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 三つ橋渡った   
「幽霊殺し」  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
                文庫本:「幽霊殺し」より
平成15年10月



今回もUPのお知らせの前に、蛍さんが見つけてくださいました。(笑)
頂き物もあって嬉しくて、昨夜プレUPして出来具合を見ていたのです。
今月も力作ぞろい、心がキュッとするような五七五ばかりです。
「毎月の五七五」の月ごとのリンクのラインもこれですべて付き、ちょっと感動してます。
いつも参加してくださる皆様、ロムしてくださる皆様、ありがとうございます。
(こでまり)

すごーく遅くなりましたが、「はいくりんぐ」じっくりと拝見してきました。
もう、感想もたくさんUPされているので遠慮しようかな、と思ったのですが、
ひとこと書かせていただきますね。
皆様の句は回を重ねるごとに、洗練されてきた感じがします。
今回は親子の情がテーマだけに、余計な言葉を使わずストレートに
その思いを表現していて、こちらの心にもストレートに響いてきます。
病気や障害の子供を心配する親の藁をもつかむ思いや切なさを
皆さんよく理解されているなあと素直に感動しました。
「毎月の五七五」も一巡したんですね。おめでとうございます。
「はいくりんぐ」の輪がますます広がりますように!
(小式部さん)







それに、るいはあれっきり、東吾が「かわせみ」に来なかったと思っているが
「俺も源さんも、毎晩、かわせみの夜廻りをしていたんだ。万に一つ、あの夫婦が盗っ人の一味なら、かわせみが危いと思ったからな」
「そんなこと、ちっとも知らなくて……」
「三つ橋渡った」より
出直してくるとかわせみを出た翌日から、毎晩雨の中を夜廻りしてくれていた、東吾さんと源さん。
今夜はるいさんの涙で、着物が濡れたことでしょう。
   
妻の家を 見守る肩に 秋の雨



廊下に子守歌が聞えた。赤ん坊のむずかる声がして、宗之助夫婦がこもごも、子守歌をうたいながら、あやしているらしい。 (略)
「あれは、あんたの赤ちゃんじゃありません。結城のほうの御夫婦のお子さんで、明日、眼の手術をするんです。」
「三つ橋渡った」より
のばらさんも詠んでいらっしゃいますが、手術を前にして、親御さんの心の中では、期待と不安が嵐のように行ったり来たりしていたのでしょう。
そんな夫婦が子守歌をうたうことで、心を支えているようで…。
   
長き夜の しじまに低く 子守歌
   

しじまとかとっさに出てこない言葉です
 (のばらさん)



「おかげさまで……なんといってお礼を申してよいかわかりません。息子の眼が見えるようになりました」
手術をして十日であった。
「三つ橋渡った」より
確かに自分達の姿を眼で追っているとわかった時、どんなにか嬉しかったでしょうね。
   
愛し児の 眼に力あり 冬隣
   

「愛し児の」が好き。「冬隣」って俳句特有の表現ですよね。
(はなはなさん)
「眼に力あり」 赤ちゃんの表情、見つめられた宗之助夫婦の喜びまでこちらにヒシヒシ伝わってくる感じでした。冬隣って言葉ははじめて知りました。
(のばらさん)



橋を三つ渡ると同じ場所に戻るというイメージが、よくわからないという方が多かったので、Wordで地図を描いてみました。実は私もたまこさんに教えて頂き、これで納得したわけで。
この地図は人文社の「江戸東京散歩」にある、文久三年の江戸切絵図をもとにしているのですが、お話では「伊東先生のお宅を出たところに備前橋がございます。渡ると本願寺様で…」とあるので少し違うようですね。
今は軽子橋から備前橋のあたりは「築地川銀座公園」となっており、わずかに「備前橋」だけが残っているようです。
→ご本家「かわせみの舞台」参照
「三つ橋」解説図はお見事でした。良くわかります。確かに文章ではなかなかわかりづらいですもの。あちらの管理人さまが実際に歩かれていたり、麻生様がいろいろ調べてくださったり、S.ファロウ、ご本家、みんな小説が立体的に立ち上がってくる感じです。
(はなはなさん)
私も人文社の切絵図で確認したりしたんです。備前橋は今もあるんですね。一度見に行きたいもんです。
(紫陽花さん)



