先月のお題「秘曲」を読み返したり、ご本家の「はずせない10話アンケート」に取り組んでいたら、どうにも麻太郎くんと千春ちゃんのことが気になって…。どう見ても二人は兄妹なんだけど、最近の麻くんは千春ちゃんに思いを寄せてる風もあり…。で、やきもきしたこでまりが、以前ご本家に提出した「その後のアンケート」を元に、とんでもない「妄想話」をでっちあげました。妄想ですから、時代考証も何もありません。もとより本編とは全く関係のないものですので、読んだら忘れてくださいね。
(平成17年3月)



花月の行方



ある秋の日、るいはお吉を伴い出かけた。知り合いへの届け物を買いに、というのは口実のようなもので
「春の桜もいいけれど、秋の紅葉もいいですねぇ。どれ一本として同じ色がない。はぁ、やっぱり千春お嬢様もお連れするんでしたねぇ」
「いいのよ、今日は旦那様が麻生様にお連れ下さっているし、お客様がお着きになるまでには戻らなきゃならないから、千春はいない方が。それにこのところ忙しかったから、お吉に息抜きをさせてやってくれって、旦那様が」
そんな話をしながら目指す茶店に向おうすると、前方にうずくまっている女がいる。
「もし、どうなさいました」
二人の声に女は、気丈に立ち上がろうとして、またうずくまる。
「お吉、そこの茶店の奥を借りておいて、私はこちらをお連れするから」
女は帯をゆるめ、横になりながら
「どこのどなた様かは存じませんが、申しわけございません。少し休みましたら迎えを呼んでもらいますので」
と言う。そばに居ては女が休めまいと
「それでは私どもは帰りますが、あとのことはお店のご亭主によく頼んでおきますからね」
と言って、部屋を出て
「ご迷惑かも知れませんが、あちらがお目覚めになったら駕籠を呼んであげてくださいな」
主にそう言ってるいは、多めの心づけを渡し、店を出た。
「ごめんなさいね、せっかくお吉と甘いものでもって思っていたのに」
「いいんですよ私は、それにちゃんとお饅頭を買いましたから。さあ急がないと、お客様がお着きになりますよ」

師走になって、千春や麻生家の花世、畝家のお千代のお年玉にと、かねて注文しておいた手鏡を受け取りに、るいはお吉と共になじみの店へ出向いた。子どもの手に合わせた小さな手鏡は、美しく漆で仕上げられて、小さな手毬の蒔絵がほどこされている。
「まぁ可愛い、お嬢様方のお喜びになるお顔が目に浮かびますですね」
「あの、もし…」
出来栄えを喜ぶ二人に声をかけたのは、いつかの女だった。
「やっぱり…。その節はご親切にお助け下さいましたのに、お名前を伺う余裕もなく、あとで随分と悔やみました」
ぜひとも礼をしたいという女の申し出を受け、るいとお吉はそのまま女と一緒に店を後にした。
場所を変えて、女は改めて手をついた。
「私はそのと申します。先だっては本当にありがとう存じました」
「私はるいと申します。こちらは…」
「お吉でございます。まあ、すっかりお顔の色も良くなって、安心しましたよ」
礼やら詫びやらを話すうちに、
「おそのさんも、あの店をご贔屓になすってるんで」
「はい、御使い物などの時は特に、安心してまかせられますから」
「本当に仕事が丁寧で、ご覧になったかもしれませんが、うちのご新造様はお小さい方のために手鏡を誂えられたんですよ。おそのさんは何をお求めになったんです」
「まぁ、お吉ったら…」
慌ててたしなめるるいの前に、おそのは持っていた桐の箱を開けて見せた。そこには見事な蒔絵をほどこした印籠が入っていた。
「ご新造様、お吉さん、家名はご勘弁願いますが、私以前、さる武家に奉公しておりました。そのお屋敷の坊ちゃまへのお年玉にと、この印籠を誂えました」
お年玉にしては立派過ぎるといぶかるお吉の言葉に、おそのの話は続いた。
「私が奉公先から暇をとった後、その主人夫婦が次々と亡くなられまして、忘れ形見の坊ちゃまは、今、理由あって伯父にあたる方のご養子となっているそうなのでございます。幸い養父母様は我が子のように坊ちゃまを愛しんで下さるそうで、坊ちゃまも新しい暮らしに馴染んでいるそうで…。それだけに養父母様の手前、会いに行きたい気持ちを抑えて参りました。けれど先日のように倒れてみると、いつまたお会いできるのだろうかと不安になりまして、そこで思い切ってこのような物を誂え、今のお屋敷を訪ねてみることにしたのです。私のような者がこんなお年玉を坊ちゃまにお贈りするのは、分不相応なこととわかっておりますが、このようにでもしなければ、今のお屋敷を訪ねるきっかけがございません」
訴えるようなおそのの言葉に
「きっと坊ちゃまは喜ばれますよ」
と言って、るいはその印籠を見つめた。

