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 酉の市の殺人
新装版「夜鴉おきん」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
先月の「源三郎祝言」はさすがに人気のお話だけあって、過去最高数の参加者をお迎えすることができました。おかげ様で三つ目の目次にもすべてタイトルが入り、こうして開設四年目をスタートすることもできました。これもご参加くださる皆様、ロムしてくださる皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

さて今月は、「酉の市の殺人」を選びました。
お話は「春を待つことのはじめや酉の市」という其角の句から始まります。先月のご本家開設記念のお祝いに、紫陽花さんから大きな「熊手」が届きましたが、るいさん・東吾さんが連れ立って「熊手」を買いに行くところも、ポイントの一つですね。最後のるいさんのノロケっぷりも楽しいところ。

さあ、今月はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成十七年十一月)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「酉の市の殺人」拝見しました。
酉の市までの道中の風情や、ラストのるいさんのおのろけ、
といった競作ポイントから、のばらさまや浅黄裏さまの、
登場人物の心についての深い読み…今月も読み応えタップリですね!
参加出来なくてちょっとさみしかったな〜と思いつつ、
とてもみなさまのようには詠めなかったなぁ〜と
やっぱり不参加で正解だったかな、としみじみ思っております。
(麦わらぼうしさん)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 TERAIさんの五七五 

せっかく新装版をまとめ買い?したので新しい本で読みました。
(TERAIさんの談)

その年の一の酉は十一月十一日であった。
春を待つことのはじめや酉の市、と其角が詠んでいるように、江戸の人々にとって、酉の市は欠かすことの出来ない年末の行事であった。
「酉の市の殺人」より
   
一ばかり並ぶ酉の日ことはじめ
   

この「一ばかり並ぶ」という着眼点が面白いですね。楽しみにしている江戸の人にとっても、気持のよい一日になりそう。
宗匠の言うとおりこの着眼点は新鮮でしたね。さすが一番投句のお方と感心しました。
(浅黄裏さん)
この句、きにいりました。着眼点がすごい!詠まれてみれば、なーるほど。
(bf109さん)



宝船〜でもよかったわけですが…
   
千両箱ついた熊手の細工物
   




千住は先日の上京でも行きました(芭蕉の句碑が芭蕉公園にあるのを携帯カメラで撮ろうとしましたが見事失敗しました)
   
千住大橋渡って二里の大明神
   
白鷺の舞う田や畑の千住かな
   




道ばたにむしろを敷いて、柚子や柿、蜜柑、金柑を並べる者があるかと思うと、その隣には鍬や鎌、鋤などの農具を売っている。
「酉の市の殺人」より
   
柚や柿蜜柑金柑食べる者
   




 すみれさんの五七五 

お江戸ならではの行事がいくつもあるなかで、酉の市はとりわけ思い入れの深いものらしいですね。江戸から三里の花又村への遠出の模様が当時の風情を感じさせてくれます。熊手より団子の客(お吉さん)も大勢でにぎわったのでしょうね。
 (UP後に)
私は「酉の市の殺人」中身の話に踏み込めなくて 皆様のはいくを読んで、いつもながらの深い読みと詠みに今月も脱帽しています。
(すみれさんの談)

林田を過ぎ、やがて竹のつか、保木間、水神と、このまま日光街道を行けば草加の宿に出るのだが、花又村は水神から村道へ入る。
もう、その附近から参詣客が多くなっていた。
「酉の市の殺人」より
   
花又へ縁起もとめて小春かな
   




   
丸髷で買う日いつの日酉の市
   

「丸髷」の使い方がお上手ですね。また「日」をくり返すリズムのよさが、この一日の楽しさを感じさせてくれますね。



長助の女房が熱燗の徳利を持って来て、東吾の茶碗に注ぎながら、思いついたようにいった。
「英盛堂のお内儀さんの、若い時分の縁談ですけど、たしか、神田の村田屋さんって話を聞いたように思いますよ」
「酉の市の殺人」より
長寿庵の女房、おえいさんは遠出することもなく、後添えに入って家を守り、家族の縁の下の支え。おかみさんの代表ってところかな。
   
熱燗を注いで内助の笑いじわ
   




 ぐりさんの五七五 

「かわせみ」のお話にはお婿さんが結構出てきますね、かわせみに出てくるお婿さんは後がよろしいお話が多いようなこれは我家にとって縁起の良いことのような〜宗取っておこう
(ぐりさんの談)

   
熊手買い しゃんしゃんと 手締めする
   
大熊で トリオも載って こいつぁー
   

“トリオ”って僕達のことだよね。うれしいなって思っていたんだ。それにご本家では7周年記念に朝霧さんに“よねまんじゅう”貰ったし(?・笑) うれしいことがいっぱいの△文化祭です。
(湯のみと茶托:紫陽花さん代筆)



間の悪そうな亭主の様子 そういうこともあるのでしょうか? 対心配してしまう 親ばかな私です 米ぬか3合会ったら婿に行くなっていう言葉があるそうです でもかわせみに出てくるお婿さんは結構後でいい思いをする お話が多いですね このお話も〜
   
いい男 顔も心も すべていい
   

ご子息がご結婚と同時に養子にいかれる日も、そろそろですね。そんなぐりさんは、皆さんとまた違った感慨で、このお話を読まれたみたいですね。



一風呂浴びて、るいとさしむかいで飯をすませると、東吾は八丁堀の屋敷へ帰って行った。
  (略)
だが、それは東吾も同じだったとみえて、翌日、八丁堀の稽古を終えた足で、まっすぐ「かわせみ」へやって来た。
「酉の市の殺人」より
   