 たまこさんの五七五 

「今月の五七五」も、10月で一巡り、おめでとうございます!この一年で、たいへんな盛況となりましたね。私自身、こんなに楽しませていただくとは思いもよりませんでした。心より感謝申し上げます、そして今後とも、どうぞよろしく!
 (UP後に)
今月はまた豪華!三つ橋の地図、はなはなさんの手書き短冊、紫陽花さんのイラスト、と「おー」「おおー」「おおおー」と感心しながら見てしまいました。もちろん、五七五のほうも、皆さんますます冴えていますね!
やっぱり、子を思う親心を詠んだ作品が多かったですが東吾さんとるいさんが、ちょっとした口論になる所も、結構注目を集めていましたね。
(たまこさんの談)

「信州からいい蕎麦粉が届きましたんで、若先生に蕎麦がきでも……」
と届けにやって来ての世間話で
「なんだ、又、深川で、なにかあったのか」
ざっと汗を拭いて肌を入れると、神林東吾は気軽く、長助を居間へ誘った。
「三つ橋渡った」より
   
新蕎麦と 事件はいつも 対で来る
   

ホント長助さんは、蕎麦粉と一緒に事件を運んできますよね。でも、普通の宿屋ならやっかい事は嫌うはずなのに、時にはそれを喜んでいるふしもある、かわせみの面々ですね。
たまこさんのこれ、大受け!新蕎麦の句、ぶははは!と吹いてしまいました。ご本家さまの一体何回運んで来たか、もありますがほんとにそうですよね!
(のばらさん)
(あっちの管理人さん)
新蕎麦の句、ぶははは!と吹いてしまいました。ご本家さまの一体何回運んで来たか、もありますがほんとにそうですよね!
(のばらさん)
たまこさまの「対でくる」句に爆受けしてしまって、バシバシと膝を叩いて痛い思いをしました。
(浅黄裏さん)



医者と入れちがいに、びしょぬれになって畝源三郎がとび込んで来た。 (略)
「本物の結城在の夫婦でした。盗っ人の一味じゃありません」
手早く足を洗って上へあがりながら、源三郎は白い歯を見せた。
「三つ橋渡った」より
   
秋時雨 濡れて届ける 好い知らせ
   



「むこうさんから来てくれるとは、手間がはぶけますな」
源三郎はいつもの顔で笑いながら
「但し、家の中にふみこまれると、かわせみが迷惑しますから、外でやりましょう」 (略)
「東吾さんは、内から頼みます」
「三つ橋渡った」より
   
月のもと 阿吽の呼吸の 内と外
   

今月は源さんの句が続きますね!(らぶらぶ〜
たまこさんと「阿吽の呼吸」同じでした。
あの場面、胸がスカッとしました。
(蛍さん)



子供が手術を受けている間、両親が、この橋の道を何度も回って、手術の成功を祈ったという所はじんと来ますね。現在では聖路加病院や都立築地産院がある所です。
やはり、入院中の家族や友人のことを思って歩く人が、今でもいらっしゃることでしょうね。
   
三つ橋を 巡り巡りて 祈る秋
   
行く秋や 祈りは届く 戻り橋
   

三つ橋の近くに今も病院があるのも、不思議な気がします。本当に、祈りながら橋を渡る人も多いのでしょうね。
「俳句王国」以来またまた磨きがかかったような。ユーモアのある句は独壇場ですが、さらに「巡り巡りて」「戻り橋」はステキです。
(はなはなさん)
「巡り巡りて」に本当に何回も祈って祈って回ってた様子が目に浮かぶようで切ないです。わたしは届かなかった祈りの句にしてしまいましたが、こちらは届いた祈り、この赤ちゃんも今はきっともう随分大きくなってるのでしょうね。
(のばらさん)



 なっckyさんの五七五 

この「三つ橋渡った」は、私には、結構重いお話です。お話の先のことを考えると、私には何か心配が残ってしまうのです。 
(なっckyさんの談)

「なにせ、三つかそこいらですから、記憶もぼんやりしたもので……」
自分の名前も、親の名前も憶えていない。そのたよりない記憶の中で
「三つの橋を渡ったっていうんです」
「三つ橋渡った」より
目の見えない子、さらわれた子、泥棒の道具にされた子、そして三組の親たちそれぞれ、重いものをしょっている。見えるようになった子を連れて帰る結城の夫婦は、幸せに暮らせるのでしょうが、泥棒の女房にされてしまったおせいことお初は、愛玉問屋の親の元へかえって幸せに暮らせるんでしょうか?
   
