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 三婆
「横浜慕情」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
先月の「玉菊燈籠の女」には、大勢ご参加くださいましてありがとうございました。新しいお仲間やお久しぶりの方も交えて、過去最高数の参加者をお迎えすることができました。またオマケもたくさん頂戴し、ページに花を添えていただき、本当にありがとうございました。

さて今月は、「三婆」を選びました。

はいっ、誰ですか、「あの方」と「あの方」と「あの方」を思い浮かべたのは。(言われる前に先手を打つのだ〜がはは)
今月もまた姉妹のお話、でも先月よりはずっとコミカルです。
そして秘曲(今年二月)で気を揉んだ「あの話題」も……。

さあ、今月はどんな五七五になりましたでしょう。
(平成十七年八月)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
はいくりんぐ、読み応えがあるので、
仕事中ひそかに見させていただいてます(*^m^*)
皆様、こんなキレイな五七五が思いつくなんて
すごいなーと思って読ませていただいてます。
自分で作ろうと思うとやっぱり難しそうですね。
私がやるとどうも"サラリーマン川柳"みたいになってしまいそうです。
東吾さん同様無風流なもので…ヾ(´▽`;)ゝ
憧れつつ、しばらくROMしてまーす。
(さっとさん)
やっと見ることができました、
みなさん、それぞれ、おもしろい〜です
「三婆」になんで「花月」?と思い慌てて読み返して納得!
今月は欠席させていただいてたので
読んでなかったのです、(読めよ〜)
やはり競作ポイントになってましたね。
「富くじエッセイ」も読ませていただきました、
心がほっこりして、思わずにっこりしてしまいました、
よいお話ありがとうございました。
(花みずきさん)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 さすらいさんの五七五 

おそまつですいません。「かわせみ」のどこかに「三爺がいましたっけ。」 どう考えても、三爺よりも三婆のほうが絵になるような気がして。
(さすらいさんの談)

名主の家に生まれた三姉妹が各々に異った老境を迎えているらしいのが、東吾には興味深かった。
あれほど、いい争ったりしていたのに、三人の老女はいつの間にか肩を並べて霊巌寺の門を出て行くところであった。
「三婆」より
   
三婆いて 三爺はなぜいない
   

さすらい様、ようこそ「はいくりんぐ」へ!
あはは〜、思いもよらない発想でした。「三婆」は一度で変換できましたので、世間でもこっちの方が一般的なのかもしれませんね。かわせみで「爺」というと、麻生のご隠居とか方斎先生とか、「冬の月」の頑固なお爺さんを思い出しますが、「三爺」とセットで思い浮かぶ人はいません。でも、しいてあげるならかなり先のことですが、「東吾さん・源さん・宗太郎先生」が着々とその道を歩んでいるように思います。
「頑固なお爺さん」というのはたいていひとりぼっちですね。この三人では、ちょっとお人好しすぎて、とても「三婆」の迫力にはかないそうもありませんね。年を取ったら、3人で集まって何をするんでしょうね。
(さすらいさん)
さすらいさまの「三爺」という視点は、思いもよらなくてなるほど、でした。私も三爺、考えてみましたが、三兄弟となると、未来の天野三兄弟ですかね〜でも、イメージが違うよな〜現時点では、こでまりさまのおっしゃる、麻生のご隠居、方斎先生に、私は天野宗伯を入れたいです。原作では名前しか出てこないけど、第三章のTVではちゃんと登場したし。なんたって宗太郎さんを勘当するくらいだから、相当頑固オヤジなのでは…
(麦わらぼうしさん)
さすらい様、これからも「はいくりんぐ」へどんどん遊びにお出で下さい。三爺――麦様の候補以外では、歳からいって、嘉助さん、仙五郎親分、長助さんはまだ若い?から文吾親分の三人(江戸っ子組)で如何でしょう。
(すみれさん)
確かに「三婆」って有吉佐和子の小説でも有名だけど、お婆さん達って老いて頑固になってもやっぱり寂しいのかな、だからお爺さん達と違って口では言いたいこと言いながらも寄り添うのかも知れませんね。
(あっちの管理人さん)
「三爺」ウケました!いろんなパターンが出ていますが、私は「将来の東吾さん・源さん・宗太郎さん」イチオシ!「麻生のご隠居・方斎先生・ 宗太郎のオヤジ様」にも一票です。あと、かわせみの人々が子供の頃、隼の新八さん・大久保源太・大竹金吾が「三爺」だったかもしれないと思います。
(たまこさん)
かわせみってお爺さんも大勢レギュラーですね。たまこさんの新八・大久保源太・大竹金吾が三爺、ってことは、やっぱりその頃、お鯉・郁江・小かんは三婆?!
(のばらさん)



 あるみさんの五七五 

三婆と言わて「ハ〜イ!」と振り返る…三婆と聞いて←がうかびました。
 (UP後に)
皆様の句を拝見するたびになんと自分のは…と恥じ入っております。が、楽しいのでやめられません。
(あるみさんの談)

「小文吾は、いつか船に乗って異国へ行ってみたいらしいのですよ。勿論、今は御禁制ですがね」
宗太郎が笑った。
「三婆」より
   
富くじに夢はでっかく大海原
   

あるみ様、「はーい」の返事はまだまだ早いですよ、(^_-) ここに本物がおりますから…
長崎の地は異国への思いが届き易い雰囲気がありますね。出島で実際に唯一貿易も行われていましたし、お話の中では横浜ですが、小文吾さんが海の向こうへ憧れを持つのに共感されるのもっともです。
(すみれさん)
船に乗って大海原に乗り出している小文吾の姿が見えるようなお句ですね。しかも客じゃなくて、自分で船を操っていそう〜
(麦わらぼうしさん)



「かわせみ」一番の口達者なお吉と、あの婆さんとなら、おそらくいい勝負に違いないが、今のお吉の様子をみると、どうやらむこうが一枚上手で、お吉に口をはさませない勢いでまくし立てて行ったらしい。
「三婆」より
   
末婆にかなわずお吉くやしがる
   

お吉さんが言い負ける場面は長いかわせみのお話の中でもめったにないことですね。なるほど。
(すみれさん)
あるみさま、同じ場面を詠めてうれしいです(^^♪。おしゃべりな人が、思うようにしゃべれないと、相当のストレスらしいですよね。
(麦わらぼうしさん)



   
貝桶を眺めて想う夏の朝
   

この「夏の朝」は東吾さんが麻太郎に蝉を取ってやったあの夏の日の朝のことでしょうか。東吾さんの気持ちをうまくすくい取っているお句ですね。
(浅黄裏さん)
東吾さんが最近「想う」のは麻太郎くんのこと、千春ちゃんのことなんですね〜。昔はるいさんのことだったのになあ〜とちょっと淋しかったりして。あ、でもやっぱりるいさんのことを思うからこそ、思い悩むんですよね。この先が気になって仕方ありません。
(のばらさん)



「あいつ、近頃、俺に助っ人を頼まなくなったな」
いささか不満で、東吾は夕風の中を「かわせみ」へ帰った。
「三婆」より
   
ねぇ源さん俺の助けはいらないの?
   

ここ、詠みたいと思ったけど詠めなかった一つです。こういう詠み方もいいですね〜。
東吾さんのちょっと寂しい気持ちとつまんないなぁ〜の気持ちを読みたかったのですがなかなかできなくて「こんなのありだろうか」と思いつつ送ってしまいました。
(あるみさん)
あるみさんのこの詠み方、とっても楽しいです。東吾さん自身職を持って忙しいだろうに、でもやっぱり源さんの捕り物の手伝いをしているのが一番性にあってるんだろうなと思います。
(あっちの管理人さん)
本当に東吾さんの素直な気持ちをありのまま表現していて、このような詠み方のできるあるみ様に拍手です(#^.^#)
(みちころんろんさん)
同じところに注目していたのが嬉しいです!直接話法で東吾さんに言わせるっていうのは全く思いつきませんでしたねぇ。とても生き生きした感じでいいですね。
(たまこさん)



あらためて読むと面白いですよね。いろんなこと言い合っても三人姉妹いつも一緒にお出かけしてるんですもの。
   
けんかして揉めても三人お茶を飲む
   




 TERAIさんの五七五 

三人のお婆さんの名前や性格、屋号などがこんがらがってしまって。つる(鶴)、かめ(亀)、よねと覚えましたが…。宗匠の「花月の行方」も読みましたが、麻太郎問題については浅学な小生にはよくわかりません。
(TERAIさんの談)