年が明けて四日、東吾はるいに声をかけた。
「そろそろ兄上のところの年始の客も終わりだろう、どうだ一緒に出かけないか」
「まぁちょうど良うございました、今年は何だか慌ただしくて、もう一度きちんと御挨拶に伺いたかったんですの。紀州のお客様から頂戴した蜜柑もありますし」
早速用意を始めた。
千春を連れて神林家に着くと、申し合わせたように麻生家からも宗太郎、七重夫婦と花世、小太郎が来ている。
「おるい様、先日は花世に可愛らしい手鏡を、ありがとう存じました」
「気に入って下さるとよろしいのですが」
「花世の奴、毎日鏡を見てますよ。今日も持ってきているはずです。でも東吾さん、我が家にはもう一人子どもがいるんですがね」
「小太郎には、暮れに凧を届けたではないか」
「去年も凧でした」
「何を!」
にわかに賑やかになる神林家。楽しいはずのその席で、るいは次第に心が沈んでいくのを感じていた。何かを見ているはずなのに、それが何かわからない。賑やかに会話を交わす大人たち、無心に遊ぶ子どもたち、自分でもわからない胸騒ぎにつつまれる中、それらをぼんやりと眺めるるいの目が、一つの物から離れられなくなる。
それは…、麻太郎が身につけていた印籠であった。
なぜ、おそのが主の忘れ形見のためにあつらえた印籠を麻太郎が…、主夫婦はすでに亡くなって…、今は伯父夫婦の養子となり…、まるで兄妹のように似ている麻太郎と千春…、それらを頭の中で繰り返し、自分をつつみこむ不安の源に思い至った時、るいは思わず手にしていた湯呑みを落としてしまった。
「申しわけありません、私としたことが…」
取り乱するいの周りに、心配した子どもたちが駆け寄ってくる。
「叔母様、これを」
差し出された手ぬぐいを取ろうとして、それが麻太郎の物と知ると、るいはとっさにその手を振り払ってしまった。
畳に落ちた手拭を見て、自分のしたことに自分で驚き、るいは麻太郎を見返した。
「……」
一瞬、静まり返ったその時
「叔母様はご気分がすぐれぬようじゃ、次は東吾と凧揚げでもして参れ」
通之進の言葉に救われたように、女たちは片づけを始め、子どもたちは外へ飛び出していった。
「おるいさんはお疲れのようだから、七重と私がかわせみまで送っていきますよ。東吾さん、後で花世たちを送ってください」
不調法を詫び惨めな気持ちを抱いて、るいは神林家の門を出た。
宗太郎が時折り何かを話しかけているようだったが、耳に入ってこない。川風が刺すように冷たかった。

七草を終えて、東吾は航海に出かけてしまった。あの日から、東吾が何かを言いたそうにしているのはわかっていたが、そんな気配を感じると、わざと話をそらしてしまった。稼業も忙しくなる中、自分の気持ちの中に沸いたことを誰にも打ち明けられず、るいは一人悶々とした日々を送っていた。
そんなある日、神林家から使いが来る。千春の誕生日の祝いを用意したので、一度訪ねてもらいたいとの話。
「ちょうど良かった、このあと八丁堀へも寄ろうと思っていたんですよ。おるいさん、一緒に参りましょう」
いつものように、風邪や腹痛の薬を届けに来て、帳場で嘉助と話をしていた宗太郎が、これから出かけようとるいを誘う。東吾は当分帰ってこない。正月のことを思うと、とても一人で行けないるいは、宗太郎の言葉に従うことにした。