三つ橋を 渡って帰れた 親の元
   

かわせみには「藍染川」のようなお話もあるので、確かに十五年ぶりの親子の再会が心配でもありますが、苦労した分、親子ともに、幸せになってほしいですね。
元の両親と上手くいくのでしょうか。とても気になります。(もしかしてなっckyさんもそのへんご心配なのかしらん)
(はなはなさん)
ほんとにわたしも、この先どう暮らして行くのか…と心配にもなりました。気になりますね。
(のばらさん)
なっckyさんの心配もよく分かります。血と育ちと果たしてどちらが強いのか…、お話とはいえ気になりますよね。
(小式部さん)



   
子の無事は 親の果報と 今は知り
   



 はなはなさんの五七五 

(はいくりんぐ始まって以来の「直接手渡し」で頂いた今月の五七五。
かわせみ模様の一筆箋に美しい字で書いてくださいましたので、
一枚だけUPしたいとメールを差し上げましたら)


うっ…(汗)あれですか…。ちょっと恥ずかしいかも。お調子者なのでついお渡ししてしまったのですがちょっと後悔…。「油断ならないこでまりお姐さま」だったんですよねー…、すっかり忘れてました。うーん、困ったなぁ…もっときれいに書けばよかったなぁ…でも渡しちゃったのは私だし…うーん。…では「自業自得」「お賑わせ」ということで掲載くださいませ…。
 (UP後に)
今回思うのは、やはり母の情・親の思いというのはありがたいなぁ、ということ。やはり経験でしょうか、現在子育て真っ最中の方々、経験された方々の句は胸を打つ句が多いです。かといって、そうでない方がぜんぜんというわけでは決してないのです。ただ私には思いも付かなかった言葉が出てきて、それがまたすばらしくマッチしているということなので…。
(はなはなさんさんの談)

「茶断ち、魚断ちのところで、酒を飲むわけにも行かないな」
困った顔で、東吾は出直してくる、と足早に「かわせみ」を出て行った。
「いいんですか、お嬢さん、お帰りになっちまって……」
お吉がおろおろしたが、るいはすねたように黙っていた。
「三つ橋渡った」より
   
いさかいて良人のおとづれ遠時雨
   
爪かんで待つ身の長さ寒きこと
   

この日の東吾さん、ちょっと意地悪な気がしませんか。るいさんにあそこまで言わせなくても、と思うのですが。
「爪かんで」色っぽくもあり悲しげでもありおるい様っぽいです。いいですね〜。
(のばらさん)



三つ橋をめぐりて寒し祈りける
はなはなさんから頂いた今月の五七五の一枚です。これを独り占めでは申し訳ないですよね。皆様にも見て頂きたいと思いまして、UPさせて頂きました。うふっ。
(実物は、かわせみがもう少し緑がかっています。)

