同が次々と道筋に集まって来て、それとなく警固をしたが、水戸家のほうも、もはや覚悟を決めたように、手出しはしなかった。
「源三郎子守歌」より
この時の警固は、物々しいものではなかったと思われます。でも道筋に並ぶ町方の人々の背には、たとえ御三家が相手でも、指一本触れさせないというような無言の迫力があったように思いました。
   
幕臣の意気辻々に夏盛り
   

緊張感がひしひしと伝わってくるようです。やはりお江戸ですねー。
(bf109さん)



「このたびは、抜群のお働き、おいねどののことはお奉行も、いたく心を動かされてお出ででござった」
通之進の挨拶を受けて、笠原長左衛門は目を赤くした。
「源三郎子守歌」より
昨秋の祝言の日以来、手塩にかけた娘に裏切られた悲しさ、悔しさ、また自分の育て方の何が悪かったのか等と思わない日はなかったでしょう。この半年あまりの娘夫婦の暮らしぶりやこの度のことを聞き、悲しみは消えないまでも、それとは別に、自分自身を苛む日々からは、抜け出すことができたのではないでしょうか。
   
一対の位牌を迎え安居解く
   

水戸藩士の密書を見たばかりに思わぬ終焉になってしまい、父上の嘆きは大きいものだったでしょうね。おいねさんの最後の選択が娘や母ではなく、女だったからでしょうか。父上が孫を育てることで新たな生きがいを持ってくださるとよいのですが。
(すみれさん)
“安吾解く”がいまいちわかりません。横の解説を読むとなるほどなと思うのですが、安吾を検索すると坂口安吾がでてきます。坂口安吾作品って全然読んだことがないのでわからないのですが、坂口安吾の安吾でいいんですか?もしかして違う読み方や意味があるのではと思ったりしています。手元にある国語辞典で“あんご”をひくと“安居”しかのっていません。これもそれっぽいなぁと思ったり、季語辞典や歳時記には違う意味が載っているんだろうかと思ったり…俳句はやっぱり難しいです。
(紫陽花さん)
「安居」は、陰暦4月16日から7月15日まで、禅僧が寺に籠もって修行することだそうです。「夏安居(げあんご)」「夏行(げぎょう)」「夏籠(げごもり)」ともいうそうです。その時仏前に供えるのが「夏花(げばな)」で、6月のお題で私が使いました。文字通りの夏の季語です。「安居解く」は夏安居が終わることで、「解夏(げげ)」ともいいます。そういうタイトルの映画が最近ありましたね。2つとも秋の季語です。私は、兄を弔う和光尼さんが、仏門の人なので「夏花」を使いました。
(ななかまどさん)
そうなんです。「あんご」を国語辞典でひくと「安居」で夏の修行に関する説明がでてくるんです。でもってこでまりさんの「安吾」は載っていないんです。同じ意味でいいのでしょうか?坂口安吾と関係があるのかと思ったりしているのですが。←坂口安吾作品を全然読んだことがないのでどんな作品を書いているのかわからないのです。最初「あんご」を辞書でひいたら仏語とあったので「フランス語なのか。じゃあ私にわかるわけないや」と思ってしまいました。本物のお馬鹿さんです(笑)
(紫陽花さん)
紫陽花さん、悩んでくれてありがとう〜、っつーか、悩ませてごめんなさい。「安吾」は「安居」の間違いです(滝汗) 人様のお句は間違えないようにと思うのに、自分のはこんなもんです。で、「安居」は紫陽花さん、ななかまどさんの解説どおりのことなのですが、「安吾」になってたら、わかんないよね。本当に突っ込んでくれてありがとうよ〜。
おいねの父は、突然娘に裏切られた上に去られてしまい、通之進さんに止められて死ぬこともできず、また大っぴらに人に打ち明けることもできず、この半年余り、それらの気持ちをじっと心に押し込めて、まるで修行僧のような苦しい日々を送ってきたように思いました。娘夫婦の死は悲しいことには違いないけれど、それでも駆け落ちしてからの彼らの生き方・死に方に多少は理解できる面もあり、ずっと自分が入り込んでいた暗闇の中に一筋「これはこれで良いのだ」と思える光を見出せた。月日が経てば安居は終るのですが、自然に終ったというよりも、笠原氏は自分で区切りをつけたのではなかったかと思ったので「解く」としてみました。ななかまどさんも、フォローをありがとうございました♪
(こでまり)
あらら、宗匠「うっかり」でしたね。でも「安居」は良い言葉ですよね。笠原氏の気持ちは想像するに痛ましいものがあり、「このたびの抜群のお働き」という通之進お兄様の台詞が空しいながらも「ひとすじの光明」に思えたかもしれませんね。
(はなはなさん)
笠原氏の心情を「安居」でとらえたのは、さすが宗匠!と思ってました。おいねさん・お千絵さん・おるいさんの3人とも、母を早く亡くして父一人娘一人の境遇が共通しているんですね。平岩先生もお母様はお元気ですが、お父様にとても愛されて育ったとのこと、また小説修業の上での父ともいえる長谷川伸氏への想いなど、きっと作品中に反映されているのだと思います。
(たまこさん)



赤ちゃんの産着の「麻の葉模様」には、「麻のようにすくすくと」という他に「厄除け」の意味もあるそうですね。源さんがこの赤ちゃんに触れるのは、おそらくこの日限りでしょうが、不思議な縁の赤ちゃんの成長と幸せを、強く願ったことでしょう。
   