東吾と共に入って来た母の七重が悲鳴を上げたが、当人はどこ吹く風で、それでも麻太郎に気がつくと、少々、照れて、
「とうたま、お出でなされませ」
蛙が潰れたような恰好でお辞儀をした。
「三婆」より
   
とうたまと 琴を飛び越え 照れ蛙
   

琴を飛び越えたのが花世ちゃんらしくって、私もここで詠みました。でもこんな年頃の子って照れ隠しにいろんなことをやるもので、私もこんな頃は、舌を出したり変な顔をした写真ばかりが残っています。
「照れ蛙」がかわいいですね〜。花世ちゃんって私大好きなんです。この御作は花世ちゃんらしくっていいな〜。
(はなはなさん)
私も同じところで詠んでみました。七重さんを嘆かせている花世ちゃんのお転婆ぶりだけど、子供の頃の七重さんもこんな風だった?と想像すると可笑しいですよね。ほんと誰に似たんでしょう。
(あっちの管理人さん)
私もこの部分を詠んでみたいと思ったのですが、どうしてもうまく17文字にできなくて…。花世ちゃんらしさがとてもよくあらわれていて、思わず笑顔になってしまいます。
(みちころんろんさん)
「照れ蛙」がかわいいです。こんなかわいい蛙ならいくらでも来いって感じです。ここをお読みの皆さまのお句、全部かわいくて華やかで好きです(^-^)
(のばらさん)



   
三婆が 人それぞれに 欲を出し
   




「でも、清水様ではどうなさったのでしょうね。大事になさっていらしたものなのに、貝が一つ、片方だけになってしまっていると申すのは……」
「三婆」より
「秘曲」には「貝桶の中の、花月の貝が右貝だけである理由を、この時、麻生家の人々は、まるで知らなかった」とありますし、「三婆」には「「花月」の貝の片方を取りのけておいたとしたら、それは我が子の未来に対する、母の祈りのようなものではなかったかと東吾は思う」とか「将来、兄は神林家を、明らかに弟の血を継いでいる麻太郎にゆずる気持でいるのは、東吾にもわかっている」などとありますし(ただこれは東吾さんの「思い」ですよね)、麻くんの誕生日も10月になったようですし…。本当のことはもうこの世にいない琴江さんだけが知っていたわけですか。おそのさんや香苗さんも知っていた?う〜ん。
   
麻くんと 千春嬢ちゃん どうなるの
   
花月とは 欠けたる貝の 奥深し
   
「花月」にて 平岩先生 気を揉ませ
   

パソコンも夏ばてされたようですね。頭の良い機械ほど故障し易いのか、あちこちでパソコンの不具合を見聞きします。お大事に。
「花月」にて…私には平岩先生も花月で少し困っておいでになるのでは…と、心配になってきています。ご本家サイトでは色々な結末が披露されているし、プロ作家としては読者を納得させ、なおかつ呻らせる落としどころをどうしようかしら?なんてね(^_-)
(すみれさん)
本当にそうですよね〜麻太郎と千春の仲は?るいさんにばれたらどうなるの?だいたいが本当に東吾さんの子なのか?考えれば考えるほど、不安になります…まったく平岩先生の思うツボにハマッた読者なのでした。でも、すみれさまのおっしゃる平岩先生も困っているかも…というのもありえそう〜〜作者までも悩ます麻太郎問題…?
(麦わらぼうしさん)



 朝霧さんの五七五 

朝霧とほぼ同年齢の三婆たち、身につまされるお話でした。お金に困らない身の上の三姉妹ではありますが、それぞれの境遇での競い合い、意地の張り合い、最後は血の繋がった姉妹本当は仲がよいのでしょうね。「花月の行方」も気になるこのお話こでまりさんの創作のように、ハッピーエンドになることを希望して。それにしても無くなっている貝の片割れはどこにあるのでしょう。
(朝霧さんの談)

いつの時代でも一攫千金を夢みるのは人の常で、とりわけ、江戸っ子は宵越しの金は持たないと突っ張る気性があるせいか、これが大当りに当って、谷中感応寺、目黒不動、湯島天神では始終、富興行があるために、江戸の三富などと呼ばれ、大いに賑わった。
「三婆」より
   
江戸っ子は 富突きでみる 夏の夢
   




たかが茶代のことで姉妹喧嘩もすさまじいと長助が見送って苦笑した。
「只今の揉め事も富くじを何枚買ったかてえことでして……」
「三婆」より
   
三婆は 欲 欲 欲の 暑気ばらい
   

欲×3、この表現がインパクトがあって冴えてるなぁと感心しました。それぞれの家族が絡んで欲も複雑になってきますものね。
(すみれさん)
欲が三つで迫力です!婆さんたち姉妹は今までもいつもこうやって騒ぎ起こして、家族もある程度なれちゃってるんでしょうか。それとも年をとって隠居したからこそのお気楽さなんでしょうか(^-^;)
(のばらさん)



   
新涼や 花月のいわれ はこびくる
   

東吾さんは「花月」の内容について「秘曲」の時に聞いていたはずですが、わが身と重ねて改めて知ったということなのでしょうね。初秋に知った「いわれ」は、秋の深まりとともに東吾さんの心をどんな風に占めていくのでしょうね。
私も「花月」については「秘曲」の時に聞いていたはずなのに、と思ってしまいました…もう忘れる なよ!とアンチ東吾さんの麦は思うのでした。
(麦わらぼうしさん)



 すみれさんの五七五 

三婆――お江戸の時代は五十過ぎればもう婆――今の時代だと八掛けくらいの年勘定になるのでしょうか。こんな事を言わねばならぬほどに齢を重ねてしまったってことだなぁ…この話を取り上げた、こでまり宗匠はまだまだお若いってことの証明ですね。
 (UP後に)
発句ポイントが大きく2箇所に分かれていて、いつにも増して競合していた今月、同じ事を感じていてもやはり微妙に違う五七五が出来上がる…これがはいくの奥深いところだーと、納得しました。貝桶の解釈も色々、富くじに見方も色々、三婆も色々。かわせみ△の三婆、可愛く邪魔にならぬように励みますのでお願いします。
(すみれさんの談)

「まあ、なんのかのといい合っても、年をとった姉妹が近くに暮しているのは悪かない思います」
「三婆」より
姉妹がいないので羨ましさが先にでます。存分にけんか出来るのも姉妹なればこそ、この三人は、ほんとは仲が良いのか悪いのか?年子の三人姉妹ってことは、ずっとライバルみたいに競い合って生きてきたのかな?って、想像してしまいます。
   
姉妹なり言うだけ言って肩よせて
   

すみれさまのはいいな〜と思う御作が一杯でした。なかでも「姉妹なり」の「肩寄せて」が温かくって好きです。
(はなはなさん)
そうなんですよね。なんのかんの言い合っても心の底ではちゃんと通じ合ってい るんですよね。本音を言い合える姉妹…そうありたいものです。
(みちころんろんさん)



富くじ当てたい…はどの時代でも一緒!くじを持っている間は「取らぬ狸の皮算用」をして、なんとなくうきうきした気分になるのも一緒!お参りしても…どうかくじが当たりますように…ばかりだけど、その浄財でお寺も綺麗に修理されるのだからおあいこかな
   
富くじや門茶汲みつつ願いごと
   

「門茶」は「接待」ともいう季語で、供養のために寺めぐりをする人に門前で湯茶を振舞うことだそうですが、門茶を供する善男善女までが心うばわれる「富くじ」とは…。そんな人々の心をすみれさんがエッセイにまとめられました。
S.ファロウ「畝々草」の「富くじの思い出」は
こちらから
 
皆様、本当に拙い作文を読んでいただきお礼申し上げます。今月のお題の「三婆」を読み出して直ぐに、義父の新盆と重なってこのエピソードを思い出しました。初めは妄想の神様ーーどうか私にも降りてきて下さいませーーとお願いしたのですが、長期夏休み中とかで…私は見放されましたので…諦めました(>_<) 文才豊かな皆様方の足元にも及びませんが、供養の一つと笑って下さいませm(__)m
(すみれさん)
「門茶」の意味を知って、この句の味わいが増しました。
(七歩さん)



亡父の遺愛の品だった碁盤が桐の箱に納めてあるのの隣に貝桶をおき、わずかの間、眺めた。
「三婆」より
琴絵さんの貝桶が麻生家から神林家へと送られて、琴絵さんも安らかに眠れそうです。東吾さんが父上の形見の碁盤の横に置いたのは、父上に二人のした過ちを許して頂きたいとの気持ちがあるのでしょう。そして、麻太郎や自分達の行く末をどうぞ守って下さいとの想いがあるのではないでしょうか。琴絵さんと父上がなかよく碁盤であそんでいる様な気がします。
   