「油断のならないこでまりお姐さま」のたくらみ(笑)がついに明るみに…。きゃ〜、恥ずかしいったらありゃしないっっ!! 皆様、ちゃっちゃとスクロールして読み飛ばしてくださいまし。後生ですから…。
(はなはなさん)
はなはなさんの短冊、スクロールなんてとんでもない、しっかり見入ってしまいました。抽選で○名様プレゼント!なんて無理よねぇ。かわせみの一筆箋、鳩居堂かどこかですか?見つけてGETされた時の、はなはなさんの満足顔が思い浮かびます。
(たまこさん)
はなはな様の短冊、綺麗ですね〜。先着十名にプレゼント、たまこさん、いいアイデアです。かってにキャンペーン作ってしまいました〜。
(蛍さん)
(一筆箋はなかったことに…)(^^;ゝ 穴があったら入りたい…掘ってでも入りたい…。なので、蛍さま、たまこさま、申し訳ないんですがプレゼント企画はどうかご勘弁を…(笑)
今回の一筆箋は、実はNHKのサービスコーナーで発見したものです。イラストは薮本積穂という方の筆になるもの、発行はNHKサービスセンターとなってます。たまこさまのおっしゃるとおり、見つけたときは「にんまり」
(はなはなさん)
はなはなさんの水茎の跡も麗しい一筆箋、本当に素敵でした。思わずアップにならないかしらとクリックしてしまいました。
(あっちの管理人さん)
すごいです!!なんて美しいい、おおおお〜〜 と叫んでしまいました。額装(表装?)とかして こでまり様の宝物ですね。お習字歴長いのですか?
(のばらさん)
はなはなさんの短冊(一筆箋)も素敵!自己流とは思えない達筆です。「水茎うるわしい」というのかしら、はなはなさんなら大奥勤めもできるわー。(?)NHKのサービスコーナーって渋谷にあるのですか?まとめ買いしたいくらい綺麗 ですね。
(小式部さん)
⇒この小式部さんの発言がきっかけで、のちにS.ファロウの「うねうね横丁の人々」になるのだから…。ご常連、恐るべし〜



赤ん坊の頃から、さらわれるまでの間に、おそらく母親か、子守におぶわれてのことだろうが、
「一つ橋、渡った、二つ橋、渡った、三つ橋、渡った、と誰かが必ず歌っていたのが、おせいの記憶の中にある、たった一つの手がかりなんだ」
「三つ橋渡った」より
   
母恋ひの遠い記憶の橋三つ
   



 あっちの管理人さんの五七五 

原作よりどうもNHKのドラマ化された方の印象が強くて、そちらを意識して作ってしまったかも知れません。
 (UP後に)
もう最初から最後まで一気にドキドキしながら見ちゃいました。しかも映像特典も一杯で読みで、見応え十分の「三つ橋渡った」ですね。まさに皆さんと同じく すごいの一言です。
昨年の11月に始まり、本当にあっという間に私達に 「俳句」の素晴らしさを身を以て体験させて下さいました。月を追う毎の盛況ぶりに、「かわせみ」と「俳句」素晴らしいコラボがあったんだなぁと感激しています。一つの話の中でもそれぞれの着眼点が違っていたり、あるいは共通の視点で あったり、でも決して同じ歌の出来ないところがおもしろさですね。
これからも「かわせみ」を通してどんな歌が生まれるかとても楽しみです。
(あっちの管理人さんの談)

「そんな中で、ふと、世の中はさまざまだと源三郎が呟いた。
「十五年前に、我が子をさらわれた親は、涙で眼の開かない思いをしたかも知れません……」
「三つ橋渡った」より
十五年前に可愛い子供を失った親は探して探して、それでも 見つからず、何を見ても何をしても我が子の幸せを祈り続けたのではないでしょうか。
  
去りし子の 幸せ祈る 寒時雨
  

諦められるわけではないが、見つからなければ、せめて幸せであってほしい…。親心って、そうなんでしょうね。
犬が2日ほど行方不明になった事がありまして 、その時は地獄を這いまわる思いで一日中方々歩き回りました。その時の気持ちを思い出してしまいました。人の子と一緒にしては申し訳ないのですが…。
(のばらさん)



源三郎が直ちに、築地へ出かけた。
数馬橋、軽子橋、備前橋はたしかにぐるりと一廻り出来るようにつながっていた。
おせいがいったように、一つ橋、渡った、二つ橋、渡った、三つ橋、渡った、と歌って行くと間違いなく最初の場所に戻ることが出来る。
「三つ橋渡った」より
このお話の嬉しいところは、最後に子供の頃に歌ってもらった子守歌から再び親子が巡り逢えたこと。子の幸せを願って歌った子守歌が、十五年経ったのち、その子に再び幸せを運んで来たのですね。
   
三つ橋の 父母につながる 秋日和
   

本当に、子守歌にこめられた親心が多くの人を動かし、おせいさんを導いたのですね。心が通じるというのは、こういうことなのでしょうね。



 千姫さんの五七五 

いつも、皆さんに俳句の感想を頂いてうれしがっていてばかりで、私も感想を書こうと思いながら掲示板では出遅れてばかりで、少々焦っています。
前回は二十枚プリントして、読んで、理解して、いざ、感想をって思った時には、話題がはるか向こう彼方になっていまして。次は、メールで送らせてもらいます、ねっ。
(千姫さんの談)