宗太郎の背に隠れるようにして入った座敷には、あたたかな笑顔の通之進が待っていた。まずは先日のことを詫びようとするるいの言葉を制し、
「少し、痩せたのではないか。」
さらに、見つめたまま言った。
「るいは気がついていたのだな」
何も答えられずうなずくのを見て、宗太郎が、琴江の幼い時の不幸な出来事とともに、雪の夜のことを話して聞かせる。
「東吾には、その時が来たら、わしからるいに話すと強く言っておいたのだ。もう少し先のことと思うていたが、るいには辛い思いをさせてしまった」
「いえ、そのような…。あの…、麻太郎様は、やはり東吾様のお子なのですね」
改めて自分に言い聞かせるように、るいがつぶやいた。
「言い訳に聞こえるかもしれぬが、その時琴江殿のことを拒めば、心の傷は取り返しのつかないことになるやもしれぬと、東吾は思ったそうだ。香苗の前だが、わしも東吾の立場なら、同じことをしたと思うぞ」
「姉上の前ですが、私も東吾さんの立場なら、やはり同じことをしたと思います」
それが言葉どおりとは思わないが、そう言ってくれる二人の気持ちに、るいは心の中の塊がわずかにとけていく思いがした。
「先年、琴江殿が多度津へ行く前にわしに会いたいと申されて参った。その折東吾へ迷惑をかけたことを詫びられた上で、先々麻太郎に何かあった時には、力になってもらえないかと申された。すでに大村氏も亡く、おそらく実家には頼れる者もいないのであろう。女子の身で恥をしのんで頭を下げる琴江殿を見て、わしはその時、その申し出を受けた。ただな、るい、男の勝手と思うかもしれぬが、東吾はるいを裏切ってはおらぬぞ。それは信じてやってほしい。このとおりだ」
と手をつこうとする通之進。驚いて押しとどめようとしてるいは、通之進の目が潤んでいることに気づく。
「私が、浅はかでございました。東吾様に裏切られ、自分ひとりが何も知らされず、のけ者にされていると思い込んでおりました。でも皆様はすべてご承知の上で、私のために、打ちあける時を待っていて下さったのでございますね。それなのに私はあのように取り乱し、麻太郎様を傷つけてしまいました。本当に、何とお詫びを申してよいのか」

その時、それまで黙っていた香苗が「申しわけございません」と、ひれ伏した。驚く三人を前に、香苗は静かに蒼白の顔をあげた。

それは暮れのある日のこと、麻太郎を訪ねて一人の女がやって来た。そのと名乗った女は、聞けば亡くなった琴江に長く仕えていた者で、琴江とともに大村家にも行き麻太郎の誕生後も仕えていたのだが、夫妻が柳河に行くと決った時に暇を取り、多度津へ行く前に再会したのを最後に、思いもかけない琴江の死を知ることとなった。その後、何より気がかりだった麻太郎が神林家の養子となったと聞き、迷った挙句、思い切って会いに来たと言う。
「誰か、麻太郎をこれへ」
廊下を小さな足音が近づいてくる。
「母上、お呼びでございますか」
その声を聞いただけで、おそのは涙ぐんでいる。
「お入りなさい」
「坊ちゃま」
「おその!」
「まあ、こんなにご立派におなりになって」
久々の再会を喜び合う二人。
気を利かせて中座していた香苗が、半時ほどして茶を入れ替えて部屋に戻ってくると
「少し早いのですがお年玉に、それとも暮れだからお歳暮でしょうか」
笑いながら、おそのが桐の箱を取り出した。
そこには印籠が入っていた。美しい蒔絵の印籠を、嬉しそうに香苗に見せた麻太郎が、
「千春にも見せて参ります」
と、部屋を出て行った。

「あんなにお健やかにお育ちになって、私は心から安堵いたしました。どんなに神林様が愛しんでお育て下さっていることか」
「私どもも、麻太郎と出会えたことを、本当に感謝しておりますのよ」
「これでいつ亡くなった奥様のもとに行っても、よい報告ができます。本当にありがとう存じます。ところで、千春様とはお妹様ですか」
「あっ、いえ、麻太郎には従兄妹になります。その…、東吾様のお子ですの。今日はこちらに遊びに来ておりますのよ」
はっと息を呑むおその。そんなおそのの気を引き立てようと、
「周りのお友達はみな兄弟がいるのに、千春さんも麻太郎も一人なものだから、とても仲が良くてね。麻太郎は養子なのだから、いずれ千春さんを嫁に貰われてはなどと言う人もいて、返事に困ってしまいますの」
香苗は笑ってみせた。
「何も知らない世間の方の中には、そうおっしゃる方もいるでしょうね」
と、おそのはしばらく考え込んだ。
「失礼かとは存じますが、もしや奥様は、先々麻太郎坊ちゃまと千春様のことについて、何か懸念がおありなのですか」
一瞬、答えにつまった香苗だったが、
「このまま仲の良い従兄妹として育ってほしいと思っておりますよ」
と、ゆっくり答えた。 しかしその目の奥をじっと見て、おそのは深く息を吸い、話を始めた。