片貝の願い叶えし星月夜
   
秋の声まかせておけと父に似て
   
またひとつ妻には言えぬ秋思かな
   

「片貝の〜」この場面、兄上の気持ちにばかり気がいって、東吾さんが形見の碁盤の横に置いた、というのはまったく読み落としていました。そういう意味があったのですね。う〜ん、読めば読むほど奥が深い「三婆」ですね。
(麦わらぼうしさん)
他のお話でも「愁思」を抱えたことのある東吾さんの思いをさらりとうまく纏められたお句だと感心しました。
(浅黄裏さん)
「秋思かな」この季語自体が大好きなんですが、「またひとつ妻にはいえぬ」と東吾さんの独り言がとても利いていました。東吾さんらしいな、と思って。
(はなはなさん)
この「またひとつ」に思わず「そうよねぇ」と思ってしまった「かわせみ」ファンの方も多いのでは。やっぱりもの思う秋ですね。
(あっちの管理人さん)
「またひとつ…」の御句に…そうですよね〜。言えませんよね。東吾さんらしさが出ている優しい御句ですね。(みちころんろんさん)
「またひとつ…」 これは東吾さんとるいさんの話を離れても、古今東西を問わず夫婦のある情景を詠んだものとして、とても心を打つ御句だと思いました。ひとつ間違うとドロドロ系になりそうな事でも、このように見ることができるんだなと、それは決して綺麗事でおさめているという意味ではなく、お互いに愛情や誠意があっても、時にどうしようもない状況というのがあるのかもしれないという人生の深さを感じさせます。
(たまこさん)
「秋の声」わたしはスッカリ読み飛ばしていた「貝桶」と倉のシーンでした。皆さんのお句を読んでいくごとに、一つ一つのシーンを深く丁寧に追っていくようです。
「秋思かな」東吾さんはあんまりクヨクヨしない方ですが、考えても考えても自分ではどうすることもできない状態の麻太郎くん問題、先のことを考えると物思いにふけってしまうんでしょうね。 一語も無駄がなくて、すごくはまっていて、しかもゆったりした余韻を感じるお句でまったく惚れてしまいました。東吾さんじゃなくて世の旦那様方にも当てはまったりして〜。
(のばらさん)



 コシキブさんの五七五 

今月は「三婆」でしたね。偶然ですが、NHKの第四章でドラマ化したいお話ってなにかなぁ、と考えたときにこの作品が頭に浮かんだばかりでした。「三婆」といえば有吉佐和子さんの長編小説が有名ですが、個性的なお婆さんが三人、ていうのはお話になりやすいのかな。ビジュアル的にも迫力ありそうですよね。「花月」のエピソードも盛り込まれいて競作ポイントも多そうですね。
 (UP後に)
やはり、他人さまの御句はよく見えますね〜。ポイントを共有していて、なおかつ自分の句はイマイチ納得できないまま送ってしまった場合なんか特に。三婆や花月以外にも、小文吾さんの海外へのあこがれや源さんに振られた(?)東吾さんの寂しさとか、見逃してたポイントにもいっぱい気付かされました。
(コシキブさんの談)

夕方から川風が吹き込んで、軒先の風鈴が良い音で鳴り出した大川端の「かわせみ」で嬉しそうに話しているのは、深川長寿庵の長助、聞き役は講武所から帰って来て一風呂浴びたばかりの東吾と、千春を遊ばせながらのるい、それに、こういう話となると俄然、目の色が変ってくるお吉であった。
「三婆」より
冒頭の深川の富興行について長助親分が熱弁をふるう場面です。話好きという点ではお吉に勝るとも劣らない長助。それにお吉が加わっているのですからさぞ賑やかなことだったでしょう。地元での久しぶりの開催は、深川を誰よりも愛する親分ならフィーバーするのも当然でしょう。
   
舌戦に風鈴の音もかき消され
   

情景がすぐに目に浮かびました。「かわせみ」の賑やかさここにあり〜って感じです。
(のばらさん)



麻太郎を伴い永代橋を渡る東吾。これ、二人だけの時間を作ってあげようという兄上の心遣いではないかと思い ます。東吾はどんな思いで成長する麻太郎を見つめているのでしょうか。
   
伸びた背と澄んだ瞳に暑気忘れ
   

子どもの無垢な瞳に出会うと、暑さも辛さも忘れるような、何とも言えない力をもらうことがありますね。
東吾さんの父親としての秘かな嬉しさが伝わってくるすがすがしいお句ですね。時々この機会を作ってくれる通之進様の大きな懐も感じられるのが良いですね。
(すみれさん)



「女三人寄ればかしましい」といいますよね。このお婆さん三姉妹は性格は違っても言いたいことを言い合って、結局は仲がいいんだな、と女きょうだいがいない私はうらやましく思います。裕福な家に生まれ、親孝行な子を持ち、老後の生活にも困ってない。振って湧いたような富くじさわぎや盗賊という災難には合っても、結局最後まで三人いっしょに出歩いているのですから。最後の一文にある通り、ほんとうに幸せそう。
   
かしましき老いもまた良し晩夏光
   

「晩夏光」が、老いてなおかしましいという情景とぴったりですね。
(たまこさん)
こういう「しょうがないな〜」と言いたくなるような登場人物が幸せそうにしている お話大好きです(^-^)
(のばらさん)



律儀な長助は、東吾がかついで行くという蕎麦粉の袋を、とんでもないことで、と自分が肩にして八丁堀までついて来たが、神林家の冠木門をくぐり、用人の取り次ぎで香苗が出て来て丁重に礼を述べると、例によってしどろもどろになり、たて続けにお辞儀をして逃げるように帰ってしまった。
「三婆」より
「観音様」の待つ冠木門の向こう目指して、荷をかつぐ長助です。るいを見慣れているはずの長助でさえボーッとさせる香苗さんってやはり高貴な美しさがあるんでしょうねえ。
   
新蕎麦の香り届けに冠木門
   

春霞様の長助人形とぴったり合いましたね。香苗様をひとめ拝んで上の空になる人の良さが現れていて素敵です。
(すみれさん)
長助さんおなじみの場面ですよね。長助さんがそば粉を背負って門を入っていく姿が目に浮かぶようでした。
(花みずきさん)
私もすぐに長助親分人形を想いうかべました。香苗さんの「香」も入ってなお長助さんらしい気がします。
(はなはなさん)
「かわせみ」に何度となく蕎麦粉を届けにくる長助さんですが、「冠木門」と入っただけで「神林家」とすぐわかるお句ですね。兄上が喜びそう。おえいさんがご亭主の替りに届けたかったと思ってることでしょう!
(あっちの管理人さん)
緊張しながらも香苗様を一目拝みたいという長助親分の顔が思い浮かぶ御句ですね。春霞様のお人形がすぐに頭に浮かびました!
(みちころんろんさん)



「これは、麻生家にあった……」
といいかけて、東吾はあたりを見廻したが、麻太郎の姿はない。
「麻生の義父上が、麻太郎の生母の形見であるからと、届けて下さったのだよ」
「三婆」より
貝合わせを兄上に言われ納戸に仕舞う東吾。生母の形見なのだから麻太郎の手元に置いてやればいいのに、と思うのですが…。麻生家でも大事なものだからと棚の上に置いてめったにさわらなかったようだし、なんだかこの貝あわせはもて余されているようで、琴江そのものに思えてきます。東吾も花月の意味を聞いてはっとするものがあっても、結局は琴江に対する思いは麻太郎の母親という以外なにも無いようですから。事情を知っている人にも知らない人にも、麻太郎が神林家に馴染んで実の親子のような関係を築きつつある現在、清水琴江という人は思い出したくない存在なのでしょうか。るいが真実を知る時より、麻太郎が知る時のほうが怖いですね。愛の無い一夜の関係で出来てしまった子、という事実を本人が知ったらちょっと可哀想すぎます。やはりこの秘密は全員墓場まで持って行って欲しいな〜。
   