るいは、はっとして口をつぐんだが、どういうわけか涙がこぼれて来て、素直にすみませんという言葉が出て来ない。
「三つ橋渡った」より
   
   心に苦 目の前の愛に ゆがみ出て 素直になれず 秋風がふく
   

悪いことをしたと思ったとき、そのこと自体より、素直に謝らなかった自分自身の態度に落ち込むことってありますね。



それほど、若い夫婦は思いつめていたし、赤ん坊は愛らしかったのである。
手術までには少々の処置をしなければいけないということで、夫婦は毎日、赤ん坊を築地までつれて行き、戻ってくると、かわるがわるお詣りに出かけて行く。
「三つ橋渡った」より
   
身は果てど 仏の奇跡 吾子の眼に
   



「なんの因果で、こんなことになりましたやら、かわれるものなら、代わってやりたいと思いますが……」
「三つ橋渡った」より
これは、母が私が寝たっきりだった時に言った言葉なんです。畳に突っ伏して泣いて泣いて…。
その時は自分の事で必死だったから意味は深く考えなかったけれど、暫らくたってから、親の愛って無償のものなんだなぁ、ありがたいなぁ…って。昨日はあの頃の事を思い出してしまって一晩中、涙が止まらず、ちょっと辛かったです。
   
親の愛 「代われるものなら 代わりたい」
   

「梅一輪」の時にも、少しお話してくださいましたね。無条件に自分を愛してくれる人なんて、一生の間に、何人出会えるでしょう。特に母親の愛は、ありがたいですね。
「親の愛」の句、ずしんときて泣きそうでした。無償の愛をあげれるほどわたしはいい親じゃないですが、逆に子供からいっぱい愛情を貰ってるような思いです。
(のばらさん)



 浅黄裏さんの五七五 

先月の重たい萩の風から逃れられたのもつかの間、今度は道に迷って しまいました。たまこ様のサイトでどなたかがおっしゃっていましたが、私もいまだに三つ橋を渡ると元に戻るというロジック(ただの地理の説明?)が理解できずにおります。情けない…・。橋の名も右から左に流れて行くばかり。東京には15年住んでいましたが、大学と部屋、部屋と会社の往復ばかりで過ごしてきたのがいけなかったのでしょう。
 (UP後に)
私の句にも感想を寄せてくださって、ありがとうございます。
私は親や祖父母の代を亡くしたことはありますが、子や孫の代を亡くした経験がまだありません。大切な人を亡くす思いは、その思いに差はなく、ですがきっと悲しみに違いはあるのではないかと思っています。
(浅黄裏さんの談)

帰られてまずいと思ったら、どうして引きとめてくれなかったのか、お吉も嘉助も気がきかないったらありゃあしないと、口には出さなかったが、よけいに腹が立って来て涙が止まらなくなってしまった。
「三つ橋渡った」より
   
唇を噛んで ひとりの 長夜かな
   

お吉さんたちにあたるわけにもいかないし、自分は間違っていないと思いながらも、なぜあの時、謝ってしまわなかったのか。何度も同じ事を考えながら、長い夜は更けていったのでしょう。
はなはな様の「爪」もしっとり、こちらの「唇」もいいですね。そんな夜はどんなに長かったでしょうね。
(のばらさん)



眼の手術の間中、夫婦はじっとしていられなくて、備前橋を渡って本願寺におまいりをし、少し歩いて軽子橋を渡り、川のむこうを逆に戻って数馬橋を渡ると、伊東良庵の家の前へ帰って来た。
「それを三度も四度もくり返して、手術の終るのを待ちましたんでございます」
「三つ橋渡った」より
  
光あれ 三つ橋めぐりつ 祈る秋
   

「三つ橋のイメージ」つかんでいただけましたでしょうか。「この子の眼に光を」と祈りながら、何度も何度も、歩いたんでしょうね。
たまこさんと同じ情景で浅黄裏さんの「光あれ」もいいなぁ。
(はなはなさん
「光あれ」も力強さと切実な感じがストレートに来ます。わたしはなんか見える物の象徴、と思って赤とんぼしか思いつかなかったのですが「光」のほうがぐっと来ますね。
(のばらさん)
三つ橋で「祈る秋」が浅黄裏さんと一緒でしたね。一緒の所をそれぞれどう作るかって、とても面白いですよね。
(たまこさん)