麻の葉に幸を託しし父母に麻生ふごとき姿見せなむ
   




 はなはなさんの五七五 

詠むポイントは幾つか見つけたのですが、複雑な事情と込み入った感情になりそうで、苦吟しました〜。よく読んでみるとおいねさんの描写も少なく、筋をしっかり追うことで、それぞれの心理を想像させることを狙っているような描きぶりです。あまり季節の風物も多くなく…想像力を駆使せざるを得ませんでした〜。は〜むずかしい。で、おいねさんに注目してみようと決めたのですが、東吾さんのいうとおり、なかなか納得できない気持ちのあやがあります。源さんにしても、おいねの名も知れぬ子を抱くまではそうだっただろうと思います。でもおるいさんはおいねさんの気持ちがわかったようです。ではお千絵さんは…?どんどん袋小路に入り込んでいきました(T-T)
 (UP後に)
今月もいろいろな視点で、趣向もバラエティで「はいくりんぐ」らしい「源三郎子守歌」になりましたね〜。ボリュームといい内容といい、もっとゆっくり味わいたいです。それにしても皆様の御作の素晴らしいこと♪「おまけ」は「おまけ」といえないぐらい豪華で目移りしてしまいました。
(はなはなさんの談)

法要に招かれた人々は、ごく内輪であったから、読経が終って、墓前に詣でながら、各々に故人の思い出話を語り合っていた。
「源三郎子守歌」より
まずは夏の寺の風情に引かれて。生前の佐兵衛の人柄のように清々しい法要だったことと思います。
   
しのぶ日の庭にこぼれぬ椎の花
   




おいねはどんなことを考えて市三郎と子をおいて八丁堀へ向かったのでしょうか。市三郎を検視したのが源三郎とはこの時点では知るよしもないはず、おそらく「逃げよ」と市三郎に促された後、彼女はどんな決心をしたのか、胸に迫ります。
   
役宅の十薬の白さに許し乞ふ
   

このお句のおいねさんは静かに源さんとのいきさつを思い出していたのでしょう。十薬の白さに喩えるところがはなはな様の言葉選びの巧みなところですね。
(すみれさん)



「おかくまい申します。お案じなさいますな」
低くささやいて、お千絵は玄関へ戻った。式台へ丁寧に手を突いて、侍たちにいった。
「なにかのお間違いではございませんか、当家に左様なお方は居りませんが……」
「源三郎子守歌」より
おいねの様子にお千絵も何事かを悟っていたでしょう。ただいまは源三郎の妻として、子も身籠り、自信めいたものもあったでしょう。祝言の日に出奔したおいねをどこかでさげすみつつ、子を身籠って抜き差しならなくなったおいねが、本来姿を見せられないはずのこの役宅に来たわけを何事か察してお千絵は何かを越えたのかもしれません。玄関に迫る水戸藩士もおり、緊張感のみなぎるシーンですね。
   
向きあひて蝉しぐれ聞くなお止まず
   

切迫した場面では、五感が研ぎ澄まされるのではないでしょうか。何かに対峙しながら、まったく別の感覚が働いていて、それを感じている自分もいるような…。「蝉しぐれ聞く」にそんなことを感じました。
さすが!源さんの奥方、背丈もあるのできまるでしょうねー。
(bf109さん)
千姫様のお句と同様に二人の女性の眼光のするどさが浮かび上がってきますね。前のお句とは一変して、おいねさんのはげしい情念が見事に表現されています。
(すみれさん)



「おいねさん夫婦は、その密書を偶然読んだんだ。おそらく、病気の介抱をしてやっている中に、身の廻りのものを洗ってやるかなぞした時に、みる機会があったんだろう。坂倉市三郎はくさっても江戸侍だ。命がけでこいつを知らせようとした」
「源三郎子守歌」より
市三郎とおいねは切羽詰って駆け落ちをしたのでしょう。松戸でのつつましく勤勉な生活が彼らの気持ちを物語るようで、水戸藩士のただならぬ密書に仰天して、江戸へ走るその気持ちもけなげですよね。市三郎・おいねともに直参の子です。また、お千絵も江戸の女、「江戸の人々」の誇りを平岩先生は書きたかったのかなぁ、と思いました。
   
不義理とてひたすらに生き竹落葉
   

現代なら駆け落ちしなくても、一緒になれますよね。でも、制約の多い江戸時代だからこそのひたむきさが、胸に響きます。
(ななかまどさん)
確かに要領の良い生き方ではなかったかもしれないけど、愛を貫いて、最後には「江戸の人々の誇り」の為に死んだ…とてもマネはできないけど、そのひたむきさ、ななかまどさまに同じく胸に響きます。
(麦わらぼうしさん)



源三郎がおいねの子をあやすシーンは、最初から「詠もう」と決めていました。ただ、この複雑な源三郎の気持ちは17文字では表現できないような気がしました。
   
この子誰の子尊い子想いも抱き取り源三郎子守歌
   




 たまこさんの五七五 

昨年秋の「源三郎祝言」、そしてこの夏は、その後日談となる「源三郎子守歌」がお題に…源さんとお千絵さんの引き立て役として登場したかに見えた、おいねと坂倉市三郎ですが、全く思いがけない形での再登場で、初めて読んだときの衝撃を今でも覚えています。この赤ちゃんも、今頃は、源太郎よりも少し年上の少年となっているはず。文武両道に励んでいるだろうか、笠原長左衛門氏は今もお元気だろうか…と心にかかります。
(たまこさんの談)

しかし、源三郎は席へ戻って、そっとお千絵に耳打ちし、そのまま、方丈を抜けて玄関へ出て来た。
「なんとも、恐れ入ります」
「源三郎子守歌」より
愛妻に「そっと耳打ち」して御用に出ていく源さんがいいですねぇ。お千絵さんもちょっと寂しい反面、働き盛りの夫を自分が支えなければと、多少気分の高揚するような感じもあったのでは?
   