あのひと夜納戸に仕舞ひ夏は逝く
   

わたしは琴江さんの目線になりましたが、他の立場になれば貝桶はちょっと手に余る道具になっていますね。色々な角度から見た貝桶があって、読み(詠み)が深いなぁと、脱帽しました。
(すみれさん)
私は兄上の気持ちにいってしまいましたが、もて余されている〜〜そうかも…すみれさまが おっしゃるように、本当にいろんな読みがあって感服するばかりです。真実をるいさんよりも麻太郎が知るほうが 怖い…確かに!全員墓場まで持って行ってほしい…同感です!けど、絶対このままで終わらないだろうしなぁ〜 ああ〜これからどうなるんだろ〜
(麦わらぼうしさん)
まったく目からウロコボロボロです〜〜。わたしはちっとも考えが及ばなかったこのシーンでした。かけがえのない麻太郎くんの母上ではあっても神林家にとっても琴江さんはどう考えていいのか戸惑う存在なのかもしれませんね。琴江さん自身の居場所はやっぱり大村殿のおそばなんでしょうか。麻太郎くんのそばだったのかな。
(のばらさん)



 麦わらぼうしさんの五七五 

「三婆」、お題になるまで、私の中で影の薄いお話だったのですが、「花月」のエピソードが入っていて、実は重要なお話だったのですね。読み返して気になったのですが、東吾さん、「秘曲」で花月の話を聞いていたはずなのに、改めて兄上に「花月とはどんな謡曲なのか」と聞くくらい忘れているなんて、所詮、東吾さんにとって、麻太郎はその程度の存在なのかな、と思いました。麻太郎を自分の子と確信しているようだけど、それなら「花月」忘れるはずがないと思うのですが…いろいろ考えさせられたお話ですが、句の出来はあいかわらずです…
 (UP後に)
やはり、花月(貝桶)と、「結局は仲がいい三婆」が大競作ポイントだったのですね〜私自身が三姉妹なので、三婆について詠まれたみなさまのお句が、とても実感として伝わってきました。
(麦わらぼうしさんの談)

その二人から少し離れてお茶を飲んでいる老女は中肉中背だが、色が黒く、ちまちました目鼻立ちで、我関せずと境内を眺めている表情が少々、小ずるそうでもあった。
「三婆」より
実は私も三姉妹の真ん中なんです。で、真ん中は{我が道を行く}とよく言われますが、自分でもそう思いますので、この場面のおかめ、まるで自分を見ているようです。
   
中娘 我関せずと 団子食う
   

麦様も中娘なのですね。姉妹があって良いですね。けんかも遠慮なくできますものね。弟では近い親戚の感覚で、話も余りできません。(~_~;)
(すみれさん)
麦わらぼうし様も三姉妹なのですね(*^_^*)私は、なんとこれでも長女なのですよ!我が三姉妹の中娘も《我が道を行く》を通しておりますよ〜♪この御句のとおり!昔(学生時代)は、喧嘩をすることも多々ありましたが、今は、三人集まるとおしゃべりが尽きることなく続くんですよ〜♪
(みちころんろんさん)



お吉さんといえば自他ともに認める口達者、そのお吉さんがかなわないなんて、すごいですよね〜
   
口達者 上には上が いるのだなぁ〜(byかわせみ一同&麦わらぼうし)
   




はっとして、東吾は兄の横顔を窺ったが、通之進はそれきり黙って、貝桶の紐を結び、それを東吾へ渡した。
「すまぬが、納戸へしまって来てくれ」
「三婆」より
この納戸にしまう、という事、単に貝桶をしまっておくというだけでなく、いつの日か、晴れて東吾と麻太郎が父と子として対面する時まで、東吾さんの父としての気持ちもしまっておけ、という通之進さまの思いなのかな、と思ったのですが。
   
貝桶と 親の心を しまいこむ
   

私もここは、通之進さんが見せた「けじめ」のように感じました。
すみれさん、コシキブさん、麦さん、こでまりさん、皆さんそれぞれの視点からのこのシーンのどのお句も際立っていて味わい深いです。麦さんの兄上のけじめ、そうだったんでしょうね。
(のばらさん)



三婆、なんだかんだモメても、しょっちゅう一緒で実は仲がいいんじゃないかな。モメるのもお祭り(=サ ンバ)みたいなもので、平和な証拠だと。と、いうのはこじつけで、三婆=サンバというオヤジギャグを使いたかっただけ…く、くだらなすぎて、みなさま呆れ果てておられる事でしょう…ゴメンなさ〜い(~_~;)
   
三婆が サンバ踊れば 世は平和
   

あはははは〜。(オ〜レ〜〜オ〜レ〜〜)
麦様らしさがここで出てますね。座布団何枚お持ちしましょうか?(^^♪
(すみれさん)
麦さま 大受けしました〜。私も座布団5枚♪三婆のサンバ、私も見てみたい。場所的にはちょうどいいかも、浅草サンバカーニバル?
(はなはなさん)



 みちころんろんさんの五七五 

今回のお題の《三婆》ですが、将来の我が三姉妹をみているようで… いつまでもにぎやかで仲良くしていたいもの…と思いながら作品を再読致しました。それにしても今回も超難題でした。お恥ずかしい限りですが今回もよろしくお願い致します。
 (UP後に)
今回も皆様の《はいくりんぐ・三婆》を堪能させていただいました。素敵な御句ばかりで今回も自分の未熟さを痛感!句を作る楽しみと、その後の皆様の御句を鑑賞する楽しさと… 未熟者ではございますが、今後も精進させていただきま〜す!
(みちころんろんさんの談)

「もしも、当ったら、小文吾と横浜へ行くのです」
「横浜だと……小文吾の奴、横浜になんの用があるんだ」
「お船をみたいのですって。それから、花になんでも買ってくれる約束です」
「三婆」より
小文吾と花世ちゃんのかわいい約束♪富くじもこんな感じで購入すれば、いさかいはおきないのにね〜(#^.^#)
   
富くじで 大海原の 夢花咲かす
   




女三人寄ればなんとやら…(^_^;) いずれは私も仲間入り
   
老いてなお かしましきかな 三姉妹
   

みちころんろんさまも三姉妹ですか、同じですね(^^♪私は真ん中ですが、みちころんろんさまは?
「老いてなお〜」まだそこまで老いていない(と思う…)けど、今でも三人集まると、このお句みたいです。小さい時はお兄さんがいたらいいなぁ〜と思った事もあったけど、今となっては気が楽でいいです。
(麦わらぼうしさん)



「およね婆さんは末っ子で、うちの近所の佐賀町で河内屋と申します瀬戸物屋でございます」
年子だから、おかめが六十、およねが五十九になる。
「三人とも五十を過ぎましてから、各々、亭主に先立たれ、女隠居というような案配でして……」
「三婆」より
なぜ、ご主人のほうが都合よく先に天国へ召されてしまうのでしょうね。
   
先に逝く 三婆遺し 旅立ちぬ
   

あはは〜「都合よく先に」なんて言われて「ドキッ!」としている「予備軍」の殿方もいらっしゃると思いますよ〜。
昔から殿方よりもわれ等女性は長生きしております。やもめさんは早くに弱るそうですが、後家さんはなおさら元気になって長生きするという俗説があるようですが…
(すみれさん)
今のところ姉も私も妹も、それぞれ夫も健在ですが、将来、こういうシーンもありえるかな、なんて考えたりして…(^^ゞ
(麦わらぼうしさん)
「先に逝く」は「おおお〜」と大胆さに脱帽です。 確かにみんな未亡人なのね。 うんうん、生き残りそうな三婆さんたちですね♪
(はなはなさん)



これはいつの世でも起こりうる事!
金銭がからむと、普段は奥底におとなしく潜んでいるものがでてきてしまうから恐ろしい…
   
当たりくじ いさかいで知る 業の深さよ
   




その話を、ずっと昔に聞いたような気がして、東吾は聞いた。
「片方だけになっているのは、なんという曲のものですか」
香苗がさらりと答えた。
「花月ですって。とてもよい曲で……」
「三婆」より
麻生家で、そして神林家でこれを目にした時の東吾の頭の中はいろいろなことが巡り巡って…
   
片貝の 所以を思ふ 遠き日に…
          花月に込めし 母の願ひを…
   




 こでまりの五七五 

「今月は何のお話にしようかな…『八朔の雪』は先月に引き続き吉原話だし、『秋の蛍』は蛍さんがまた遊びに来られた時に選びたいし…」などと思いながら、ふと読んだのが『三婆』でした。初めて読んだ時には何だか荒っぽいお話だなと思ったのですが、改めて読んでみると荒っぽさの中にも姉妹の情愛が流れていたり、花世ちゃんや小文吾など珍しい人も出ているので、これを選んでみました。「花月」をここで見つけたときには私もビックリ。それにしても麻くん・千春ちゃんの関係は決定的ですねえ。
(こでまりの談)