 のばらさんの五七五

今月のお話、身につまされる場面がたくさんありました。
わたしの子供は眼の血管がきちんと発達しない可能性も0ではなくて、早産したために、目の検査を何度かした事、(大丈夫でした)、子供が気管支炎の高熱と咳で苦しんで入院した時の夜、去年真夜中に死んでしまった犬、その翌朝は本当に良いお天気だった事、色々思いだしてしました。
 (UP後に)
一周年おめでとうございます♪初めての時からは随分参加者の方もふえたんですね。皆様に混じって 五七五を一生懸命考える日があるなんて思ってなかったわたしですが、かわせみの世界を詠むというのがすごくおもしろいし、
改めて読み返すとまた違ったおもしろさです。今回もすごく読みごたえ、そして見ごたえがあって楽しかったです。
(のばらさんの談)

目に付く物をあれもこれも見せてやりたい、毎日の医者への通い道は希望と不安で地を這う思いだったかもしれません。(とんぼ飛んでる頃かなあ、と思って…。)
  
這ってでも 子を抱き進む 通い道
   
この子にも 見せてやりたし 赤とんぼ
  



「こんなに熱のある者を、雨の中、出歩いて、命取りになったら、どうするんだ」
娘は眼を大きくし、茫然と赤ん坊の枕許へすわり込んで、なにもいわなくなった。(略)
そのかわり、狂気のようになって医者に教えられたように、手拭いを冷水でしぼっては、赤ん坊の頭にあてている。
「三つ橋渡った」より
出来る事はなんだってする、でももう祈るしかない、そんな夜の恐ろしさ。自分の無力さ。必死な思い。お医者さまと天と、子供の生命力に任せるしかない。心が痛くなります。
  
ただ祈る 事しかできず 親である
  
いかないで 生きて生きてと 祈る夜
  

命がけで子どもを連れて逃げ出したおせいさん。「生きて生きてと」に、親の必死な気持ちが伝わります。
今回ののばらさん秀逸!!数もさることながら、母の気持ちがすばらしいですね。どの句をとっても切々と訴えかけてくるみたい。とくに「ただ祈る」「生きて生きて」 は涙を誘います。
(はなはなさん)
のばらさまの「親である」句、言い切っていて、気持ちが強く伝わってきますね。
(浅黄裏さん)



子守歌は相変らず、ひっそりと聞こえていた。
他の泊り客の耳を憚かって、それでも我が子の束の間の平安を祈るように、細々と唄っている。
「三つ橋渡った」より
泣いている子供に聞かせるため、それにある時は、こころ細くて仕方ない自分にも聞かせるため歌う子守唄もあると思います。ただ、のんきに歌うときもありますが祈る様に歌うときもあります。このときの夫婦は後者なのですね。
  
子守唄 この子と自分に 長き夜
  



そして、その朝、容態の急変した赤ん坊があっけなく息をひきとり、赤ん坊の母親である娘は、一味とは別にひそかに奉行所の取調べを受けた。      
「三つ橋渡った」より
夜は明けて、なにも変わらず朝になるけど。おせいの悲しみは書かれてはいません。それでも亡くなった子の亡がらを見る様子が目に見える様に思えます。
  
届かざる 祈りはどこへ 秋の朝
  
腕覚ゆ 亡き子の重み そっと抱く
  

赤ちゃんと比べたら申し訳ない気がしますが、この春逝った猫のしっとりした重みを、気がつくと、思い出していることがあります。
私自身、実は犬が亡くなってからの事を考えて作ったんです。(「届かざる」もです)今でも手が覚えています。忘れられないですよね。なでた感触も。
(のばらさん)
のばらさんが、亡くした子供を「重み」でとらえていらっしゃったのは、とても感動を覚えました。そして、こでまりさんの「しっとりした重み」という言葉にも…。悲しみと愛情の深さに胸を打たれました。
(たまこさん)