会った後 すぐ会いたくて つがい鴛(おし)
   




女房が釜場のほうへ行ってから、長助がぼんのくぼに手をやった。
「どうも、くだらねえことをお耳に入れまして……あいつは町内の金棒曳きっていわれるくらい、口のほうが達者なもんでして……」
「酉の市の殺人」より
長助の女房の存在も 心和むキャラクターですね
   
店守り 金棒引きも 夫の為
   




 千姫さんの五七五 

今月からいよいよ4年目に入ったんですね、おめでとうございます。それで私も4年目の抱負を考えてみたんですが、中々よい案が浮かんできません…でした。
(千姫さんの談)

「酉の市」「熊手」「財布」詠みたいなって思う言葉を、毎日呪文のように唱えてはみるものの…五七五に纏まらないです。最後のるいのお惚気には、ちょいと冷やかしの句が出来ました。
   
「やってられん」 部屋から厄が 逃げ出した
   

ホント、酉の市より何よりこの「お惚気」が、一番の厄払いかもしれませんね。



まだほの暗い舟の中で、ざぶりざぶりと川波を切って行く櫓の音を聞きながら、るいは東吾に寄り添って、うっとりしていた。
「酉の市の殺人」より
これだけでは、いけないなぁってまだ送らずに居たら新作の「公孫樹の黄ばむ頃」が少し頭に残っていて、もう一つ出来ました。
   
朝ぼらけ ざぶりざぶりと 冬の旅
   




 たまこさんの五七五 

今日は久しぶりに、山口源さん出演のBS俳句王国も見られたおかげか?ようやく今月の五七五も、提出の運びになりました。酉の市は11月なので、本当は冬の季題になると思うのですが、本編にも「秋の田舎」と書いてあるので、秋の季語を使ってしまいました。
 (UP後に)
「酉の市」五七五、今月も絶好調ですね。 最近三十一文字のご参加も多く、同じシーンを句と歌でというのも、なかなか面白い趣向です。お紀乃さんという女性は、「鬼女」の奥さん等に比べれば、ずっと男性を見る眼も自分を客観的に見る眼もあった人のように思いますが、子供だと思っていた妹がいつの間にか、自分のライバル的存在になっていることに気づいた時、今更のように夫に甘えたり可愛らしくふるまったりする事はプライドが許さず、貸した金も自分の責任で取り返さねばと気が焦ってしまったんでしょうね。私なら、ただ金を貸しただけでやましい事はなく夫にも打ち明けたのなら、取立ては番頭さんとかに押し付けちゃうか(笑)金の事は気にするなと亭主に言われれば「そんじゃ、まぁいっか」と思っちゃうか…つーか、最初から財布が別なら、こういう事件もたぶん起きない訳だけどね(そういう問題じゃない!)
(たまこさんの談)

たまこさんのUP後の談:本当にそのとおりだと思いました。家付き娘のプライドが命を落とす元になったとも言えるんですよね。
(浅黄裏さん)



この頃の初期のお話では、東吾さんと一緒にいられる一瞬一瞬がおるいさんにとっては、惜しくてたまらない貴重な時間だったのですよね。二人での遠出となれば、さらにその思いが深かったことでしょう。
   
秋の川艪音に結びし夢惜しむ
   




やがて、朝の陽が大川に射して来て、吾妻橋を過ぎる頃、葛西からやって来る野菜舟が売り声を響かせながら下って行くのに、出会うようになった。
「酉の市の殺人」より
夏と違って、朝の日が射してくるのが、かなり遅くなってきています。それだけに、明るくなったとたんに急に舟の上り下りや道を行く荷車など、一日の始まりの賑やかさが感じられるような…
   
大川に昇る日さやか街動く
   

原作では川を下る目線で、冬の朝を丁寧に書いてありますが、このお句はそれを見事に表現されていますね。「街動く」がとても利いていると思いました。



東部伊勢崎線の北千住の次は東京拘置所で有名な「小菅」です。「小塚っ原」は今の南千住にあたります。このあたり、昔から犯罪人関係の場所のようですが、さすが八丁堀育ち、おるいさんもお吉さんも、そんな事今さらこわがったりする様子は全くないみたい。
   
仕置き場も近くにありて花野かな
   




西陽が障子にさして、誰も邪魔が入らない筈の二人だけの夕暮時であったというのに、
「あいすみません。畝の旦那がおみえんなったんです」
お吉が不服そうに取り次いで来た。
「酉の市の殺人」より
「粟餅はそっくり持って帰っていいから、東吾様を連れ出さないで!」という、おるいさんとお吉さんの気持ちを代弁して…
   
お邪魔虫粟餅やるから巣に帰れ
   

UPまでに、何度笑ったかわかりません!
もうバカ受けしてしまい(粟餅を他の食べ物に置き換えればどの季節にも使いまわせますよね)、山口源さんクイズと相まって、PCの前で笑ったり、ジタバタしたり、傍から見ていればすごくヘンな人をやってます。
(じゃからんださん)



