「七夕」について
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 七夕の客
「新装版 江戸の子守唄」より  (平岩弓枝著:文芸春秋刊)
平成十五年七月



「今月の五七五」も拝見しました!
今月デビューの皆さん、そうとは感じさせない出来じゃないですかあ。
「かわせみ」が題材だけによ〜く分かっていて肩に力も入ってない感じ。
あとでもう少しゆっくり読ませていただきますね。
(小式部さん)


いやぁすごかったです。今月の五七五、益々パワーアップして登場ですね。
皆さん本当に素晴らしい句を詠んでいらして、「七夕の客」の一情景を
鮮やかに切り取っていらっしゃいますね。
今月もまた参加出来ませんでしたが、こうやって皆さんの句を拝見していると
参加出来なかったのがとっても残念です。ちょっと皆さんが羨ましいくらいです(笑)
新しい「かわせみ」の楽しみ方を教えて下さったこでまりさんに感謝、ですね。
(あっちの管理人さん)

七夕の俳句、見てきましたよ。たくさんの投稿で大盛況ですね。
コメントも一つ一つ丁寧についていて、ご苦労様です。
文章の区切りに入っている星の列が七夕のためのようでぴったりです。
今月も私は見るだけでした。
来月こそは!なーんて思うのですが、思うだけで、なかなか…。
(紫陽花さん)




(長崎から帰り、「かわせみ」に掛けつけた東吾を迎え、自分とはもう住む世界が違うと言うるい)

「どこに住もうと、るい殿は、この東吾のたった一人の、たった一人の……」

(それでも頑なに心を開くまいとするるいの両肩に手をかけ)

「るい、俺は前からそう決めていたのだ」
「東吾様」

(抱きしめられた東吾の胸で、声をあげて泣くるい)
NHK「御宿かわせみ」より(S55放送)
父を不遇のうちに亡くし、武家を捨て宿を始めることで自分の心を支えてきたであろうるいさん。
東吾さんの本心を知った時、初めて声をあげて泣くことができたのではないかと、見るたびに心にしみます。
この時の東吾さんが、本当に、かっこイイんだ!
この夜二人は、越えられない天の川を渡ったんですね。
   
ただ一人の人と越えし夜天の川

「ただひとり」はほんとうに、しっとりしみじみ
(のばらさん)



「何してんです、若様、そんな竹なんぞ持って」

(三善屋の番頭風の男と別れて歩き出した、やくざ風の男の尾行を始めようとした東吾=小野寺昭さんに声をかけたのは、長助のところの徳松=村上弘明さん)

「暑いとこすまねえが、あの男をつけてみてくれ」
「合点だっ」
NHK「御宿かわせみ」より(S55放送)
当時の村上さんはいつか東吾役を演りたいと思ったそうです。思いは叶うんですね。
   
新旧の東吾行き交ふ江戸の町
   


村上さんもひょろっとした初々しい青年でしたよね、元祖イケメンライダー?!
(のばらさん)



(体調を崩した夫とともに木曾−原作では中津川−へ行くので、もう二度と会えないというお柳の言葉に泣き伏す新兵衛。その側を離れお柳が見上げた空は、いつの間にか雨が上がっている)

「新兵衛、ご覧、お星様が……見えた、見えたわ」

(空を見上げながら手を握り合う二人)

「新兵衛、あの星を、あの星を……」
「はい」
NHK「御宿かわせみ」より(S55放送)
   
母は子と子は母と思ふ星祭り
   



せめて品川まで送って行くという息子の手を握りしめて、やっと晴れた江戸の空の下を初老の母は旅立って行った。
「七夕の客」より
おまけ  (と言うか、ショックですぅぅ)
   
四十でも初老と言われた!惑惑組
   


『初老』確かにビックリしちゃいますよね。わたしは読んだとき(八年ほど前)母が四十八でしたんで「うちのおかぁはんももう初老?!そりゃないわ!」とショックでした…。
(のばらさん)



 浅黄裏さんの五七五 

さて、初めてでもあり、お恥ずかしい出来なのですが、『七夕の客』の句を送らせていただきます。みなさんの句集の端っこにでも加えていただければ嬉しいです。
(浅黄裏さんの談)

原作の東吾さんのセリフにはるいさんでなくても赤面してしまいます。憶えてくれていることの嬉しさと恥ずかしさとを天秤にかけたら、私はやっぱり気恥ずかしいかな…。
   
逢い初めて 星流る間の 四年半
   



「たどりついた時、新兵衛は、新兵衛はって……いくら大丈夫といっても承知しなかったんですよ」
るいが涙ぐんだ。息子を想って、母親は鈴ケ森から大川端まで死にもの狂いで夜の道を歩いて来た。
「七夕の客」より
   