まずは「お寺社」が当りくじの数を配慮するのが面白いと思いました。そして富くじに賑わう人々の様子からも、当時はすごく楽しみなイベントだったことがうかがえますね。
   
当りくじ増やすお寺社の心意気に    
         応えて寄進と買うお江戸っ子
   




おまけに、東吾が顔を出したとたんに、あろうことか琴をとび越えて走って来た。
「花世、まあ、あなたという人は……」
「三婆」より
この時代、足袋がどうだったのかはよく知らないのですが、子どものことであり、また暑い時期でもあるので、きっとこんな風だったんじゃないかな〜と思いました。それにしても花世ちゃんのことを蛙だの蜻蛉だのって、ここは面白いですね。
   
ひいらりと琴を越え来る素足の娘(こ)
   

花世ちゃんのお転婆ぶりもよく解り、季語も入って、先生のお手本を見せていただきました。はいくも短歌も入り口は広くて入ると奥が深くて広くて海のようです。まだまだ泳げません。
(すみれさん)
「花世」の足元を「素足の」と見抜いたところ、さすがに師匠だと感心しました。
(七歩さん)
「ひいらりと」はもう花世ちゃんらしくってもうたまりません〜♪遠くから見ているような、でも温かい宗匠の視線を感じてただただ脱帽です♪
(はなはなさん)



「花月」の粗筋だけ教え、あとは何も言わずに貝桶をしまう通之進さん。以前麻くんのことについては、「いずれ時をみて自分がるいさんに話す」と言っていましたが、ここで「黙って紐を結ぶ」通之進さんは、麻くんに対しても同じように決めているようで、声に出さなくてもその思いを東吾さんに伝えているように感じました。
   
秋声やしかと紐結ふ貝の桶
   

麦様もそうですが、貝桶への読み込みが深くて、麻太郎さんへ渡すのはもっと大人になってからの方が良い…通之進様の先を考えた深い愛情に気づかせていただきました。単純に琴江さん良かったね、って思っただけの自分の読みはまだまだです。(恥)
(すみれさん)
同じ場面で、同じような事を思ったなんて、うれしいです♪
(麦わらぼうしさん)



霊巌寺でみかけた時のおかめの印象を思い出して、東吾がいったが、それから数日後、瓦版でその結着が知らされた。
「おつるさんの悴さんが、百両をおかめさんに返したんですと」
「三婆」より
全然艶っぽくないお金がらみの話題ですが、当りくじが「ほの字」だったっていうのが面白いですね。もちろん「うの字」には遠く及ばないですが。
   
新涼や「ほの字」のことのおさまりぬ
   

これには「やられた〜」の思いがしました。すぐに思い浮かんだのは去年の千姫さんの「うの字」のお句でしたが、この「ほの字」は…としばし考えました。ほの字の富くじのこととは恐れ入りやした〜。「…ことのおさまりぬ」で〆ているところもいいです。
(浅黄裏さん)
過分なお言葉、恐縮でございます。「うの字」については、新しいお仲間も増えていますので補足しておきますね。これは昨夏の「お役者松」の時に千姫さんが詠まれたお句の言葉です。「お役者松」もしくは「ミニオフin彦根」をご参照ください。ちなみにこのお句は昨年度の「お気に入り十選」で6点を取られたお句でした。
(こでまり)
「ほの字」にも参りました〜m(__)m「惚れたはれた」かと思えば富くじでしたか〜。確かに「ほの字のこと」だわ〜。
(はなはなさん)
ワザあり!という感じの一句ですね〜ほんとに目からウロコです。「ぬ」と「ね」とか、「さ」と「き」とか、似ているひらがなの組み合わせは他にもあるのに、まさに「ほの字」だったところを見逃さないのが、宗匠さすが〜〜!!「…のことのおさまりぬ」というまとめかたも、昨日や今日始めたんじゃないという手練の技を感じます。
(たまこさん)
「ほの字」には参りました〜〜。降参です(^-^)キレイな語感に「ほれた」の「ほの字」かと思いきや、言葉遊びの仕掛け気付いて「ああ〜〜なるほど〜〜」と大納得です。
(のばらさん)



おつるは、当りくじの一件からややぼけかけた様子だったが、口のほうは俄かに達者になって、悴や嫁にいいたい放題をいうようになってしまったらしい。
「三婆」より
私はこの三人の中で、長女のおつるさんの変化が一番可笑しかったです。
   
つる鳴くと思えば百舌鳥(もず)の高音かな
   

おつるさんの変化を、つる→百舌鳥なんて、うまい表現ですね。
(麦わらぼうしさん)
「貝桶の紐」の深い読み込みも「百舌鳥の高音」もすごいなぁ〜。 こういうふうに詠まなくちゃ〜と思いました。
(はなはなさん)
「鵙(もず)の高音」という季語を見つけたとき、「鵙」よりこの場合「百舌鳥」の方が、おつるさんに似合っているなって思って。ありがとうございます。
(こでまり)



 七歩さんの五七五 

明12日がサマージャンボの抽選日なので、三億円のことばかり考えながら「三婆」を読んでいたら、出来上がったのは「川柳」や「狂歌」の類となりました。どうかご勘弁ください。その代わり、「三億円 当たれば[りんぐ]に 寄付するぞ」
 (UP後に)
いつも原作本を図書館で借りて読み、句が出来上がるとすぐに返却してしまうので、皆さんの句を読んでみて、自分の記憶にない事柄に出くわすと、何のことか判らず、己の記憶の悪さに滅入ってしまいます。「花月」については全く頭に残っておりません。困ったものです。
(七歩さんの談)

当時はこんな夢を持っていた人がいたかも…
   
じゃがたらへ富突講で渡る夢
   

七歩さんも江戸時代にお暮らしでしたら、やっぱりこんな夢を持ったのでは?
ところでサマージャンボがあたったら「りんぐ」に寄付してくださるそうですが、その暁には
「当ったら △ぐるみで オフ会だ!」ってことで、うひひ。
サマージャンボの当選賞金は、900円でしたので、3億円になるまで預かっておきます。
(七歩さん)
じゃがたらへ…の夢を実践される行動力には感服です。ロングステイ体験記も毎回、短歌で閉められていて、次回に興味を繋いで、すてきな企画ですね。楽しみに読んでいます。
(すみれさん)



「まあ、世の中、何があるかわかりませんですね」
お吉が何度も嘆息したのは、五人は回向院裏の三軒長屋に別れて住み、各々に行商で生活を立てていた。
「その中の一人は瓦版の読み売りをやってたっていうんですから始末におえませんね」
「三婆」より
   
押し込みも家族ぐるみで情報通
   




「富くじに当った奴をねらうってのか」
「二度重なると、今まで見えなかったものもみえて来ますから……」
自信のある口ぶりで、源三郎は八丁堀のほうへ去った。
「三婆」より
   
富くじより捕り物好きな巻羽織
   

富くじなんていうあてにならない物には目もくれず、捕物に励むという実直で律儀な源さんをうまく表していますよね。
(麦わらぼうしさん)



境内で菊人形を飾っているのを見物に行ったものだが、茶店にあの三姉妹の婆さんが並んで黄粉餅を食べているのが目についた。
「三婆」より
   
三婆にゃ金より甘い黄粉もち
   




現在の私の心境は…
   
富くじは当たらぬ方が幸せよ そのくせ毎夜の神頼み
   

実際、三億円なんて当たったら人生狂ってしまうでしょうね〜と思いつつ、夢を見てしまう…私もそんな庶民の一人です。
(麦わらぼうしさん)
宝くじ買うたびにみんなこう思うんでしょうね(^-^)
わたしもです。
(のばらさん)



 たまこさんの五七五 

今年のお盆は出かける予定もなく、ごろごろと家で夏休みを楽しんでいますが、仕事がないと余計一日過ぎるのが早く、あっという間に8月も半ば近くなり、あせって提出〜〜〜。三姉妹といえば、ちょうど今、テレビドラマの「女系家族」に高島さんと沢村さんが出演されてますが、「かわせみ」とはガラっと違う役柄なのが興味深いですね。おつる・おかめ・およねの三姉妹も、第四章か五章で登場するんでしょうか?
(たまこさんの談)