自慢の手打ち蕎麦も、丁寧にとった香り高い出汁あってこそ、長助親分の手柄もおえいさんの内助の功あってこそですね。
   
街の声出汁を取りつつ耳すます
   




【おたま姐さんの現場検証】
ご本家の7周年企画で、全国各地からいろんな現場検証写真が寄せられたし、基本どころは、ご本家の「かわせみの舞台」で押さえてあるし、しばらくは「はいくりんぐ」の現場検証も大丈夫かな〜と思っていたら、油断も隙もない宗匠、またまた想定外の場所をついて来ましたね〜。それとも偶然?
もちろん偶然なんですが、またしても「こき使って」しまって、あいすみません。
ありがとうございました〜。
(こでまり)
葛西花又村というのは、現在の足立区花畑にあたる場所です。一歩向こうはもう埼玉県というところで、おるいさん達が千住大橋から草加方面に向かったように、今でもJRや地下鉄の北千住駅から東武伊勢崎線に乗り換え、竹の塚からはバスで花畑団地行きというのが出ています。p.11(文庫版)で「…やがて竹のつか、保木間、水神と、このまま日光街道を行けば草加の宿に出る」という地名はみな、駅やバス停の名前で残っているのは嬉しいです。
鷲大明神は、大鷲神社という名で今もあり、酉の市のお知らせもありました。そんなに大きな神社ではありませんが、当時の鄙びたたたずまいを今でも残しているような落ち着いた感じの神社でした。
町名は今は花又でなく、花畑になっているのですが、花又公園という 小さな緑地になって残っている所があります。大鷲神社とはかなり離れているのは、区画整理によって出来た公園だからのようです。ともかく1か所だけでも名前が残っているのは嬉しいですね。
私には全く土地勘のないところで、たまたま北千住を通って帰ることが あり、帰りに寄ってみたのですが、秋の日は暮れるのが早く、4時半くらいでも真夜中みたいな写真になってしまって、見にくくて大変申し訳ないのですが、とりあえず現在はこんな感じというのだけでも見ていただければと思って送ります〜(たまこ)



 みちころんろんさんの五七五 

△文化祭企画に右往左往していたら遅くなってしまいました 今月の御題…ようやく提出させていただきます。「かわせみ文化祭」も終盤になってまいりました。頭の中を様々な「かわせみ」がグルグルしていて、何からやっつければいいのかわからなくなっている今日この頃です。それにしても、今月はとても難しゅうございました。
 (UP後に)
今回の「酉の市」、難しくてギブアップ寸前でしたが、夢の中に「まだか〜、まだか〜…」と、女の人が…きゃ〜!嘘ですぅ(ノ°▽°)ノ⌒○ポイ
(みちころんろんさんの談)

幸せな時間…永遠なれ!
   
夢現つ 櫓の音のみぞ 流れゆく このまま刻が とまらんものかな
   




大小さまざまの竹細工、笊を商うもの、川魚を干したもの、芋や大根、或いは小間物、古着、竹の大熊手、竹箒、更には飴や粟餅や饅頭など、ところせましと俄か店が参道を埋め尽し、境内に入ると、柄の短い竹熊手に宝船、お福の面、千両箱などを結びつけた縁起物が魔除けとして人気を集めている。
「酉の市の殺人」より
   
酉の市 見るものすべて ほしくなる
   

新年の準備と思えば、お財布の紐もゆるみがち。本当は買わなきゃいけない物もあったはずなのに、何がなんだかわからなくなるような賑わいなんでしょうね。



るいが東吾に寄り添っている「かわせみ」の午後は、誰もその部屋に近づかない。
「酉の市の殺人」より
おるい様だからこそ言えることですよね〜(-_-;) 皆が皆そうとは限らないのに…羨ましいです…☆
   
恋女房 その一言に みな退散
   




 七歩さんの五七五 

皆さんのように読みが深くないので、勝手な想像で詠んでいますので、トンチンカンなものもあると思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
(七歩さんの談)

   
船で行くほうじ茶ホット酉の市
   
白菜が陽に映えそめる波の上
   




   
熊手買うみかけも心もよい男
   

「みかけと心」…これは男性ばかりではなく、女性にもいえることでしょうね。先日の紀宮様の結婚式の報道を見ていて、お心の美しさが、表情・声・立居振る舞いの端々から感じられるようで、思わず見入ってしまいました。もっと心を磨かねば〜。



「いい匂いがすると思ったら、粟餅ですか」
入って来た畝源三郎は相変らず遠慮がなくて、
  (略)
醤油のこげた匂いに目を細くした。
「酉の市の殺人」より
   
割って入り粟餅のみこむ巻羽織
   




「なんとも気の毒な人ですね」
村田屋を出てから、長助が呟いた。
  (略)
「あの気の弱さじゃ女もくどけねえだろう」
「酉の市の殺人」より
   
殺しても女を口説けぬやさ男
   




 はなはなさんの五七五 

お紀乃の惑いとおるいさんの一途な想いがなんとなく対照的に配されているように思えるんですが〜。「酉の市の殺人」を深読みしてしまったのかもしれません。まだ、「月行」の世界に捕われているのかもしれない(笑)はなはなでした。
(はなはなさんの談)