「奥様、私はこの秋に、亡くなられた琴江様のお墓参りに出かけました。その帰りに急に眩暈を起こして、通りすがりのご親切な方に助けていただいたのですが、今日こちらへお伺いしようと決心したのも、自分がそうなってみて、元気なうちに麻太郎坊ちゃまともう一度お会いしたいと強く思ったからで…」
黙ってうなずく香苗を見て、力を得たようにまた話し出す。
「そして今、奥様にお話を伺うまで、これは私がお墓の中まで持っていこうと思っていたことでございましたが、やはり今、お話しておいたほうがいいと思い直しました。聞いて下さいますでしょうか」
おそののただならぬ様子に、自然と身を引き締めるようにして、香苗はうなずいた。
「麻太郎坊ちゃまは」
「麻太郎は…」
「麻太郎様は、間違いなく、大村様のお子でございます」

「えっ」
「姉上、それはいったい…」
それまで息を詰めるようにして話を聞いていた三人から、声がもれた。
「麻太郎は大村様のお子だったのですよ」
「しかし琴江殿は…」
「そう、東吾様と一度だけそういうことがありましたわね。でも、違うんです。私、身ごもったことがございませんから、子が宿ったときのことはわかりません。でも…、宿らなかったときのことはわかりますわ」
そう言って、さすがに言葉を詰まらせた香苗にかわり、
「そうだったのですか、つまり、大村殿に嫁ぐ前に、月のものがあったというわけですね」
照れもせずに宗太郎が言って、うつむいたままの香苗が小さくうなずいた。

「おそのさん、それは誠のことでしょうか」
「奥様、私は病弱だった母上様に代わり、あの頃婚礼の仕度やら何やらで、ずっと琴江様のお側におりました。もちろん琴江様のお身の回りのことも、一切存じております。大村様との婚礼への障りを除きたい一心で、あの雪の日に大それたことをいたしましたが、その後の私は、万一、琴江様が身ごもられたらと、そればかりが心配で…。ご本人はそこまでは思いも寄らなかったと存じますが、私は不安でした。婚礼の直前にそうではなかったとわかり、一人安堵したのでございます」
「でも麻太郎は私の目から見ても、東吾様によう似ているように思われますが」
「琴江様が麻太郎様をお産みになられた後、大村家の用人などによく言われました。先妻様が残されたお子たちの小さい頃によく似ていると…」
「そうでしたか…、夫婦でも長く連れ添うと似てくるお方がございますわね。それに東吾様は麻太郎の剣の師匠、自ずと立居振る舞いも似てくるのでしょうか…」

ふっと部屋に静けさが戻り、庭の松の木から、ざっと雪がこぼれる音がした。
「奥様、坊ちゃまが神林様に養子として迎えられたと聞いた時、私とても驚きました。どうしてご迷惑をおかけしたはずの神林様の、しかも兄上様がお迎えくださったのかと。でも、その時ふと思ったのです。これは神林様では、坊ちゃまを神林家のお血筋の子と思って下さっているのだと。そしてこの先、坊ちゃまが神林家のお子として生きていくなら、そう思われているほうが良いのではないかと。このことを本当に知っているのは、私だけ、私がお墓の中まで持っていけば、坊ちゃまの将来は安泰だと…。今にして思えば本当に浅はかなことでございましたが、その時の、というか、たった今までの私は、そう思っていたのでございます」
「なぜそのことを、今になって」
「もし仮に坊ちゃまが、千春様というお嬢様と思い合う仲におなりになったとして、その時はどんなに思い合っていても、必ず引き裂かれてしまいます。本当は他人同士のお二人なのに…。そしてもしお二人がご夫婦になりお子ができれば、本当に神林家の血を引くお子がおできになるのに…。そう思ったら、恐ろしくなりました。それに…」
「それに…」
「あの…今日、奥様にお目にかかったからでございます。奥様のお人柄、坊ちゃまに対するお気持ちが、お血筋ということだけではないとわかったからでございます。それはもう、坊ちゃまのご様子を見ればよくわかります」
と、そこまで話した時、千春を連れた麻太郎が戻って来た。まるで一対の雛のようだとおそのは目を細めた。
「千春様は、お父様によく似ていらっしゃる…」
「小母様は父上をご存知なのですか」
「はい、遠い昔、お世話になったことがございましてね。…麻太郎様、私はそろそろお暇いたします。今日はお元気な坊ちゃまにお会いできて、本当に嬉しゅうございました。どうぞお健やかに、よいお年をお迎えくださいませ」
「その、今日は来てくれてありがとう。印籠は大切に使わせてもらいます。母上、千春を送って行くので、途中までそのも一緒に送って行ってよろしいでしょうか」
「そうですね。そうしてさしあげて」
二人だけにわかる挨拶をおそのと交わし、香苗は三人の後姿を見送った。