中座する影に心で切り火する
   

非業に死んだ江原屋さんの新盆ですが、法事が必ずしも暗くないのは、お千絵さん夫婦が幸せに暮しているからでしょう。「心で切り火する」に、日々夫婦としての信頼を重ねている雰囲気が、よく表されていると思いました。
なるほどと合点しました。岡っ引きの捕り物帳や今放映されている次郎長でもおかみさんの切り火はなくてはならないものですが、同心の家では町方ではないから、実際に行うことはない?と思っていました。お役目の安全を願ってどの奥方も心中で切り火するのですね
(すみれさん)



そういわれて、お吉が少しばかり眩しそうな顔をしたのは、お客のためというよりは、いつか、東吾とるいの間に、愛らしい赤ちゃんが生れなさったら、と、心ひそかに用意していたというのが本当のところだったからである。
「源三郎子守歌」より
ここはぜひ、「お吉さん五七五を」と思っていたところ。女中部屋の押入れに積み上げてある古浴衣と、お吉さんのむずむずした表情が目に浮かびます。
   
古浴衣本音を言えず針通す
   

ここ〜!私も詠みたくて一つ詠んだんですが、まさしく「こんなふうに詠みたかった〜!」です、うまいです!
(麦わらぼうしさん)



紫陽花さんの「オマケ」今回はここかな?と思ったんですが… 八丁堀に出入りの商売人たちの応援団ぶりも、源さんを巡っての昔のライバル(?)にも関わらず身体を張って同性の危機を助けようとするお千絵さんも、心意気が嬉しいシーンです。
   
ガンモ飛ぶお江戸で野暮は許さねえ
   

この場面大好き!江戸っ子たちの心意気がビシバシ伝わってくるお句ですね。
(麦わらぼうしさん)
「野暮は許さねえ」がいいですねー。
(bf109さん)
畝家の一大事に皆が力を合わせて侍を撃退する場面を「許さねえ」とべらんめえ口調が効いていて痛快です。
(すみれさん)



おいねさんも市三郎さんもきっと、あの世で源さんたちに感謝しつつ、子守歌に耳を傾けていただろうと思います。
   
どの子にも親にも届けと子守歌
   

わあ、私と同じ箇所で、よく似た視点ですね。嬉しいです。普段は歌わないらしい源さんの、万感があふれだしたのでしょうか。
(ななかまどさん)



【おたま姐さんの現場検証 牛頭天王社・千住大橋】
死体を若い者に運ばせ、一同がぞろぞろと池のほとりから出てくると、そこへ牛頭天王社の神職がやって来た。
境内に捨て児があるという。
「源三郎子守歌」より
おいねと市三郎の子供が見つかった千住の牛頭天王社は、正しくは素盞雄神社、スサノオノミコトを祭る神社で、今でも荒川区内で最も広い氏子区域を持つ神社として賑わっています。
牛頭天王というのは、もともとインドの神様で、疫病を流行らせたり鎮めたりする神だそうですが、同じ「荒ぶる神」のイメージがあるためか、日本ではスサノオノミコトの別名として親しまれるようになったそうです。
牛頭天王社というのは、お稲荷さんや天神様ほど私たちにはおなじみではないような気もしますが、「かわせみ」物語にはしばしば登場するようで、最新刊「浮かれ黄蝶」にも「わいわい天王の事件」や「清水屋の人々」にその名が見られ、案外あちこちにある神社のようですね。
「源三郎子守歌」では「牛頭天王社の大屋根」と共に「小塚原の仕置場」が見えてきますが、JR常磐線の南千住駅前には、「小塚原の首切地蔵」という大きなお地蔵様があり、仕置場の由来も記されています。杉田玄白たちが、この刑場で刑死した罪人を解剖し、日本の医学が大きな飛躍をとげたことはよく知られています。
南千住駅から、隅田川のほうへ通りをまっすぐ5分ほど行くと、日光街道と交差する所に、牛頭天王社素盞雄神社があります。天王祭は6月3日、2日の宵宮祭と共に毎年盛大に行われているそうです。もともとは、疫病が流行しやすい夏の盛り(旧暦)を前にして、疫病を退散させてほしいと神に願うお祭りだったとのこと。

神社から日光街道を200メートルほど行くと、もう千住大橋に出ます。
「かわせみ」ばかりでなく、鬼平でも藤沢周平作品でも、ほとんどの時代劇でおなじみの千住大橋。芭蕉の「奥の細道」旅立ちの場所としても有名ですね。