子を案じ 闇夜を駆ける 足袋はだし
   



悪い奴がいなくなった今、どうして息子と一緒に暮らせないのか悲しくなります。
長年一緒にいたご主人には愛はなくても情があるということなのでしょうか…。
「さわやかに」お柳さんが言ったというのが救いです。
   
子の涙 ぬぐいて 母は江戸を立つ
   



「心配することは、なにもない。猪之松のことは手前がよいようにします」
源三郎がひき受けて、七夕の夜は雨のまま、明けた。無論、三善屋の番頭はその夜の中にお召捕りになっている。
「七夕の客」より
源さんは「手前がよいように」と言っていましたが、さてその後、女郎蜘蛛の松をどうしたのかが気になります。
犯人不明のまま書類だけを上司に提出して終わりとしたのか、ひょっとしてそのまま林のなかに埋めてしまったのかもと思ったりしました。
   
毒蜘蛛は 土に還せと 天の声
   


「はいくりんぐ」へようこそ!
浅黄裏さんのお句は、言葉合わせのサイトで鍛えられた(?)、柔軟で、自分らしい発想のある句ですね。女郎蜘蛛の松、糸をたぐると林の中に続いているかも。。。
「女郎蜘蛛の松」どうなってるんでしょう(^_^;)こわいです〜。
(のばらさん)



 のばらさんの五七五 

皆様の五七五を読んでいると、同じお話を読んでいてもこんなにいろいろ感じ方があるのね、ととてもビックリ、より一層かわせみを読む楽しみが増えました!
でも…ついついだんだんと、自分も詠んでみたくなってきて、気がつけば口の中でもごもご言いながら指をおって五七五をひねっている日々!「五七五」に収まっただけで喜んでいる初心者ですがなんだか面白くて♪季語もちゃんと入れられないし、俳句らしい風格も味もなかなか出せませんが『かわせみ』のお話について詠む、というのがとっても楽しいです。
 (UP後に)
皆さん今回もそれぞれ個性的でいいですね…。浅黄裏様も蛍様も初投稿とは思えません!母の子を思う心の歌にはしみじみさせられました。この間もご本家掲示板で話題になってましたが、かわせみシリーズうまくいってる親子、少ないのかも…。思い合う親子は生き別れたり死に別れたり…。
ほんとに「大川端で五七五」どっぷりはまりそうですー と言うかすでにはまってます…。
(のばらさんの談)

「かわせみが五年目ってことは、るいと俺の仲は四年半か、気がつかない中に、随分、古女房になってたもんだ」
「七夕の客」より
開業当時の事、はじめての夜を思い出すお二人、おるいさんはそれよりずっとずっと前、子供の頃から七夕のたびに、そっと「東吾様のお嫁様になりたい」とおもっておいでだったろう、その事も思い出しているかも…を勝手な想像を膨らませまして…。
   
幼き日 星に願いし ひと傍(そば)
   

「気がつけば指を折っている」、よ〜くわかります。(うんうん)
俳句と限定しているわけではありませんから、季語についてはこだわらなくてよろしいですよ。
何よりのばらさんの作品の中に、かわせみの情景が現れているのがいいと思いました。



この頃はまだ、身分違い、七重さんもお一人となにかと枷があり、とても二人が一緒になれそうもなく思えた頃。
ただ傍にいてくれる、その今を大切に思い「東吾様と夫婦に」とは、けして口に出せないおるいさまの気持ちを勝手に想像致しました。
   
短冊に 書けぬ願いは 胸に置き
   

小説の同じ部分に着目していたことがわかって面白かったです。完全に一本取られたぁ〜と思いました。「胸に置く」という言葉づかいもとても綺麗だし。
るいさんの願いを表に出さないでいるというのは、祝言までのどの話でも同じですが、短冊に書けない願い、という捉え方が「七夕の客」ならではですよね。
(たまこさん)



「長いこと、御厄介をおかけしましたが、もう二度と参れないと存じますので、来年のお宿はおとりおき願わなくて結構でございます」
泣き腫れた眼で、しかし、さわやかにお柳がいう。  
「七夕の客」より
   