酉の市の殺人ですが、らぶらぶ晩秋旅日記(笑)とお紀乃殺人事件ですよね〜。どっちかというと秋の道行に心が惹かれますが…。
   
寄り添いて川音ざぶり炬燵舟
   




霜どけの道を、るいの手をひいて歩きながら、東吾が可笑しな講釈をいい、お吉が素直にうなずいた。
  (略)
畑には麦が僅かにのびていた。
「酉の市の殺人」より
麦の芽がちくちくと伸びているのは清々しくて未来を予感させますね。まだこの頃のおるいさんは東吾さんの愛を信じているけれど添い遂げることができるかどうか自信がなかったのですよね。東吾に手を引かれて歩む時間の愛しさと、いつかは晴れて夫婦としてこうして歩きたい、そんな願いを、おるいさんの気持ちを妄想たくましくして詠んでみました。
   
麦伸びて手を引かれゆく江戸の秋
   




売り手と買い手が値をつけ合って、値段が折り合うと、しゃんしゃんと手をしめる。
ちょうど一本の大熊手が売れたところであった。
「酉の市の殺人」より
年の瀬も酉の市から始まるのかもしれません。庶民の幸せへのねがいをしゃんしゃんという音で表現してみたいと思いました。
   
しゃんしゃんと幸掻きあつめ年迎え
   




お紀乃にしのびこんだ不安はいったいなんだったのでしょうか。過ぎた昔、あわい思いを次郎兵衛に抱いていたのかもしれずお金を貸してしまいました。それが災厄を呼び込んでしまうともしらず。魔がさした、とでも言うのでしょうか。幸せを願うはずの酉の市でお紀乃は殺されてしまいました。
   
酉の市魔に魅入られし昔の恋
   

そうか、そういうことだったのかも、と思いました。「魔」と言う言葉がすんなりはまっていてさすがです。
(のばらさん)



幕切れ、謎解きと捕物のシーンで、妹・お三輪の思いに東吾が気付いています。こんなに勘がいいときもあるんだ(笑) ふと英盛堂の微妙な三角関係が、お紀乃を惑わせたのかもしれません。人生の秋にさしかかったともいえるお紀乃を詠みたいと思いました。
   
思慕からみ心はまどふ人の秋
   

人の一生の「秋」がいつ来るのかは、その人の生き方にもよるのでしょうが、秋にもの思いをするように、人生においても、まどう時期なのかもしれませんね。



 のばらさんの五七五 

お紀乃は大店の跡をとり、生活も安定していてこの先の人生が見えてくるような気がする、そんな時に何か物足りないような思いを抱いてしまう、落とし穴のような時と、この十一月のまだあたたかい日もあるけれど、日も短く冷え込む、なんとなく焦燥感のある時期とが重なって感じました。昔も今もお紀乃と次郎兵衛との間には切羽詰ったものはなかったように思いました。でも、ご亭主と妹さんにそう思われるものが、お紀乃にあったのかも、当のお紀乃の語ることはなく、どちらも考えて、考え込んでしまったお話しでした…。
 (UP後に)
舟に炬燵の場面、皆さまのお句を読んでいると、二人のラブラブぶりもあってますますあったかそうに思えて。いいですね〜。わたしもはなはなさまと同じく「深読みしすぎかも」と思っていたのですが、他にもおられたとホッとしてます。過分なお言葉に「うひ〜」っと叫んでます(^▽^;)
(のばらさんの談)

お納戸色の小紋に繻子の帯、道中の埃よけに着て来たらしい道行は、陽がさしている境内では暑く感じるのか、脱いで袖だたみにしたのを片手に持っている。
「酉の市の殺人」より
次郎兵衛と会う日、身支度をしながらお紀乃は少し緊張もしたのだろうなあと思いました。装うことが好きなら、なおさらに。でも、お紀乃は少し甘いところはあってもご亭主がいる自分を見失わない大人の分別も、持ち合わせていたのではないかと思いました。(結局手をついて謝ったということから)
   
化粧して鏡に見据える顔寒し
   
足袋はいて巻きつけて締め女かな
   

「酉の市」は読み込めば読み込むほど深読みが出来るようで「困ったな」と思っていたら、のばらさまもどうやらそんな感じだったようで、ちょっと「ほっ」。でも御作の鮮烈さや鋭さはかなわないなぁ…。「顔寒し」「足りぬものあるような」は「もっとこう詠みたかったのに〜」と思って何度も読み返しました。
(はなはなさん)



これは買う客だとみて、熊手売りが威勢よく口上を述べはじめた。
「酉の市の殺人」より
市のおじさんの気持ちで。わたしも現代版「市」(フリーマーケット)に作ったもの持って年に一度出店してます。買ってくれる人はわかります。目の輝きが違うから。買う気のある人は美しく見えるんです。
   
買う人のなお美しく冬の市
   

これはとてもいいお句ですね。現代の歳時記の「冬」か「新年」のところに載っていてもおかしくなさそうな。買ってもらう立場からの視点はとても新鮮に感じられました。
(浅黄裏さん)



「義兄さん、しっかりして下さい」
お三輪にとりすがられると、急に生気を甦らせた。
「手前はごらんのように醜男で風采が上りません。次郎兵衛は男前で口も達者でございます。家内が、ふと、昔の夢を思い出し、あいつの口車にのせられて、金を用立てたことを手前は悲しいと思いましたが、家内を責める気にはなれませんでした」
「酉の市の殺人」より
ご亭主と妹さんのシーンが心に引っかかりました。家の中にお紀乃さんに居場所はあったのかな、生活は安定していて食うに困らないだけに、自分の居場所が気になったのかも、昔の夢に酔いたくなったのかも、とも思えて。そういう落とし穴が誰の前にもポッカリ開くことがあるものかもしれません。ご亭主の風采が…と周囲の人に言っているのは当のご亭主、妹さん。お紀乃はそんな風に思っていたのかどうだったのか知りたい、と思いました。
   