牛頭天王社はあまり耳なじみがありませんでしたが、街道に面していたとのことで、当時から立ち寄って祈りを捧げた人も多かったのでしょうね。
今年は雨の日も多かったので、歩く途中で降られなかったでしょうか。姐さん、今月もありがとうございました。
たまこ様の丁寧にして、知識のあふれる現場検証も楽しみに拝見しました。
(すみれさん)
たまこさまの現場検証も、いつもただただありがたいです〜。お江戸は遠いけどこうして毎月見られるなんて♪
(のばらさん)



 浅黄裏さんの五七五 

今月は私の好きな「豆腐や大根の飛ぶシーン」があるお話ですね。ここのところの畳み掛けるようなリズムが大好きなんです。好きなわりには、そこのところの句は詠めず…。でも八丁堀での源さんやお千絵さんの暮らしぶりが少しだけ見られるような気がして嬉しいです。
(浅黄裏さんの談)

市三郎か、おいねかは知らないが、二人はその侍の持ち物から、なにかをみつけた。それは、父祖代々、幕府の禄を食む者にとって重大ななにかだったに違いない。夫婦はそれを奪って江戸へ夜旅をかけた。
「源三郎子守歌」より
これは市三郎です。鍬をふるってよく働いていた市三郎。水戸藩士の密書を持って帰れば勘当が解けるかもしれないなどという思惑からなどではなかったと信じたいです。
   
夏草や倒れ伏すとも忠の道
   

零落した御家人の三男で、食うために蔵宿師をしていたという市三郎さん。幕府を恨んで、水戸家の密書なんぞ放っておいてもよかったでしょうに。私には、お武家さんの気持ちはわかりませんが、市三郎さんもかわいそうです。
(ななかまどさん)
浅黄裏さまのコメントに同感。環境のせいでマトモじゃない事してただけで、根っからのワルじゃなかったわけで。もし無事に生き延びていたら、いくらでもやり直すチャンスはあったろうに、と思うと残念です。
(麦わらぼうしさん)



「源さん……俺がいいたいのは……おいねさんが江戸へ入った道筋は、どこから来たとしても、八丁堀へ来るよりは本所の親父の屋敷へかけ込むほうが早かった筈だってことさ」
「源三郎子守歌」より
これはおいねさんです。るいさんが言った「女心」は、実はよくはわからないのです。見分ける(?)としたら、市三郎は、おいねが畝源三郎のもとへ密書を届けようとしていたことを知っていたかどうかです。畝家へ行くことをおいねが市三郎に告げていたのなら、おいねはもう源さんへの気持ちにけじめをつけていたと思います。逆に知らせずにおいねの一存で畝家へ行ったのなら、まだ源さんへの思いが残っていたのかもと思います。「江戸へ」といえば当然「笠原家へ」を意味するものと決め込んでいたのは市三郎だけだったのかもしれませんね。果たして夫婦の共通認識はどのあたりにあったのでしょうか。
   
「畝さまへ」朱引きの内へ戻る夏
   

「朱引き」とは江戸時代の地図に、ご府内の範囲を示すために引かれた朱色の線だそうですね。おいねさんにとってはまるで結界を越えるような、そんな感じがしました。おいねさんがいつ、源さんを訪ねる気になったのか、とても気になりますね。
女心、…。ほんと、始めからなのか気が変わったのか、そこが問題ですねー。
(bf109さん)
市三郎がどこまでおいね行動を把握していたか?との視点は、言われるまで気づきませんでした。さすが、女心の微妙を見事に俳句に詠まれています。おいねは舟に乗ってきたらしいから、舟に揺られている間に母と娘と女の心がゆらゆらとしていたのではないでしょうか。
(すみれさん)



 コシキブさんの五七五 

このお話、お千絵さんの賢妻ぶりとおいねさんとの出会いの場面が印象に残っています。
最近、俳句を作っていて「これははいくりんぐのどなたかが使った表現ではなかったかな?真似じゃないかしら?」と心配になることが よくあるんです!毎月たくさん読ませていただいてますので意識しないでもポロリと同じ言葉を使ってしまいそうで。
(コシキブさんの談)

胎内に命を宿すと見えるものも違ってくるものです。赤ちゃんを迎える準備を始めたお千絵さん、幸福感で胸がいっぱいだったでしょうね。彼女自身が美しく輝いていたでしょう。
   
命萌え景色かがやく盛夏なり
   

ちょうど緑濃い季節で、喜びも重なってまわりの景色がますます美しく見えるのでしょうね。コシキブさんの言うようにお千絵さん自身も輝き始めていたはずで、源さんもいい加減に気づけよっ!って場面もいっぱいありましたね。
そうそう!考え方ひとつでまわりが違って見えるってありますものね。希望に満ちたお千絵さんの気持ちが伝わってくるようです。
(麦わらぼうしさん)



豆腐屋がいったのは、この連中のことかと思い、お千絵は落ちついて、相手をみた。
成程、勤番者だと豆腐屋がいったように、着物の好み、着付け方が江戸の侍ではない。
「どなた様でございますか」
「源三郎子守歌」より
お千絵さんの冷静な応対はまさに「八丁堀の妻」ですね。武家の生まれではないのに見事です。さすが源さんの惚れる女性です。
   
妻選ぶ眼も確かなり巻羽織
   

女心はわからなくても、女を見る目はあるんですね。さすがにいろいろな人を見てきた「源さん」だ。
(bf109さん)



おいねさんと市三郎さんは駆け落ちという行為で家に泥を塗った…とはいえ、この最期は悲惨で可哀相な気がします。で、愛を成就したおふたりへの鎮魂歌という意味で作ってみました。
   