麻生家の玄関を入ると、琴の音が聞えていた。あまり上手とはいい難いところから、稽古をしているのは花世だとすぐわかる。
「三婆」より
花世ちゃんと「お琴の稽古」はどうも相性が悪いらしいのは、たびたび麻生家の様子として描かれていますが、ユーモラスなポイントになっていますよね。
   
琴の音の時折止まる秋暑かな
   

私は「飛ぶ」ところに注目しましたが、「音」に注目されたのはさすがですね。なんだか私が弾くニ胡みたいです。
名前がなくとも誰のことか直ぐに判りますね(^^♪ 好きでもないお稽古事をさせられるのは子供には苦痛なだけ…七重さんは結構な教育ママでしたから。
(すみれさん)
時折止まる、という表現が花世ちゃんらしくていいですね。こでまりさまはニ胡をたしなまれるのですか。機会がありましたらぜひお聞きしたいです(^^♪
(麦わらぼうしさん)
街中で聞えてくるピアノの練習もつっかえつっかえというのがありますよね。花世ちゃんのお琴もそんな感じかな。どうもいやいや通っているような(笑)
(あっちの管理人さん)
宗匠と同じシーンで対のようなこのお句。またまたにっこりです。
(のばらさん)



「いずれ、そういう日が来ると思いますよ。この子達が大きくなる頃には、日本も大きく変るのではないかと……」
「そうかもしれないな」
「三婆」より
小文吾さんは維新の世になったらきっと、希望どおり海外に雄飛して、大きな仕事をするのだろうと楽しみです。
   
鰯雲夢は異国の男伊達
   

「鰯雲」というのは、日本男児にとって郷愁をそそる言葉ですね。宮本昌孝でしたか「夏雲あがる」という小説は面白かったです。爺さんになった七歩には、長く続く穏やかな「秋日和」は望めそうもありません。「古希すぎてせめて小春の日をねがう」といったところでしょうか。
(七歩さん)
「三婆」の収められている「横浜慕情」は全体がもういつまでもお江戸ではないと新しい時代に向かっている感じが強いのですが、たまこさんのこのお句はその雰囲気が強く出ていて好きです。小文吾さんを通り越して、麻太郎・源太郎たちの世代の男の子が大人の男になってからのお句のようにも思えます。
(浅黄裏さん)
たまこさまの「鰯雲」にははっとしました。小文吾を私も詠んだのですが、彼の若々しい憧れをこういうふうに詠めるんだ〜と。開国の足音が聞こえる時代の雰囲気が伝わってきます。
(はなはなさん)
ここのシーンもすっかり読み飛ばしてました。小文吾の夢は大きくて気持ちいい。なのに花世ちゃんに甘いやさしい小文吾。いい男ですね♪
(のばらさん)



今回、源さんは、わざわざ東吾さんを引っ張り出すまでもないと思ったのか、操練所などで忙しそうだと思って遠慮したのかわかりませんが、東吾さんは、源さんが思っている以上に捕り物の手伝いが好きなんですよね〜
   
捕り物に出番が無くて長き夜
   

毎度、呼ばれるのもあーあ、でも呼ばれないと寂しい。あるみ様のお句とつながっていて面白味が増します。
(すみれさん)



清水琴江がこの貝桶を麻生家に贈ったのは、たしか、夫に死別し、まだ幼い麻太郎を伴って、京極家の奥方へ奉公すると決まってからだったと思う。
「三婆」より
ここはきっと競作ポイントだろうな〜と楽しみ半分ビビリ半分
   
新涼や片貝に秘す母心
   

たまこさんはこのシーン、琴江さんからなんですね。皆さんのお句が同じシーンからなのに、本当にそれぞれで、一つのシーンが立体的になってくるようです。
(のばらさん)



このラストシーンもきっと競作ポイントだろうな…
   
それぞれの老いの道あり秋日和
   




 紫陽花さんの五七五 

「三婆」お話は憶えていたつもりなんですが、「花月」が出てきて驚きました。ここで「花月」が出てきていたんだ〜「秘曲」からのつながりもあったのかと今さらながら面白いなぁと感心している次第です。憶えているようで全然記憶になかったということにちょっとショックを受けました。でもこんなことはいつものことだもん。全然憶えていない話も多いし。「婆」に近づいている証拠ですね(笑)
(紫陽花さんの談)

通之進がいい、東吾はこのところ、めきめきと背が伸びた麻太郎を伴って永代橋を渡った。
暑さは盛りを過ぎた感じだが、大川に映る日ざしはまだ強い。
「三婆」より
   
ゆく夏の光集めて川面輝く
   

紫陽花さまとは今回詠んだシーンが1つ重なったんです。最初の「川面輝く」。私もここの明るさと寂しさの対比がとても気になったのです。紫陽花さまが詠んでおられて嬉しい♪
(はなはなさん)



頭を下げて、東吾は納戸へ行った。
  (略)
すでに琴江はこの世になく、麻太郎は神林家へひき取られて、通之進夫婦の養子となった。
「三婆」より
なきものは亡き者(琴江さん)と足り無き物(花月)両方の意味があるのでひらがなにしました。
   
なきものの思い封じた秋の倉
   

「なきもの」は掛けことばになっていて、意味が深いんですね。
宗匠がいわれるとうり、色々な「なきもの」があって深みが増していますね。
(すみれさん)
亡き者と足り無き物、う〜ん、うまいなぁ〜
(麦わらぼうしさん)
掛詞がいいですね。また、思いを封じたのは秋の倉なのか、貝桶を仕舞わせた通之進なのか…さらりとしているけれど深いお句ですね。
(浅黄裏さん)
なきものの一言に込められたいろんな意味に驚きました。紫陽花さん、深いなぁ…
(あっちの管理人さん)
「なきもの」に込められた様々な思い…。詠みの深さに脱帽です。
(みちころんろんさん)
いろいろ想像してしまいました。通之進様夫婦も「今はまだ封じ込めたい麻太郎の父母でいたい」と思われてるかも、とか。倉にはいろいろしまってありそう…。掛け言葉なんですね。わたしは「なきもの」のところ、「もののけ」も思い浮かべてしまいました〜。
(のばらさん)



おまけは今月は簡単にしました。ピンクの湯のみが「かわせみ時代」にあったかどうかわかりませんが、可愛い湯のみの色はピンクかなぁと単純な発想です。灰色の湯のみは照れて赤くなっています(笑)バックの赤は緋毛氈のつもり〜すべていいかげんです。すみません。
   
   

灰色湯飲みは目のやり場に困ってひたすら団子を食べ、ピンクの湯飲みは胸がいっぱいで食べられないってところでしょうか。あは。
だんごを食べているのは“およね”と“おつる”です(笑)
(紫陽花さん)
そっか〜、イラストは「婆抜き」で描かれてるけど茶店の風景なのね。確かに、1本の半分をやっと食べたとこだわ!わぁ原作通り〜。
(こでまり)
お団子を食べているのは三婆さんなのですね♪今回、狐火くんはハートに変身!の術を使いましたね。
(すみれさん)
団子を主役にもってくるという発想、思いもよりませんでした。さすが紫陽花さま!で、湯飲みどうしは勝手にいい雰囲気になっていると♪
(麦わらぼうしさん)
新キャラ・ピンクの湯のみちゃんはどこのお屋敷から抜け出してきたんでしょうね。結構お江戸にはもののけたちが居たようで…♪
(はなはなさん)
かわいいピンクの湯のみちゃん、どちらからいらっしゃったのでしょう?これからも登場するのでしょうか?楽しみです♪
(みちころんろんさん)
ピンクの湯飲みちゃん、らぶり〜♪わたしもお団子食べたのもののけ君たちかと思っ ちゃった♪
(のばらさん)



 千姫さんの五七五 

あ〜、時間と語彙と感性が今、夏休みに入っているようですぅ(って、来月の言い訳はどうする!?) 「休みは重ならないように」ってお願いしていたのにねぇ(笑) そろそろ、君の五七五が出来なくなってきました。今期だけでも「頑張ろう!」と、叱咤激励中です
(千姫さんの談)

それから十日ばかり過ぎて、東吾は兄からことづかった到来物の干鮑を届けがてら、本所の麻生家へ出かけた。
「たまには麻太郎を連れて行ってやってくれ。毎日、稽古所通いでは気が変るまい」
「三婆」より
東吾と麻太郎…これって「親子連れ」なんですよね
今の麻太郎なら打ち明けても「父は通之進です」と答えそうな気がするなぁ
   