足りぬものあるような気して日の短か
   

それまでのお紀乃は、不幸でも不安でもなかったと思うのですが、やはり「足りぬものがあるような気」がしてしまったのでしょう。今なら手にすることができるかもしれない…「日の短さ」がその気持を後押ししたのかもしれません。
なるほどそういう考え方もあったのかと目からうろこの思いでした、お紀乃さん妹さんの気持ちに気づきていたとしたら旦那さんもまんざらでもないと知っていてふとゆれたのでしょうか考えてしまいました
(ぐりさん)
私も「足りぬもの」の句びっくりしました。しかも後に続く言葉は全く逆なので「わ、見解の相違?」とどきりとしたんですが、のばらさんのはお紀乃さんの心境で私のは東吾さんのでしたね。でもまるで対句みたいで嬉しかった!事件に巻き込まれる当事者と探索役(というか傍観者)の立場の違いを表してるようで面白いです。
(コシキブさん)



考えても考えても、登場人物の心の有りようが気になって考え続けました。お紀乃の本意は、どういうところにあったのか。ご亭主は自分の容貌・風采のことを卑下しているが、そのことに自身が囚われすぎてはいないか。どの登場人物の気持ちも痛ましく思うけれど、何か掛け違っているような、自分をかわいそうがっているような印象もあって、素直には同情したくない気持ちも。わたし自身にそういうところがある、それを見たような思いです。もう一度、「日短か」で一句。
   
日は短か漂いやすき心かな
   




 じゃからんださんの五七五 

先月飛び入りをしたばかりだというのに、どうもしっかり「毒牙にかかって」しまったらしく、今月のお話にもまたまた愚作を送らせて頂 きたく…(←この前みたいに源さん話でもないやんけ!と思わず自分にツッコみました)。このお話、お紀乃さんとお三輪さん姉妹とおるいさんの三者三様の恋が登場するのが印象に残ったので、三人の”冬の女の恋 ”を詠んでみたくなりました。ただそれだけだといささか物足りないので、最後に源さんにお話の総括をしてもらうことに…。
 (UP後に)
これからまたゆっくり見返すのが楽しみですが、同じお話でも、皆様ここまで読み込んでいらっしゃるのかと本当に勉強になります。
(じゃからんださんの談)

「お紀乃は少しずつ、次郎兵衛の正体に気づいたようです。それで、今度は亭主にすまなくなって、なんとか貸した金を、とりかえそうときびしく催促をはじめた。(略)」
「酉の市の殺人」より
若き日の恋の想い出につい身を委ねたばかりに味わう、お紀乃の夢の喪失と苦い現実の認識から一首。
   
面影は心に在りて消えねども木枯らし来たりて夢は凍りぬ 紀乃
   

お紀乃がそれほど悪い女とは思えないだけに、現実を見た時の心の寒さを思うと、痛ましくなります。



滅多にない東吾さんとの外出でおるいさんが感じた、忍ぶ恋に訪れたつかの間の安らぎと幸せとときめきで一首。
   
もれいづる冬の光の暖けく君と繋ぎし心と指と るい
   




「姉さんは馬鹿です。みかけばかりにとらわれて、義兄さんの真心がわからなかった……そのために、あんな奴に命まで奪われて……」
「酉の市の殺人」より
華やかな姉の蔭に隠れつつも密かに想う義兄へのお三輪さんの思慕を。
   
寒椿にほへる蔭に佇むは春ひたぶるに待つ花蕾 三輪
   




ラスト、おるいさんに思いきりアテられた源さんの苦笑している図から一首。
   
数々のおなごの想ひを聞きしかどげに恐ろしきは「見目も心も 」 源三郎
   




 紫陽花さんの五七五 

酉の市です。まさか最後じゃないよね。これで宿題は終りました。こでまりさんはこれからが大変ですね。大変なようでしたらアンケートのあいつらの一年分はなかったことに しましょうよ。ね。(結構しつこい紫陽花)
(紫陽花さんの談)

太刀を掴んで、東吾が「かわせみ」をとび出した。嘉助が八丁堀へ知らせに走る。
神田まで東吾は韋駄天になった。
「酉の市の殺人」より
季語がまたない。季語の入っているものも詠んでみたいと思いましたができません。むずかしい…
   
韋駄天を見送る私の誇らしさ
   

事件は急を要するものであっても、東吾さんを信頼しきっているるいさんにしてみれば、こんな気持ちかもしれませんね。



英盛堂というのは、深川佐賀町にある江戸暦開板所で、書物地本問屋でもある。
なかなかの大店で、奉公人も多く、店の格式も高かった。
「酉の市の殺人」より
オマケ あいつらは英盛堂にいるようです。茶托の見ている本は最新刊のようですね(笑) そうそう書物地本問屋と書物問屋は違うのかと調べてしまいました。勉強になります。