沙羅の花逢うこと願うふたたびの
   




「でも……」
大事の密書を畝源三郎に渡したかった女心が、るいにはわかるが、東吾の方はなんとなく納得しない顔である。
「源三郎子守歌」より
おるいさんの言うようにおいねさんは源さんにも心惹かれるものがあったのでしょう。恋人がいてもそういう事はありますよ!駆け落ち後の生活はそれなりに幸せでも、ふと皆に祝福された穏やかな源さんとの結婚生活を想像したことがあったかもしれません。
   
忘れえぬ人へ駆け出す日の盛り
   

おいねさんは危ないと判っていても源さんの様子を知りたかったのですね。
(すみれさん)



おいねさんの子供をあやす源さん。なんだか不思議な縁ですね。この時お千絵さんに宿った命は残念なことになってしまいますが、その後生まれてくる子供たちと親馬鹿源さんを知っているのでこの場面も微笑ましく感じることが出来ます。
   
未だ見ぬ子腕に抱く日よ蝉しぐれ
   

はなはな様の「蝉しぐれ」は緊迫感。コシキブ様のはいろいろな思いのこもったカーテンコールですね。
(ななかまどさん)



 みちころんろんさんの五七五 

このお話も、源さんの人柄がよくあらわれてますよね。いつものことながら、思いつくまま詠んでみました。
(みちころんろんさんの談)

とたんに、表からその侍めがけて豆腐がとんで来た。侍の頭に当って、ぐしゃりと砕ける。
「泥棒だ、泥棒だ。畝の旦那のお屋敷に泥棒が入ったぞ」
「源三郎子守歌」より
役目がらというだけではなく、それを離れても日ごろから周囲の人たちへの気配りを忘れない源さん、そしてお千絵さんだからこそ、いざと言うとき、このように皆が助けてくれるんですよね(*^-')b☆
   
豆腐飛ぶ 畝の奥方 一大事 がんもに大根 庶民が味方
   

最後の「庶民が味方」っていうのがいいですね。普段見返りを求めず働いているはずなので、こういう「お返し」は源さんにとっても嬉しいでしょうし、妻のお千絵さんにとっても誇らしいことでしょうね。
最高におもしろい場面ですよねー。たじたじな侍が目に浮かぶようです。
(bf109さん)



本当に何を考えながら抱いていたのでしょう?子守唄も自然と口ずさんでいたのでしょうね。
   
巻羽織 慣れぬ手つきで 赤児(ヤヤコ)抱き 思ひ描くは のちの我が子よ
   

実際にわが子、源太郎ちゃんを抱くまでには試練が待っていましたが、この時の源さんにはわが子を抱いている気持ちになっていたのではと思います。
(すみれさん)



「もう半年もすると、御自分の赤ちゃんに子守歌をうたってあげることが出来ますのにね」
「知らぬが仏だよ。ざまあみろだ」
「源三郎子守歌」より
東吾さんの茶目っ気たっぷりな言葉、そういっている東吾さんだって、自分のときはやっぱり気づかなかったんですよね。いい勝負です(#^.^#)
   
朴念人 気付く訳ない 俺の友
   

うふふ、「類は友を呼ぶ」でしょうか。でも、この二人、早く気付いたら徒に心配しそうなので、かえってよかったかもしれませんよ。
(ななかまどさん)
ほ〜んと、どっちもどっちの二人、お互いそう思ってるんでしょうね。
(麦わらぼうしさん)



 じゃからんださんの五七五 

今月のお話は絶対参加したい!と思ったわりには、いつにも増して難しくて。最終的に、自分でもなんだか見当外れかなあと思うものばかりになってしまいました。毎月言っているようで すが、皆様の作品を拝見して目から鱗の刺激を受けたいと思います(それが身につけば、なおいいんですが〜)。
 (UP後に)
拝見しました〜。今月も読み応え、見応え、たっぷりで嬉しいです。さっそく目から鱗をやっていましたが、またこれから読み返しに行ってきま〜す。これが何度やっても楽しいんですよね♪
(じゃからんださんの談)

十日ほど前に、八丁堀の高橋宗益を訪ねて、診察を受けた時に、月満ちて生れるのは来春早々といわれてもいる。
「源三郎子守歌」より
なんだか「源三郎子守歌」のわりには、お千絵さんの方が源さんよりも多くなってしまいました。最初は縁側で赤ちゃんができた幸せを噛みしめているお千絵さん。祝言や新婚直後の時とはまた違った幸せに浸っている姿が素敵です。
   
夏の陽に透けたる青葉に目を細め月満つる日を数へて微笑む
   




それとは対照的に、赤ちゃんを残して八丁堀に必死に向かったおいねさん。どのような状況下で市三郎さんと別れることになったのかは明らかではありませんが、お互いの、そしてもしかしたら赤ちゃんの身にも危険が迫っていることは承知していたはず。後ろ髪を引かれながらも必死に急を告げようとしたおいねさんが切なくて…。
   
後ろ髪引かれ引かれて足早む本所深川八丁堀へと
   

お千絵さんを詠んだお句は幸せが溢れてくるようで、おいねさんを詠んだお句は危険が今にも追いかけてくるようで、その対比がまたいいなぁと思いました。
(麦わらぼうしさん)
「引かれ引かれて」がいいですねー。おいねさんも、必死だったんでしょう。
(bf109さん)