長い話の後に、香苗は通之進を見た。
「旦那様、このような大事を、今日まで伏せておりまして申しわけございませんでした」
「なぁに、わしと東吾の気持ちを思って言いそびれていたのであろうが、誰の子であろうと麻太郎は麻太郎、そうではないか」
そう言ってくれるだろうと思っていた通りの、夫の言葉に安堵の表情を浮かべると、香苗は改めてるいを見た。
「おるい様」
「はい」
「旦那様は先日のおるい様の様子を見て、東吾様と麻太郎のことに気づかれたのだろうとおっしゃったのですが、私はそれでも今日まで、一縷の望みにすがっておりましたの。おるい様はやはり何も気づいていらっしゃらないのではないか。仮に東吾様と別の女子とのことを知って、一時は苦むことになりましょうとも、麻太郎のことまでは気づかないでほしいと。それではあまりにおるい様が辛すぎますもの。でも、おるい様はすべてお気づきになっていらした、これはもう今ここで、本当のことをお話し申すしかないと思いました」
「姉上様、よくお話しくださいました。それに、今振り返っても不思議なことなのですが、おそのさんが倒れた時にお助けしたのは、私とお吉でしたの。その後また偶然にお会いして、その時に麻太郎様への印籠を見せてくださったのです。それをあの日ここで見て、取り乱してしまって…」
「おるい様は、何も悪くないのですよ。おるい様がおそのさんをお助けになった日は、琴江様のご命日だったとか。何もかも本当のことを知らせてほしいという、琴江様の御計らいだったのかも知れませんわね」
「そういう因縁めいた話になると、名医の出番はありませんね」
そう言う宗太郎に微笑み返し
「それに大村様のことを聞いた今でも、私、麻太郎は私どもの子どもとしか思えないのです。可笑しいでしょ。でも、本当にそうなのです」
「姉上様…。麻太郎様は、本当にいいお母様をお持ちですわ」
「るい、いい両親を持ったと言ってもらいたいのう」
通之進が急に言って、男たちは笑い、女たちは涙をぬぐった。




「さて、それでは航海から帰ったら、いずれ東吾にも伝えねばなるまいの」
と言う通之進に対し、るいが形を改めた。
「それにつきまして、兄上様、姉上様、そして宗太郎様にもお願いがございます。どうか私が今日お聞きしていたこと、東吾様には知らせないでいただきたいのです」
「るいは、その方がよいのか」
「はい、あの、おかしいとお思いになられるかもしれませんが、麻太郎様を吾子と思っていらした東吾様のお気持ちを思うと、どんなに気落ちされるかと…。その上私が何もかも知っているとなれば、やはり心穏やかにはいられないはず。それに私もそんな東吾様になんと言ってよいか…、どうか兄上様から東吾様に、私のことは伏せてお伝えくださいませ」
そう言いながら、るいは新しい涙を浮かべた。
「るい、かたじけない。東吾に代わって礼を申すぞ」
「さあ、涙をふいて、千春ちゃんが待っていますよ」
と言って、香苗は誕生日の祝いの品を渡した。
「このように、お心遣いを頂きまして…」
「こうでも言わなければ、今日はおるい様にこちらにお出で頂けないだろうと、宗太郎様がお知恵を貸して下さったのですよ」
改めてるいは、兄夫婦、宗太郎の心配りに感謝した。
「子は大人が思う以上に敏感なもの。口には出さずとも、千春も心配していたことであろう。早く帰って、るいの笑顔を見せてやってくれ」
「はい」

琴江とのことに、心が乱れないといえば嘘になる。また航海から帰った東吾を、どんな顔で迎えればよいのか不安がないわけではない。
でも今のるいは、少しでも早く千春を抱きしめたくて、大川端へと歩いていた。川風は、少しだけ春を運んで来たようだった。