「茶托〜、その本はお前にはまだ早いよっ」
紫陽花様の茶托クン達は、タイムリーな草紙で楽しんでいるのですね〜、かわいいですぅ!
(みちころんろんさん)
笑えました、可愛いですね、湯飲み君のほうが年上なんですか?
(ぐりさん)
年上か年下かというより、中味が問題なのではないかと…。
(こでまり)
トリオのお仕事ぶりも笑えました。あの本に興味があるのかな〜。
(コシキブさん)
それにしても「もののけトリオ」お手伝いするのは感心だけど「月行」はまだ読まないほうがいいと思うよ!!
(はなはなさん)



 コシキブさんの五七五 

△文化祭も佳境にはいりましたね〜。本当にこの秋は楽しくてためになる充実した時間を過ごすことができました。これも三人のサイト管理人さま達のおかげです。ありがとうございました!
さて、このお話は正直いって私の中では影が薄い部類に入り、捕り物の記憶は殆どありませんでした。冒頭のお吉さんが舟で遠出する時の会話が印象に残っていた程度でしたが、今回読みなおしてもやはり酉の市に出かける道中の描写が一番気に入ってしまいました。
 (UP後に)
私は事件のことはどうしても深い読みが出来ず詠めなかったのですが浅黄裏さんやのばらさん、そしてUP後のたまこさんのお話で文面には表れなかった色々なことが今になって見えてきました。
(コシキブさんの談)

屋根舟の中の東吾さんの心境です。傍らにはおるいさんが寄り添い、お吉さんが美味しいお弁当やお茶を振る舞ってくれ、懐は方月館からの謝礼で暖かい。それはそれは満たされた思いで櫓の音を聞いていたことでしょうね。おるいさんも同じ気持ちだったのはもちろんです。
   
足りぬもの一つとて無し炬燵舟
   

「足りぬもの」つながりすっごいうれしい〜〜(^-^)なんとなく冒頭のあったかい場面は句にできなくて残念だったのです。
(のばらさん)



結局お吉さんは帰りにあの干し柿を分けてもらったのでしょうか?
   
江戸で待つ皆に分けたし吊るし柿
   




畦道であった。
見渡す限り田と畑であった。
農家の藁葺き屋根が点在する他には、遠くこんもりした木立がみえるだけである。
遥かな山脈の頂上には雪が白い。
「酉の市の殺人」より
うふ♪足元が悪いのをいいことに手をつなぐ二人です。
   
手を預け歩む畦道峰の雪
   




「俺は、そんなみっともねえ真似はしないから、安心して、でっかいのを買えよ」
毎月、代稽古に通っている狸穴の方月館から、貰って来たばかりの謝礼が手つかずで懐にあるから、東吾は大様な顔をして、るいをうながす。
「酉の市の殺人」より
東吾さん、高い大熊手を買わされたんじゃないかしら。でもこの頃は二人で遠出するのはめったにできないことですものね。二人とも終始楽しそうな笑顔を見合わせていたのでしょう。
   
一の酉今日は夫婦(めおと)の笑顔なり
   

江戸の町中を離れ、その分、気持ちもいつもより開放的に一日を過したのですね。「今日は夫婦の」がお上手だと思いました。
私もここを詠もうと思ったのですが、うまくまとまらなかったでーす。なるほどね〜。
(bf109さん)



(急に最後にとんでしまうのですが)おるいさんの手放しのおのろけに周囲が固まったのが見えるようですね。でも源さんでさえ見抜けなかった次郎兵衛の空涙を見抜いていたのは東吾さんなのですから、おるいさんが誇らしく思うのは当然でしょう。さぞや二人きりの部屋で甘いご褒美をいただいたことでしょうね。
   
褒めたさの思い溢れる小春の日
   




 浅黄裏さんの五七五 

今月のお話でお紀乃さんは殺されてしまうのですが、もしそうならなかったらどうなっていたのかとふと考えてしまいました。妹のお三輪は義兄に気がありそうだし、義兄の与兵衛もまんざらではなさそうだし。お紀乃さんは自分の過ちを悔いて(といって不貞の事実はなかった)貸したお金を取り戻そうとしただけなんですよね。そして、与兵衛とも夫婦としてちゃんとやりなおせると考えていた矢先のことだったんでしょうに。この三人にもし「酉の市の殺人」事件が起きていなかったら…と考えるとそっちの方が気になってしまいました。
 (UP後に)
宗匠が「こでまりの談」で書いているように私も「消化不良気味」でした。もっと鋭く十七文字にできなかったものかと思っています。さて、その後の英盛堂のことですが、次郎兵衛が先代の娘であるお三輪と再婚する分には親戚筋には何の不満もなく、そのまますんなり収まったのだろうと考えます。そうなるとなんともお紀乃が可哀想で… 。お金を次郎兵衛に黙って貸したことを詫びることが出来たのですから、あと一歩家付き娘のプライドを引っ込められなかったものか。たまこさんのおっしゃる通り、後の事は店の者に任せて置けなかったものか、と思ってしまうのです。
(浅黄裏さんの談)

「もし殺されてなかったら…」わたしも考えました〜〜。ほんとに、どうなっていたんでしょう。
(のばらさん)
「借金問題が無事に片付いていたとしても、姉妹と婿養子の夫のこの家庭はその後どうなっていたのか?」という発想も、鋭い!と思いました。
(たまこさん)
殺人がなかったらどうなっていたという視点など、まるで考えが及びませんでした。満ちたりていそうでも、金の不自由がなくても人は幸せとは限らない… これは現代人にとっても永遠のテーマでもあり、それにつけても金の欲しさよ…と言っている私でもあります。(^_-)-☆
(すみれさん)