侍が土足のまま、式台にふみ込もうとした。
「無礼なことを、なされますな」
「どけ……」
「いいえ」
「源三郎子守歌」より
そのおいねさんやおるいさんと違って、お千絵さんは武家の出身じゃないんですよね。もともとしっかりした性格とはいえ、夫の留守中に逃げ込んできたおいねさんを、抜刀する相手から守りぬこうとする凛とした態度は、やっぱり亡き江原屋左兵衛さんの娘だからかなあ、と勝手に想像してみました。
   
覚悟決め人を守れる家刀自は父の最期を心に刻みつ
   

確かにこういう時のキリッとした応対には、同心の妻の自覚だけでなく、江原屋さんのDNAも感じられますね。
「家刀自」という言葉がいいですね。生家と婚家の美点を合わせて、お千絵さんは毅然とした妻・母になってゆくのですね。
(ななかまどさん)
この時のお千絵さんの毅然とした態度、源さんの家内としてだけでなく、お父さんの事も心にあったとの視点になるほどなぁと、じゃからんだ様の深い詠みのお歌を何度も読み返しています。
(すみれさん)



最後にようやく源さんですが(笑)、ここはやっぱりポイントですよね?常々人の命の重みを感じている源さんですが、腕の中の赤ちゃんは、もしかしたら自分の子供だったかもしれないわけで、人の命を守るという自分の使命をより一層感じたのではないのでしょうか(そんな源さんが大好き♪)。
   
この腕にかかるる重みたまきはる命の雫を守らむとぞ思ふ
   




 のばらさんの五七五 

「源三郎祝言」ではおいねさんって、向こう見ずなワガママなお嬢さんというような印象だったのですが、このお話しを読むと、赤ちゃんもいるのに一命を賭して江戸に戻ってきた、そして夫婦ともに亡くなった…そのことの重みに圧倒されました。
 (UP後に)
夏って小式部さまも詠まれてたようにかがやく季節なイメージですね。そんな季節の中で笠原さんはどうしてただろう…と思っていたら、自分の中のいろんな思い出とかが浮かんできて、浮かんだ句でした。アップを拝見していて、小式部さまのお句と対照的な心情・シーンを詠んでたんだ〜と 思ってビックリしてます。はいくりんぐのお仲間と、同じシーン・違う視点であったり、こういう対照的なシーンや心情であったり、よめなかった、ヤラレタ〜と気持ちいいやらくやしいやらであったり、いろんなお句が集まるのが毎月楽しみで、目からウロコでたまらないです。
(のばらさんの談)

「不孝者が……せめて、上様に忠義を尽くしてくれましたこと、親としてまことに面目が立ち……」
声がかすれて、笠原長左衛門はそのまま、両目を押えた。
「源三郎子守歌」より
亡くなってしまったおいね夫婦。父・笠原氏には筆舌にしがたい辛さがのしかかったのではないかと思います。残された孫を見て娘の赤ん坊だった頃を思い、また孫が泣いてオムツや空腹を訴えられてはハッと現実にかえる、そんな毎日だったかもしれません。娘夫婦、笠原氏は永遠に隔てられてしまった。孫のこの子が健やかに育ちますように…。
   
色の無い夏の過ぎ行く赤子泣く
   
渡ること出来ぬ川あり河鹿鳴く
   

当分は「色の無い夏」「色の無い秋」…と続くのかも知れません。それでも身近に自分の庇護がないと生きられない家族ができて、その遠慮のない泣き声までもがかえって笠原氏の心の支えになっていくように思います。
「色の無い夏」という言葉にもハッとさせられました。うーん、笠原氏の心中までは考えてなかったなー。
(コシキブさん)
私も「色の無い夏」にハッとして、思考が宙に飛んでしまいました。コメントにも心打たれました。私は詠みたくて詠めなかった場面に笠原氏の本音「忠義がなんだ、どんな姿でも生きていて欲しかった。親より先に死ぬ奴があるか!!」をどうにかして五七五にしたかったんだけど、思い入れが激しすぎて撃沈してしまいました。宗匠のよくいう視点を変えてって、こういう事なんだなぁ、って思いました。のばらさんの句は、静かに深く心に響きました。
(千姫さん)
「色の無い〜」お祖父様の名の一文字をもらった赤ちゃんが、ゆっくりと笠原家に色を取り戻してくれますように…。
(ななかまどさん)
「色の無い夏」「渡ること出来ぬ川」どちらの言葉も重く心に響きました。
(麦わらぼうしさん)
「色のない」いい表現ですねー。現実と非現実の境目のような感覚が伝わってくるようで。
(bf109さん)
笠原の父上の心情は切なさの極みで、のばら様の俳句が見事にその心を詠まれていて、いつもながら奥深さを感じております。孫の成長の後、渡ることができなかった川を渡って、おいねさんに逢えるその日まで、父上の御心がやすまると良いですね。
(すみれさん)



遺骸は行列をととのえて、八丁堀から本所へ向う。
源三郎も東吾もその行列に加わった。
「源三郎子守歌」より
東吾さんのセリフは幸せを感じさせるものですが、わたしたちはこのときの子が元気に生れてこないことを知っている。おいね夫婦の死、源さん夫婦の赤ちゃんのこと、なんだか「源三郎子守唄」というタイトルですが全体的に「鎮魂歌」のような、なんとも悲壮な雰囲気も感じてしまいました。
   