片貝と 君のひみつと 並び行く
   

くぅ〜、お千ちゃんのコメントにホロリです。
君シリーズ、まだまだ秋になっても大丈夫じゃないですか?この「君」もいいなぁ。麻太郎さんも大きくなってきて、君と呼ぶのにふさわしいかっこ良い前髪ですもの。
(すみれさん)
私もこでまりさまに続き、ホロリです…麻太郎君なら、きっとそう言うだろうなぁ〜
(麦わらぼうしさん)
わたしもホロリです。そういう麻太郎くんも見てみたい…でもそれは辛い。クウ〜 (;;)
(のばらさん)



甲高い声でどなりつけているのが、上品な顔付のおつる婆さんで、黙々と姉の悪口に耐えているのが、女瓦版と綽名のあったおよね婆さん、そして、少し離れて、相変わらず知らん顔で茶を飲んでいるのがおかめ婆さんであった。
「三婆」より
「春の陽だまり」なら、聞いた事あるけれど… 丁度、その反対のイメージで使ってみました。小さい時も年を取っても、どんなに境遇が変わろうとも三人一緒にいる姉妹の絆にホロリ(鬼の目にも涙?)となりました
   
三婆や 秋の陽だまり 影長く
   

「婆」「陽だまり」「影長く」と畳み掛けるようなリズムで、婆が三人揃っていることのイメージが強く打ち出されていいです。
(浅黄裏さん)
千姫さまの「秋の陽だまり」いいなあ。影が長く引くあたりが人生のたそがれを 思わせていますし…。ほっこり温かいような、それで居て寂しさがある三婆さんたちのような日暮れなんですね。
(はなはなさん)
競作ポイントとなったラストシーン、肩を寄せ合うように座り込んでいる三婆達が目に浮かぶようです。夏とは違う優しい西陽に秋の気配ですね。
(あっちの管理人さん)
「影長く」がいいですねぇぇ。余計な説明なしに、この一言がぴしっと決まって、三人のこれまでの人生やそれぞれの老いを見つめる目線を感じさせます…
(たまこさん)
同じシーンで「影」でうれしいです〜。ほんとにリズムが良くて千姫さんらしい感じです。
(のばらさん)



 のばらさんの五七五 

今月もお世話になります。よっぽど棄権しようかと思ったのですが、とにかくたった2句ですがお世話になります〜〜ヨロヨロ・・・。
(のばらさんの談)

「まあ、次から次へと、よくあんなに口が動くもんだと感心しますよ。こっちは若先生がお帰りなすったのがわかってますから、早く麦湯をお持ちしたいとあせってるのに、(後略)」
「三婆」より
話し出すと長い人、参ります。あんまり長々聞いてると、そのうち話は頭を素通りし て、口やら鼻やら目やらボンヤリと見てしまいます…(わたしだけ???)
   
よく動く口目鼻見る残暑かな
   

わぁ、ヨロヨロにさせてしまって、すみません。
こんなおしゃべりな人に会った時の気持ち、わかりますよ。疲れて思考が止まるような気分も。そのうんざりした気持ちが「残暑」とよく合っていると思いました。
「よく動く…・」の句、お喋りの人の姿をとらえてお見事です。「残暑」と結んだ気持ちの表現で句が生きたように思います。
(七歩さん)
のばらさま、こでまりさま、七歩さまのコメントに同感!残暑という言葉がうんざりした気持ちをよく表していますね。
(麦わらぼうしさん)
私は「目と口は悪いのに耳はいい」という内容(←自分のことか?)で一句詠みたかったんですが、諦めました。のばらさんの角度から詠まれたこのお句はとてもおもしろいですね。
(浅黄裏さん)
「口目鼻見る」はぽかんとしているしかないお吉さんが目に見えるようで 面白いですね〜。「マシンガントーク」って実ははなはながそうだったりして。
(はなはなさん)
一見、俳句っぽくない感じで始まる御句ですが、まさにそうそう、そういう感じなのよね〜と膝を打ってしまいます。よくしゃべる人って「口」だけじゃないんですよね。目も鼻も忙しく動き続けていて、なんか気をのまれた感じでそれを「ぼーっ」と見ている感じがすごくよく出ていて。「残暑」ともぴったり合っていますよね。
(たまこさん)



おかめ婆さんが、お喋りに夢中のおつる婆さんの皿の上の黄粉餅をすばやくつまんで自分の口にほうり込んだからで、秋の陽ざしの中で三人の老姉妹は各々に幸せそうな顔を並べていた。
「三婆」より
どんな風に老いていくのか、その時自分に居場所はあるのか、ふと考えてしまいました。最後のシーン、おかしくて、そして単なる仲良し以上の何か絆も感じました。
   
三婆の影背比べ秋立ちぬ
   

今月は「三婆」の言葉の五七五がほんとうに沢山できていて、まるで「兼題」の様相でしたね。影で背比べしてる…三人の微妙な仲をのばら様らしく表現なさっているなぁと、感心しています。
(すみれさん)



 はなはなさんの五七五 

今回はどこにポイントを絞ろうかな、と少々戸惑いつつもえいや、と作ってしまいました。宝くじは今も昔も、庶民の夢ですよね♪ささやかなお吉さんの夢や小文吾の夢、そういうのに反応しちゃいました。ところで、あのおばあさんたちは富くじにどんな夢を託したのかなぁ…。
 (UP後に)
毎度ながら皆様のステキな御作を拝見するとがっくり(自分の拙さ、発想の凡庸さに、粘りの無さに)すると同時に、「また頑張って作ろう」(来月また締切に焦って忘れてしまうんだけど)と思います〜。そして皆様あったかい〜♪それがまた良いんですよね〜。
(はなはなさんの談)

永代橋を渡る東吾さんと麻太郎くん、あっさりと描写されていましたが、東吾さんの気持ちはどんなかな、と思わず妄想しました。本当は8月だから秋の季語で行くべきですが、夏の光の鮮烈さに隠された父子関係を対比させたくて詠んでしまいました。
   
父と名乗れぬ夏のきらめく川よ
   

「自由律」というのともちょっと違うような破調なリズムが、父と名乗れない心の動きと、とても合っている感じで好きです。「かわせみ」でなくても、現代もののシーンでもいけるっていう感じがします。
(たまこさん)



「当らないとは限らないよ。百発百中ってことは一発一中ってもんだろう」
当ったら、どうするんだ、と笑いながらいうと、大真面目で、
「千春嬢様にさし上げますです」
と胸を張る。
「三婆」より
お吉さんは富くじが当たれば千春ちゃんに差し上げるといい、小文吾さんは花世ちゃんに富くじを預けて自分の夢を見ています。このあたりの二人の気持ちがいとおしく思いました。
   
(めぐ)し子に夢と幸せ預け見て
   

本当にかわせみの登場人物は気持ちの優しい人ばかり!小文吾さんといい、お吉さんといい、皆自分のことだけではなく身近な人たちのことをいつも思いやっていて…心が暖かくなってきます
(みちころんろんさん)
「愛ぐし子に」きれいな言葉ですね。さらっと小文吾さんと花世ちゃんのシーンに合わせるはなはなさんの詠みっぷりに感服♪
(のばらさん)



琴江がもし、意識的に麻生家へ贈った貝桶の中から、花月の貝の片方を取りのけておいたとしたら、それは我が子の未来に対する、母の祈りのようなものではなかったかと東吾は思う。
「三婆」より
琴江さんの独り言のような句ができました。季語はないのですが、できるならば「月」と。断片のような言葉の羅列になってしまいましたが、はかない琴江さんの運命と、片貝に託した、これもはかない母の願い。それらが何となく表現できていればいいと思いました。
   
いつか知る花月の想い片貝の
母ゆえの祈りの花の月おぼろ
   

お能の「花月」について、はなはなさんからサイトの紹介がありました。 ⇒ 
リズミカルな五七五が並んでいて、いつも憧れてしまいます。きっと、うんうんとうなってひねり出している自分と違い、歌を歌うようにはいくがはなはな様からは生まれてくるのでしょう。
「母ゆえの…」「の」が流れていく様に重なっていて素敵です。同じところで創っても違いますね。
(すみれさん)
「花月」のサイト見てきました。「花月」では無事父と子再会してめでたし、みたいですが、東吾さんと麻太郎は…?
(麦わらぼうしさん)
「いつか知る」 琴江さんの独り言のようでもあり、またいずれ知るであろう麻太郎くんや東吾さんのことでもあるようであり、深いですね。
(浅黄裏さん)