母は行く 背中(せな)に罪負い 子を思い
   



 たまこさんの五七五 

「七夕の客」は、五七五デビューの方も増えて、ますます楽しみになりそうですね!
もう少し推敲したい所でもありますが、今月後半は少し忙しくなりそうなので、送ってしまいます。
 (UP後に)
今日は用事で出かける直前に、こでまりさんのお知らせを見て急ぎアクセスしてみると、お名前の多さ、句の多さ(たぶんこれまでの新記録?)ずーと下に行けども行けどもまだ続く!という感じで、早く帰ってゆっくり見たい!とワクワクしていました。ようやく、一通り目を通すことが出来た所です。
初参加の方々も、初めてとは思えない作品ばかり、素晴らしいです!今回、新旧東吾さま等、映像ならではの句も多く、いっそう楽しいですね。
同じ情景を選んだ方のは、こういう表現もあるなぁと感心したり、自分も狙ったけど詠めなかった情景のはやられたーと思ったり、気のつかなかった所が詠まれていて目からウロコとか、一つ一つ、発見があります。
それから、先月の「源三郎の恋」についても、皆様の感想や千姫さん(私も、幻想的でとてもステキだなと思っていたのです)とこでまりさんの往復書簡(?)とか、いっぱい追加されていて、これも見逃せませんよ!
今回はちょうどオール読物発売と同じ日。今日は本当に良い日じゃ〜〜
(たまこさんの談)

東吾が長崎から帰って…という回想シーンも短いですが原作にちゃんとあるんですよね。
元祖NHK版はやっぱり原作に忠実だったようですね。
   
来し方を 二人で思う 星迎え
   
晴れて添う 夢は隠して 夏支度
   


たまこ様の「晴れて添う」、わたしの「短冊に」と似た視点なのに奥ゆかしさがあって数段おるいさまらしいです。
(のばらさん)



「すみません、こん畜生、出しぬきやがって」
見張られているのを知って、松吉は屋根から深川の家をぬけ出したという。
「いったい、なんでございましょう」
気をとり直した新兵衛は、東吾の話をきくと、急に叫び出した。
「おっ母さんが……おっ母さんが危い……」
「七夕の客」より
   
たらちねの 危急を告げる 夏嵐
   

「たらちねの」は本当に危機迫る感じ。
(のばらさん)



「おかげさまで、なんとか五年になりましたからご常連のお客様にせめて手拭一筋、扇の一本も差し上げたいものだと思って、番頭さんと古い宿帳を調べてみたんですよ」
「七夕の客」より
「七夕の客」は、「嘉助さんがエクセル使えたら、この作業をするのに便利だっただろうな〜」と思ったのが「ぱそこん指南」のきっかけという点でも、私にとって印象深いお話です。
   
イロハ順 エクセルならば ワンタッチ
   

あのお役立ちコーナー「ぱそこん指南」のきっかけはここにあったんですね。「内緒のおまけ」とのコメントがありましたが、こんなおいしいエピソード内緒になんてできません!



 蛍さんの五七五 

お柳さんが、遠くに行かなくてはならなくなって二度と新兵衛さんと会えなくなる。胸が詰まって、何度読んでも泣かされてしまいます。
 (UP後に)
さすが、皆様年期(?)を積んでいらっしゃるので、お上手です。情景が浮かんで来ます。「るい」さん、「東吾」さん、「お柳」さんなど、それぞれの視点から詠まれていらっしゃって、ただただ感心するばかり。私などもう精一杯でした。
でも、五・七・五はじっくり読む事を教えて下さり、あらためて有難う御座います。想像力に乏しいものですから、中々文字に出来ませんが、読みながら考えながらと楽しませて頂きました。
(蛍さんの談)

「どうぞ、この子の力になってやって下さいまし、子を思う母の心を不愍とお思い下さるなら……どうか、話し相手になってやって頂きとう存じます」
「七夕の客」より
   
七夕に 我子の行く末 願いけり
   
笹舟で 繋ぐ心や 天の川
   

つい先日まで、「俳句なんて100年早い」とかなんとか。でも、母の視点からしっかり詠んでいらっしゃいますね。新兵衛と離れていた十年も、そしてこれからも、母の心は息子に向いつづけることでしょう。



 千姫さんの五七五 

今回は欠席届を出そうと思ったくらい一つもまとまらなかったのに昨日、急に一杯出来て。駄作ばかりながら、自分でも何んでなん?と不思議です。(でも、書いている間に半分ボツになりました)
(千姫さんの談)

祝言までるいは行事や節目にいつも一人ぼっちだったけど七夕は一緒に居れたんだなぁ…って思って。
   
七夕に 大川渡る 東吾かな
   



小さい頃七夕の日に雨が降っていたら、彦星と織り姫は会えないなぁって言ってませんでしたっけ。
   
東吾なら 雨でも渡る 天の川
   

ホント、東吾さんてどんな時でも来てくれそうですよね。

千姫様の「東吾なら〜」読んだとたん、目に浮かぶ様でわたしにはなかった発想!とびっくり!
(のばらさん)