誕生日を迎えると東吾さんとの歳の差がいっそう気になってしまうという気持ちがるいさんにはあったのではと思いました。酉の市の頃にはもう誕生日は過ぎていたかもしれませんが。
   
山茶花の咲く日を横の遠出かな
   

日常にもありそうな、この季節のいいお天気の日の心浮き立つ遠出、でも庭にお花も咲いていて家を留守にするのが、ほんの少し名残おしくもあり、という情景のよう、いいなと思いました。
(のばらさん)



「まあ、お嬢さん、あそこの百姓家の軒先に干してある柿がおいしそうなこと、少し、頼んでわけてもらいましょうか」
「酉の市の殺人」より
離れたところではあってもお吉さんにかかったら美味しいものはすぐに発見されてしまいそうです。
   
目にも福口にも福の柿簾
   




昨夜、るいの部屋へ泊って、二日も屋敷を空けては兄の通之進に対して具合が悪いのだと知っていて、やはり、るいは寂しかった。
「酉の市の殺人」より
この頃は東吾さんの思い切った連泊もおおっぴらな連泊もなかったんですね。たまの訪れも一夜かぎり。日が短いといえば冬の季語で、その反対語は長い夜かと思うのですが、「長夜」は秋の季語だし、不思議ですね。
   
妻の身のふた夜はなくて日の短か
   

わかってはいるけれど寂しい、そんな思いをひしひしと感じさせるお句ですね。
「日の短か」は日暮れの早さを取り上げていると思うのですが、夏になると「明け早し」のように、夜明けの早さにポイントをおくみたいですね。



 あっちの管理人さんの五七五 

この間掲示板にも書いたけど、ついこの間11月になったと思ったらもう今月も中旬。日に日に慌ただしさが増していくようですね。今朝はまた一段と寒くて、やっぱりもう冬なんだなと実感(笑) さて「酉の市」は祝言前なので、東吾さんとるいさんはまだまだラブラブモード全開で、この頃の話は大好きです。
 (UP後に)
「酉の市の殺人」アップのお知らせに早速拝見してきました。今回も皆さんの競作ポイントがいっぱいあって、「酉の市」とくれば慌ただしい年の暮、いよいよ△文化祭も押し詰ってきたようですね。4周年目に突入した「はいくりんぐ」内容も勿論だけどオマケの充実度もすごいですね。もののけトリオあり現場検証あり、そして物語にちなんだスケッチあり。お句と一緒にオマケも充分楽しませて頂いてます!
(あっちの管理人さんの談)

酉の市へ出かけようとしていたるいさんにとって東吾さんが一緒に行ってくれるのは、晴れて夫婦になれない身であれば、夫婦のように暮れの細々した買い物をするのはさぞ嬉しかったろうと思います。
   
来る年の幸せ願い酉の市
   




障子をたて廻した屋根舟の中は、炬燵が出来ていて、
「なんだか、旅に出たという気が致しませんね」
お吉がもの足りなそうな顔をするほど、のんびりした出立であった。
「酉の市の殺人」より
   
薄闇に櫓の音だけの舟炬燵
   




いつもながら口運のいい源さん、今回もしっかり二人きりの居間にお邪魔虫しにきましたね。そのあげく東吾さんを連れ出して「どこで目の保養をされようと知ったことじゃない」なんて源さんもいうもんですねぇ。
   
粟餅の香りにひかれ巻羽織
   




「でも、本当に、いい殿御はみかけも心もいい筈ですよ。だって、心は顔にあらわれるっていいますでしょう」
「酉の市の殺人」より
最後のるいさんの大のろけ、なんとか詠んでみたいなと思ったのですが、どうもうまくまとまらなくて。ここはみんなの競作ポイントかな。
   
見上げれば顔も心もいい殿御 (by るいさん)
   

はい、競作ポイントでしたよ〜。でも私は詠めずあっさり諦めました、はいっ。



 bf109さんの五七五 

今月のお話、今までの中で(といっても四回目)一番難しかったです。言葉が出てきませんでした。
(bf109さんの談)

その、酉の市は、土橋を渡ったところから続いていた。
  (略)
そこから眺めると、境内の裏側に当るところに板囲いがしてあって、内から賭博をやっているらしい声がする。
「酉の市の殺人」より
   
大熊手 集めたものは 人の山 俄か店やら 板囲いやら
   




紫のお高祖頭巾をしているが、僅かにのぞいた顔は、なかなかの美貌であった。
「酉の市の殺人」より
男にとって、人が大勢いるところにいくと 「東吾」さんならずともすることは昔から同じようですねー。
   
酉の市 何はさておき 目の保養
   

あら〜、これは奥方様にはナイショの一句かな?でも女性も同じかも知れませんよ〜。



本当に幸せそうな「るい」さんが目に映るようです。
   
寄り添って これぞまさしくいい殿御 お顔ばかりか お心までも
   




 あるみさんの五七五 

今月も拙い句を送ります。「月行」に触発されはりきってみたものの出るものが出ない…
(あるみさんの談)