お吉さんや小文吾が富くじに託した思いと三姉妹が富くじを買った思いとは、何だかかけ離れている感じがしました。でもそれも人間としてあっても良い感情だと思うし、三人の老い方も、箱入り娘のまま三人揃って婆になる、それもまた幸せなんじゃないかと思いました。
   
三姉妹それぞれの秋老いの秋
   

多くの人がこの三姉妹のことを、いろいろあるけど幸せなんだと詠んでいらっしゃいますね。年齢を重ねるごとに、同性の兄弟(姉妹)が近くにいるのって、いいなあと思いました。
みなさまが詠まれた三姉妹句の中で、特に心に残ったのがこのお句です。本当に未来の私たち三姉妹の姿のようで…
(麦わらぼうしさん)



 あっちの管理人さんの五七五 

今月の「三婆」はちょっと意外な選考という気がしました。劇的な事件が起るわけでもないし、「かわせみ」の中では結構地味な話ですよね。宗匠がどんな意味合いでこの「三婆」を選んだのか、発表の時に分るでしょうか。
 (UP後に)
「はいくりんぐ」の今月のお話に感想を送るのは初めてなので、どうも自分の感じたことをうまく伝えられるかわかりませんが、そこのところはどうか大目に見てね。
いつも感想も楽しませてもらっていましたが、こうやって初めて感想を書くというのはやっぱり難しいものですね。「この句いいなぁ」と思っても、じゃあどうしていいと思ったかというのを言葉に纏めるのは難しい。感覚なんですよね〜そんな気持を言葉に出来たかどうか。この後もみなさんの感想楽しみにしています。
(あっちの管理人さんの談)

「百両の当りくじは一枚だけですか」
五千枚売る富くじの中からたった一枚ということになる。
「一番くじは無理でも、せめて十両当てたいところですよねえ」
十両当っても四十倍だと、お吉はしきりに指を折っている。
「三婆」より
何たって庶民の夢は今も昔も宝くじ!宝くじを買った瞬間からあれこれと夢は膨らむ一方。でも高額賞金が当ったらそれはそれでいろいろあるんでしょうね。私?はい、サマージャンボ買いました!
   
夢を買う昔富くじ今ジャンボ
   
冨札に見え隠れする夢と欲
   




きゃっきゃっと笑ったあげく、
「やっぱり、とうたまがいい」
東吾の首にしがみついている。
「三婆」より
花世ちゃんも今はもうすっかり大きくなりましたが、この頃はまだまだお転婆で(今も?)可愛いさかり。お琴を飛び越えて来るなんて母上から見れば大変なお転婆でも、東吾さんにすれば嬉しい出迎えかも。でも流石に千春ちゃんはこんなにお転婆じゃないですよね。花世ちゃんのお転婆ぶり、一体誰に似たんでしょうね。
   
とうさまと飛んでくる花いつまでと
   

かわせみ△の管理人様方が花世ちゃんで発句のそろい踏みが面白いな、と、思いました。お転婆、だけど観察力もあり、頭脳明晰、確かに魅力的な女の子ですね。
(すみれさん)
「花いつまでと」は花世ちゃんの名前と、花のような幼女をダブらせていて好きです〜。東吾さんの気持ちですね〜。
(はなはなさん)
そうですよね…きっと東吾さんのみならず、世の男性陣は考えていらっしゃるの かも…。このように飛びついてきてくれるのは幼い時だけかもしれないですものね…
(みちころんろんさん)



琴江さんが江戸を離れる時、どんな思いで貝合せを七重さんに贈ったのか。もう江戸に戻ることはないだろう、真実は一生胸に秘めておこうと思っていたけれど、それでも何かに託しておきたかった。そんな気持から「花月」の片方を手許に残したのではないでしょうか。その片貝、今どこに… いつか麻太郎さんに渡り、完全な一組になる日があるでしょうか。
   
父と子の貝合せたる日のあらん
   

片貝のその後は今のところ謎のままですが、すべてのタイミングは通之進さんが握っているような気がします。それにしても、いつ、どんな風に…、気になりますね。
あっちの管理人さまが書かれた琴江さんの気持ち、私もきっとそうだと思います。その片貝、今どこに…そういえばどこにあるのでしょう?その片貝が合わさる時が、東吾さんと麻太郎の父と子としての対面の時?
(麦わらぼうしさん)



寄るとさわると口喧嘩をしているような三婆だけど、やっぱり姉妹なんですね。それぞれ連れ合いに先立たれて残った三人がなんだかんだと喧嘩しながらも肩寄せ合って暮している様子が何とも可笑しくて…いいですね。
   
三婆の背に降る声や蜩の
   

背に降るのがいいなぁと思いました。いつの時も三人並んでいる光景が目に浮かびます。
(浅黄裏さん)
蜩の鳴く夕暮れが目に浮かびました。「三婆」の背中が、とてもせつなく思えました。
(花みずきさん)
「蜩の」は大好きです〜。「の」で終わるのは余韻があって好きなんです。それに三婆さんたちの姿を音に絡めて描くのは素敵だと思いました。
(はなはなさん)
あっちの管理人さんとしては、やや変化球かな?と思って面白かったです。「蜩の」で切れるところが余韻を残していますよね。
(たまこさん)
蜩の声、という具体的なもののおかげで鮮やかに情景が想像できました。きっと子どもの頃も、三人一緒に聞いただろう蜩の声が降っている中、周り中巻き込んでのもめ事があっても、当の三人はケロッと並んで笑っている。子どもがそのまま大きくなったよう、と改めて感じました。
(のばらさん)



 ぐりさんの五七五 

お盆も過ぎ寒いくらいの風が入ってきます。もたもたしてたらもう締め切りが今月もとりかしら?(おおとりって感じならいいんですけど恥ずかしいので早くと思いながら)ぎりぎりになってしまいます
(ぐりさんの談)

「本当にもう、いつになったら女の子らしくなるのでしょう」
  (略)
「そう、がみがみいうなよ。花世だって間もなく蛹から蝶になる。そうなったら、もう、とびついて来いといったって、とびついてもくれなくなるさ」
「三婆」より
花代ちゃんは個性が強い子に描かれていますね そこが魅力です 少し大きくなってとうたまに甘えるときに、そばにいるのが 源太郎ちゃんだったら どうなんだろう? 変わらず無邪気に甘えるかなって思いました
   
おてんばも 蛹から蝶に 脱皮する
   

もう少し大きくなったら、抱きつきはしないでしょうが、東吾さんのイタイところを言葉で突いてギャフンと言わせるような、父親ゆずりのお転婆ぶりを発揮してくれるんじゃないかと、期待しています。
管理人様方の花世ちゃんのはいくをつなげて読んで、ぐり様のはいくで完結しています。すごい!花世ちゃん物語が出来そう。
(すみれさん)
蛹から蝶に脱皮する時は、源太郎くんへの恋に目覚める時…?
(麦わらぼうしさん)
「蛹から蝶へ」は綺麗な表現ですよね〜。いつか花世ちゃんの花嫁姿を見る日がくるのでしょうか(ぐすん・母の気持ち)
(はなはなさん)
才気煥発な素敵な女性になるのでしょうね。私もこのような素敵な御句を詠めるようになりたいです。
(みちころんろんさん)



あの時、抱きかかえた麻太郎のひなたくさい髪の匂い、東吾を少しも怖れず、ごく自然に蝉取りに夢中だった麻太郎の出生の秘密を、その時の東吾はまだ知らなかったのだが、琴江が麻太郎を伴って、本所の麻生家へ別れの挨拶に来て、宗太郎からそれと知らされた時、東吾は本能的に麻太郎は俺の子と悟ったものだった。
「三婆」より
このお話に花月が出てくるなんて忘れてました 兄上、東吾さんの会話 片貝の秘密はなぞのままですが 母親には父親が直感で分かるとよく言いますが 東吾さんも直感で分かったんですね やはり東吾さんの子と言うのは確定なのか 琴江さんにも分かっていたのですね
   
花月には 母の祈りの 星月夜
   
幼子の 日向の匂い 蘇る
   

「花」と「月」と「星」に「母の祈り」。きれいな語感のお句ですね。琴江さんもきっと星になって麻太郎くんを見守っているんだろうな、と思いました。
(のばらさん)



   
頼らない 友の姿が 物足りぬ
   




3人のおばあさんたちはまあーそれぞれいい人生だったのですね 年老いて近くに住み日向ぼっこをしながら気の置けない話をする、やはり女の兄弟はいいですね
   
年老いて 3人そろい 秋の昼