夕顔や鎮魂の歌の路に咲き
   




 bf109さんの五七五 


 (UP後に)
前の登場で後味の悪い去り方をしていたのに、この物語で「汚名返上」ができて、平岩先生の心の温かさなどを感じたりします。
(bf109さんの談)

留守には、もう馴れていた。
ここへ嫁に来る前から、畝源三郎の気性はよく知っている。
町奉行所同心という役目を天職と心得ている男であった。
「源三郎子守歌」より
「るい」さんも良いですが、わりと「お千絵」さんが好きです。
   
巻羽織 お江戸守るを 天職と 夫の誇り妻の誇りに
   

お千絵さんって、るいさんと違ってあんまり色っぽくはないけれど、こういうタイプが好みっていう男性、案外多いんじゃないかと思います。もちろん同性から好かれる人でもあると思いますが。bf様の奥方様もお千絵さんタイプですか?
(たまこさん)



二、三人がどなり廻る声と一緒に、豆腐、がんもどきがとんでくる。大根、人参が宙をとぶ。
侍たちが顔を見合わせ、門の外へ逃げ出した。
「源三郎子守歌」より
   
がんもどき・豆腐・人参・切られ物 組屋敷では 刃物追い出す
   

うまい!!包丁で切り刻まれる食材たちは、丸腰パワーを支えましたね。
(ななかまどさん)
ここぞとばかりに反撃!ホント、うまい!ですね(^^♪
(麦わらぼうしさん)
このユーモアとセンスに拍手です。切られ物が切る刀を追い出すかぁ…いつもの掛け言葉といい、リズムの良さに惚れ惚れします。
(すみれさん)



   
露知らず あやす武骨の子守唄 六月(むつき)後には 褓襁整う
   

お〜っ、今月は「むつき」で来ましたか〜。残念ながら「六月後」は迎えられなかったのですが、それでもこの時のラストシーンは、希望を感じさせる良いシーンですね。



 ぐりさんの五七五 

今月のお題はおいねさんの女心が切ないですね、読み返してみていつになくそう感じました。いつもは女の人の気持ちに敏感に反応する東吾さんが源三郎祝言でも鈍いのはなぜでしょうね?
(ぐりさんの談)

仮の住まいでも親子三人 愛情もあり幸せだったのではないでしょうか
   
浮巣でも 穏やかな日が あったはず
   

松戸での日々は、夫婦となり子どもが生れ、いずれは江戸へ戻るという希望もあったようで、喜びも幸せもそれなりに感じていたようですね。



それに、と、お千絵は針の手を止めて、そっと自分の腹部へ目を落した。
まだ、まるで目立っていないが、指折り数えなくとも、そこには四ヶ月の胎児が育っている筈であった。
「源三郎子守歌」より
お腹に赤ちゃんが出来たお千絵さん まだ源さんにも打ち明けていないけれど〜 お腹に手を置くことで赤ちゃんの存在をなお実感できますね
   
羅の 腹に手をおき いとおしむ
   

ぐり様、「羅」が読めませんでした(恥)検索しても音読みの「ら」しか出てこないので、この場合の読み方、四文字をどうか教えてください。(滝汗)
(すみれさん)
羅ーうすものと為っていました 薄絹の単という意味だそうです 夏らしい季語だと思い使ってみました
(ぐりさん)
ぐりさんの“羅”もわからなかったです。「うすもの」ですか。初めて出合ったの言葉です。
(紫陽花さん)



さて、一件落着した翌日「かわせみ」では、朝から、赤ん坊を風呂に入れ、新しい衣服を着せて、大さわぎをしていた。
赤ん坊にとっては、祖父に当る笠原長左衛門が、今日、孫息子をひきとりに来る。
「源三郎子守歌」より
親の死も知らぬ赤ちゃん すくすくと育ってほしい
   
夏掛けを 蹴り上げる阿児 よく笑う
   




危険を冒しても源さんの元に密書を届けたかったおいねさんの女心を源さんはどんな風に感じたんでしょう?
   
ほれられて 胸にぽつんと 落ちるもの
   

うまく表現できないんですが、このお句、とっても心に響きます。
(ななかまどさん)
そうですよね、より危険な確率の高い我が家に向かったおいねの心、源さんはどう思ったのか、知りたいような、知らなくていいような…
(麦わらぼうしさん)
ここまで思われてみたいものです。
(bf109さん)



 花みずきさんの五七五 

今月は割と早くに出来ていたのですが 「もう少し」と欲張ったせいで遅くなって申し訳ありません。このお話とても好きなのですが「出来ない」 どうも私は好きなお話ほど「出来ない」というジンクスがあるようです。(他も出来ないのですが…) ではよろしくお願いします。
(花みずきさんの談)

おいねは、本所で足を止めなかった。
危険を承知で、八丁堀の畝源三郎へ、これを届けようとした女心は、もとより、祝言を前にして、自ら裏切った男への、せめてもの詫び心だったのだろうか。
「源三郎子守歌」より
おいねさんの心模様を詠みたいとがんばったのですが結局そのままになってしまいました、もっと深く詠めるとよかったのですが。
   