親の心が、親を呼んだのかも知れないと、「かわせみ」の者たちは、あとでしみじみ話し合ったものだった。 (略)
江戸はやがて木枯の季節であった。
「三つ橋渡った」より
  
橋めぐる 親子の道今 交差して
  
子を亡くし 子に戻りて泣け 木枯らしに
  

子どもらしく過ごせた時代もなく、我が子まで亡くしてしまったおせいさん。子どもに戻って、心を癒してほしいです。
「子を亡くし」の句が一番ずしんと来ました。おせい=お初の思いはどんなでしょう ね。
(はなはなさん)



 紫陽花さんの五七五

本当はちょっと前に出来ていたのですけど、変だし、もうちょっと何とかならないかと考えていたら遅くなってしまいました。
どんなのが集まったんでしょう。楽しみです。はなはなさんの手書きも楽しみ!
 (UP後に)
1年巡りましたね。おめでとうございます。
私も最初は俳句苦手で見ているだけだっ たんですが、最近はようやく参加できるぐらいのものをつくっています。といっても 皆さんのようにすっきりできないのですが…。
(紫陽花さんの談)

「お前、仲間のところを逃げ出して来たのか」
東吾の問いに、娘がうなずいた。
「前から考えていたんです。でも、怖くて……あの子がずっと具合が悪かったのに、お医者にもみせてくれなくて……それで思い切って……」
「三つ橋渡った」より
  
秋の雨、逃げ道失い、我と吾子
  

蛍さんも詠んでいらっしゃいますが、たどり着いた先がかわせみだったのが、縁ですね。逃げ出す時、どんなに怖かったか、それでも我が子とは別れることになりましたが、自分を責めすぎないで幸せになってほしいです。



「もし、そこじゃ濡れます。お入りなさいな」
るいが声をかけると、小娘は怯えたような表情になって
「いいんです」
という。
「あんたはよくても、赤ちゃんが風邪をひいたら、とんだことになりますよ」
「三つ橋渡った」より


紫陽花さんから「おまけです」と、素敵なイラストが届きました。(わーい、わーい)
雨にあたった着物の裾、下の方はグッショリと、上の方はうっすらと濡れている感じがよく出ていますね。雨粒もまじって、雨の強さを感じます。
最近はあまり見かけませんが、胸元でバッテンに紐を交差して、後からわずかばかり赤ちゃんがのぞいている。その二人を心配そうにのれんの隙間からみているるいさん。
このシーンから、お話が大きく展開していくのですよね。
お時間のある時に、このように花を添えて下さること、本当に感謝しております。ありがとうございました。

紫陽花さまの絵、いつもほんわかとした雰囲気が漂っていらして、気持ちが温かくなります。お忙しいなか、こちらにもおすそ分けいただきまして有難う御座いました。
(蛍さん)
紫陽花さまのイラストは何で描かれているんですか? 前にもご本家で書き込まれていたような気もしますが…。「イラストレーター」じゃないんですよね? いつもながら眼の付け所、細かいディティールの描き込み、 とてもステキです。
(はなはなさん)
「かわせみ」の玄関のところ、「いつも使い回しばっかりで…」と紫陽花さんはおっしゃってるのですが、おなじみの行灯や暖簾が 出てくると、まるで自分が常連客になったみたいで、懐かしいんですよね。同じ建物で、季節や登場人物がいろいろ変わるのも興味深いです。紫陽花さんの投句は、豪華おみやげ付きですねぇ(笑)
(たまこさん)
紫陽花さんのイラストも、お馴染みの「かわせみ」玄関前での風情が懐かしく いい雰囲気ですよね。
(あっちの管理人さん)
今回は見ごたえいっぱい!なんだか嬉しいです。土砂ぶり雨、切羽詰った気持ちが伝わってきます。かわせみの看板と奥のおるいさんは希望の光りですね。
(のばらさん)
ご本人を差し置いてのお答ですが、紫陽花さんご使用のソフトはペイントです(よね?)ペイントって、フォトショップやイラレに比べて「入門ソフト」的だからか、紫陽花さんご本人のキャラなのか、人物や動物の線にとっても暖か味があるんですよね。技の巧みさが後に隠れていて、作品を見て感心するよりも自分も作品の中に入って一緒に遊んじゃうという感じ。雨のイラストって今回が初めてだったかしら。
(たまこさん)
たまこさんのご説明どおりわたしのイラストはペイントです。イラスト用のソフトを入れたいんですが空き容量が最初から少なく入れられません。メモリは増やしたんですが、それでもよくフリーズします。それにもし入れても使いこなせないでしょうし…。
紫陽花は“おんぶ”が好きかもしれません。実はあの女性の隣に“トトロ”を描いたらどうだろうとちょっと思いました。雨の中小さい子をおんぶしている風景なら横にトトロがいてもいいのではと…。やめときました。
(紫陽花さん)
紫陽花さんのイラストも、雨やどりする母子の心細さまでよく表現してるなあと思います。雨の感じがまたいいですね。「トトロ」バージョンは是非見たいものです。うちの娘は水色の「中トトロ」が好きで、グッズを色々買わされました〜。
(小式部さん)