   
のんびりと舟で揺られて夢心地
   

初めて大川(隅田川)で水上バスに乗った時、あっという間に時間が経ってしまいました。今から思えば「夢心地」だったような…。



「花又村ではありませんが、酉の市に出かけた英盛堂の内儀が、行方知れずになった上に、今日になって死体が荒川に浮かびました」
「なんだと……」
「酉の市の殺人」より
熊手は厄除け、幸運を呼ぶといわれてるのにお紀乃は…
   
熊手買い命を落とす皮肉かな
   




 花みずきさんの五七五 

大阪に行く前に…と思ったのですができず、ひとつは大阪で思いつき忘れないように手帳に書いて帰ってきました。もうひとつは、無理無理です(^_^;) 読み込めば読み込むほど「浮かばない」のでどうしようかと思いましたが、なんとか2句できましたので遅らせていただきます。
(花みずきさんの談)

   
酉の市夫婦のごとく舟道中
   




折角、一日を共に遠出をして夫婦のように振舞って来たあとだけに、一人寝がやるせない気持ちになる。
「酉の市の殺人」より
   
やるせない思いは同じ夕暮れ時
   

一人で「やるせない」思いをしているのは辛いけど、同じ思いを相手もしていると思えば、次に会うまでのその時間も愛しい時間になるかもしれませんね。



 こでまりの五七五

今月のお話は、最初の「酉の市」までの道中がとても楽しい雰囲気で、詠みたい所もいっぱいありました。でも、読み進めていくうちに、英盛堂の人々や村田屋の気持ちをいろいろと想像してしまいました。想像は膨らむのに、それを十七文字に詠むのは本当に難しく、消化不良気味です。
(こでまりの談)

早朝六ツ(午前六時)に、前夜から「かわせみ」に泊った東吾を先頭に、旅支度のるいとお吉が、嘉助や女中達に見送られて屋根舟に乗る。
「酉の市の殺人」より
まだ辺りがうす暗い時刻ののんびりした出立であっても、舟に身を預けてしまえば、心はウキウキとしたことでしょう。
   
炬燵舟ゆるりと立ちぬ明けの六つ
   




「しゃんしゃん」は競作でしたね。この響き、やっぱり気になりました。
   
しめる手のしゃんしゃんしゃんと酉の市
   




晴れてこの先夫婦になれるのか、間近な来年でさえもどうなることか…、でもそうだからこそるいさんは、この一日を大切に過したことと思います。きっと大きな熊手を買ってもらったのでしょうね。
   
夫と吾(あ)の明日に幸あれ大熊手
   




「今更、色めいたことはなにもございません。ただ、昔友達として、心の支えになり合えたらと、手前もお紀乃さんも話し合って居りましたのに……このようなことになりまして……」
「酉の市の殺人」より
お紀乃も次郎兵衛も再会した時には、お互い若い頃に戻れるとは思わないまでも、心が温かくなるような思いがしたのでしょう。特にお紀乃の方に、その思いが強かったかもしれません。
   
遠き日の恋取りだして冬日向
   

この「取り出して」が好きです。仕舞っておいたものを取り出す心地は、文字通り心地よかったでしょう。それが実態の伴わないものであるだけ余計に(ふたりには心の通った時期があったというだけのことでしょうから)。それを冬の日の縁側での物思いだけにしてはおけなかったことが、お紀乃の命を縮めてしまったのですね。
(浅黄裏さん)



「何故こんなことに…」お紀乃も次郎兵衛も、何度思ったことでしょう。欺かれたと思ったお紀乃の心を占めたのは「怒り」だと思うのですが、次郎兵衛の心を占めたのは「惨めさ」ではなかったでしょうか。惚れていたのに、欺くつもりなどなかったのに、それも全て信じてもらえなくなってしまった。若い頃一度諦めたことも重なって、惨めさは重く、冷たく心を占め、弾けてしまったのではないかと思いました。
   
真田紐の手ざわり今もある霜夜
   

次郎兵衛の句はなるほど、そうかも…と。わたしは、悪い人になってしまっていたのかと思ってたけど、そうだったのかもしれないなあと思いました。誰も特別悪くもないように思えるのに、何か掛け違ったような印象でした。
(のばらさん)



 にこにんさんの五七五 

あーあ^^; 「せめて17日」って、BBSに書いたのに、3時間も過ぎてしまいました。しかも!!結局、俳句は作ることができず、絵だけは何とか今、仕上げました。その絵も妻からNG出てます(T_T) 雰囲気に合わないようでしたら、連絡ご無用でボツにしてくださいませ。とりあえず、最後までベストを尽くした軌跡として送信します。
(にこにんさんの談)

酉の市は、本来、酉の祭りで、鷲大明神の祭の日である。
諸方にある鷲大明神の中、本酉と呼ばれて、もっとも古くから行われているのが葛西花又村の鷲大明神で、祭礼の当日には境内はもとより参道の両側に、ずらりと市がたつ。
「酉の市の殺人」より

江戸時代も冬場の着物の色合いは渋めだったのでしょうか。その分周りの市の色が華やいで、心を浮き立たせるようですね。ところで、夜中の3時まで絵に取り組んでくださる誠意に感謝しつつも、拙宅の立場としては「俳句ができず、絵だけは仕上げた」を喜んでいていいのか…と贅沢な悩みをもち始めた、この頃の私です。
しっかり「こでまり看板」(看板とはいわないですよね〜?何ていうのだろう?のぼり…かな?)も出ているし…、賑わいが伝わってきてとってもよいですね〜☆♪
(みちころんろんさん)