詫び心女の心夏果てて
   

冷静に考えれば、一刻も早く実家に密書を届け、助けを連れて千住に向うべきだったでしょうが、そこまでの危険を感じていなかったのでしょうか。いつの間にかおいねさんの心は、八丁堀に行くことでいっぱいになってしまっていたのですね。
「夏果てて」がいいですね。私は、微妙な女心は持ち合わせていないのですが、いざというときは、理性的な行動よりも感情に忠実な行動をとります。その辺りはおいねさんと似ているかも知れません。
(ななかまどさん)
ななかまどさまに同じく、「夏果てて」がいいです。みなさまがおっしゃるように、考え抜いて八丁堀に向かったのではなく、とっさに足が向いたんでしょうね。
(麦わらぼうしさん)
これが女心ですかー?。
(bf109さん)
そうするかどうかは別として、女にはこういう心が働くこともあるんですよ〜、bf109さん。
(こでまり)



なんだか最近、サブキャラに肩入れしてしまう。
   
直参の意地と忠義に炎ゆ(もゆ)思い
   

「サブキャラにハマる」って、わかりますよ〜〜名前さえわからないような端役なのに、何だか気になる人っていますよね。作者が詳しく書いてないぶん、こっちの想像(妄想?)の余地があるからでしょうか。
(たまこさん)
「直参の」サブキャラに肩入れする気持ちが自分もよくわかります。それだけ人生経験を積まれた証ではないでしょうか。市三郎さんも自分は武士だ、直参の端くれだと合点して燃えつきたと思います。
(すみれさん)



男の声で、子守歌が聞えた。
お吉がおかしそうに入って来て告げた。
「畝様が、赤ちゃんをあやしてお出でなんですよ。子守歌なんて、はじめてお歌いになったんじゃありませんか」
「源三郎子守歌」より
   
巻羽織春には本番子守歌
   




 あっちの管理人さんの五七五 

このお話は源太郎ちゃん誕生前の畝夫婦が主役という珍しい話で、お千絵さんの心情が描かれている数少ない話でもありますよね。残念ながらこの時のお子は流産という辛い結果になってしまいましたが、その後元気に源太郎ちゃんが生まれて本当によかったと思います。
 (UP後に)
朝からしっかり楽しませて頂きました。おまけも益々豪華になってません?紫陽花さんの3人組も、たまこ姐さんの現場検証ももはや「はいくりんぐ」になくてはならない立派なレギュラーの地位を獲得していますよね。更に今月のもう1つのオマケは何かなぁと思っていましたが、すみれさんの「あの世からシリーズ」こちらもレギュラー入り近し?(笑) 皆さん作品をよ〜く読み込んで、登場人物一人一人の心情に深く入り込んで詠んでいらっしゃるのには本当に感心してしまいます。密書を実家にではなく八丁堀の畝様へ届けようとしたおいねさんの心情がどこにあったのか、もう一度皆さんの句を拝見して私なりに探ってみたいと思います。
(あっちの管理人さんの談)

東吾は兄嫁の後で、すこぶる神妙であった。
兄嫁が、なにもかも知っているからと、おおっぴらに、るいに対して馴々しくふるまうほど、けじめのない男ではないし、それは、るいにしても同様であった。
「源三郎子守歌」より
お千絵さんの父上の法事では、さすがの東吾さんもるいさんに馴れ馴れしくするようなことはせず神妙にしていましたね。いくら義姉上がなにもかも承知とはいえ、そういうケジメが東吾さんらしいといえば東吾さんですね。もっとも普段は八丁堀と目と鼻の先の大川端でおおっぴらですけど(笑)
   
今日だけは神妙気取る義姉の前
   

ここは詠みたかったんですが、管理人さんの独占ポイントですね!東吾さんのこういうところ、やっぱりいいですね。
ここも見落とした場所でした。悲痛な箇所も多いお話だけに、このお句を読むと、ほっとします。
(ななかまどさん)
私もここ詠みたかった〜!義姉上の前で小さくなっている東吾さんが見えるようで楽しいです〜(^^♪
(麦わらぼうしさん)
いつも東吾さんに思いのとまる管理人様らしいお句ですね。その場の皆が承知のことでも、公の場ではけじめをつける奥ゆかしさは現代人の見習いたい心得ですね。
(すみれさん)



ただ、江戸の治安は俺達が守っているのだという八丁堀育ちの意気地のようなものは、彼にも亦、強い。
職務に忠実なのは、そのためであった。
そして、お千絵も江戸の女であった。
「源三郎子守歌」より
お千絵さんって本当にご主人が好きなんだなぁと思いました。るいさんも亭主の好きな赤烏帽子で、東吾さんの捕り物の手伝いを一緒になって楽しんでいる風がありますが、お千絵さんもまた同心の女房として、江戸の治安を命がけで守るご亭主の意気地、しっかり持ってますねぇ。そしてもう一人、危険を顧みず天下の大事を源三郎に知らせようと走ったおいねさんもまた江戸の女の一人でしたね。
   
吾もまた江戸の女の意地一つ
   

こちらのお句、お千絵さんも、おいねさんの事も詠んでいるんですね。広い意味で、江戸に住む女の心意気を表しているんですね。
(麦わらぼうしさん)
「江戸の女」の意地…いいですねー。最近の女性には…今は江戸じゃないか。
(bf109さん)



源さんってお吉さんも言っていたように、子守歌なんて歌ったことなかったのかもしれないけど、ドラマの中では三味線弾きながら小唄を歌ってましたね〜 原作にそんなシーンあったかな…でもいい声でした(笑)
   
夏の朝赤子に歌う子守歌