 蛍さんの五七五

「三つ橋渡った」は地味な作品なのですが、子を思う親の気持ち、とてもよくわかり、好きな作品です。
 (UP後に)
一番で(いばってる〜 (^^ゞ)
拝見させていただいたのに、感想かけなくて済みません。小学校の頃から感想文て、大の苦手で…。本も読まずに解説で済ますというほどでした。こうゆう方、いらっしゃった気がします。で、皆様の感想を拝見しながら、改めて詠み直させていただくと、自分が気づかなかった読み方を発見いたします。皆様の感想も五七五とは違った楽しさがありますね。
(蛍さんの談)

幼い頃にさらわれたおせいさんが、「かわせみ」に雨宿りをしたのは偶然とはいえ、引かれるものがあったのでしょうか。
  
引かれ来て みえぬえにしの 雨宿り
  

「みえぬえにし」ほんとにそうですね、気付きませんでした。
(のばらさん)
独占の着眼も楽しみな所です。たしか、雨宿りのところに注目されたのは蛍さんだけだったかな?
(たまこさん)



背後に廻った源三郎の声で、残る四人が二つに分れた。その中の一人が、いきなり仲間に背をむけて逃げ出そうとする。
嘉助が、老いを微塵も感じさせない脚で、退路をふさごうとしたとたん
「貴様……裏切ったな」
「三つ橋渡った」より
いつもながら、老いても元気な嘉助さんが大好きです。
  
老いの身と 言えぬすばやき 足さばき
  

私はいつも「花沢嘉助さん」のイメージです。いぶし銀って感じですね。



おせいさんに付きまとっていた暗い影、雨と一緒に洗い落として人生をやり直して欲しいですね。
  
妄執を 雨にながさむ 月あかり
  

「妄執を」このお句も本当に、そのとおり辛い過去を振りきって
このあと幸せになって欲しいです。
(のばらさん)



「よろしゅうござんす。くぐりをおあけ致しますよ」
漸く嘉助が答えたのは、源三郎が外へ廻って行くまでの時間かせぎで、東吾がうなずいて、くぐり戸の前へ立つ。すかさず、嘉助がいい呼吸でくぐりを開けた。
「三つ橋渡った」より
暗黙の了解、東吾さんと源さん、そして嘉助さんの連携プレーに、さすがと思います。
  
語らずも 阿吽の呼吸 見事なり
  

たまこさんも詠んでいらっしゃいますが、この時の呼吸の良さ、読んでて気持ちがいいですね。

今回「阿吽の呼吸」が蛍さんと一緒でしたね。一緒の所をそれぞれどう作るかって、とても面白いですよね。
(たまこさん)



夫婦は、はじめて眼のみえる我が子から、みえる眼でみつめられて、おお、おおとまわらぬ舌で呼びかけられたという。
「三つ橋渡った」より
我が子の幸せを願わない親はいません。どれほど嬉しいか
親というものは自分のことより、まず我が子のことを考えます。
  
幸あれと 合わす両の手 吾子の笑み
  

自分たちを見ている、自分たちを見て笑っているとわかった時の嬉しさは、たとえられないものだったでしょうね。亡くなったおせいさんの子の分まで、幸せになってほしいです。
「吾子の笑み」本当に嬉しい瞬間だったでしょうね。
(のばらさん)