なんにしても、東吾が連日「かわせみ」に顔をみせていると、るいは勿論、番頭の嘉助や女中頭のお吉までが威勢よくなって、店全体に活気が満ちて来る。
「七夕の客」より
   
活気ある 皆の笑顔に 東吾居り
   


今月の「東吾三連句」や、先月の梅雨の句も、とてもオリジナルな視点で印象的です。
(たまこさん)



竹を奥庭へ運び、井戸端へ行って汗を流していると、手拭を持って香苗が出て来た。
  (略)
兄嫁が近づいて、東吾の背中を拭き出したので、東吾は慌てた。
  (略)
或る意味で、母を感じさせる兄嫁だが、やはり照れくささは否めない。東吾がるいという女体を知ってしまってからは尚更であった。そんな男の変化は、無論、香苗にはわからない。
「七夕の客」より
   
背を拭(ぬぐ)う 兄嫁(あね)に秘密が 一つ増え
   

ここでの東吾さんの慌てぶり、目に浮かびますね。義弟は成長しているのに、相変わらず子供のように扱って不思議に思わない香苗さんも、かわいい!
いつも「はいくりんぐ」で楽しく拝見させていただいております。「かくれ千姫ファン」です。なんていうか「天然の感性」で、読むたびに「かなわないなあ」という思いが。あ、プレッシャーかけちゃったかなあ。ごめんなさい。
(小式部さん)
兄嫁と東吾の句はよかったです。実はあの井戸端での描写をなんとか句にしようと努力したのですが、なんともまとめられずに結局見送ったのでした。自分が表現したかったものを他の人にサラリとやられてしまうと口惜しさよりも賞賛の気持ちのほうが強くなりますね。
(浅黄裏さん)




   
梅と松 世間が隔てる 母と子を
   



 茜雲さんの五七五 

たかが17文字、されど17文字で本当に難しい。
七夕の客の本を読み、ドラマを見返してもつい五七五を忘れて耽ってしまうので、なかなか進みませんでした。
(茜雲さんの談)

憎まれ口を叩きながら、東吾が苦笑したのは、翌年の正月に長崎から帰って来て、るいのことをきき、ここへとんで来た夜に、他人でなくなった時を、るいも亦、思い出しているらしいのをみてとったからでもある。
「七夕の客」より
七夕の客はこのシーンなくしては語れません。
「るい殿」が「るい」になったところはドラマの名シーンのひとつですね。
   
宿帳に思い出なぞる夏の宵
   

この時のドラマの台詞が、ご本家の掲示板で話題になってあっちの管理人さんが教えて下さったおかげで、久しぶりに見ることができました。
今回ドラマもOKとしたのは、この台詞のせいかも。。。



宿帳の客の年齢をお吉もるいもそらんじているのをみても、「かわせみ」で、この二人の客のことは、かなり話題になっているらしい。
「それに、お二人は多分、知り合いだろうって、みんながいうんですけども、女中もあたし達も、そのお二人が互いに口をきいたり、挨拶したりするのをみたことがないんです」
  (略)
「あたしは一度、お膳を運んでて、両方の部屋からお二人が同時に出てくることろをみたことがあるんですけどね。ふっと足をとめて、そりゃ、なんともいえない表情で、僅かの間ですけど、みつめ合ったんです。
「七夕の客」より
同じ宿に泊まりながら一言も交わさず子の成長を見守った母の姿に心打たれます。
   
七夕や涙で見守る子の姿
   



この先二度と会うことはなくても、一夜同じ部屋で時をすごした母と子は、この先は天を仰ぎ、同じ星をそれぞれに見て、心を通わせるのだと思います。
   
会わねども心は近し天の川
   



 はなはなさんの五七五 

「七夕の客」はテレビも小説も大好きです。見所はなんといっても二つ、母と子の悲しくも切ない七夕と、東吾さんとおるいさんの再会…。どちらかというとおるいさんの独立開業の心根がたまらなくて。あの当時、男への思いだけにすがるようにして一人で生きていくには「かわせみ」を開くしかなかった…女心ですね〜。それに東吾さんが応えてくれたのがうれしい。
(はなはなさんの談)

縁が切れたのだから、口をきいては死んだ夫にすまないといい、母親は決して口をきこうとはしなかった。ただ、一年ごとに成人して行く我が子を涙のたまった眼でみつめるだけだったという。
「七夕の客」より
母と息子が年に一度の逢瀬。その舞台に「かわせみ」がある、というのがとてもすてきです。なんとなく恋のようななまめきも、ドラマの中のお柳さんは感じさせていました。南田洋子さんはすごいなーっと改めてビデオを見返して感心しました。
   
言葉なく ただまなざしで 想い込め
   
七夕の 逢瀬のごとき 母息子
   
短冊に 書きし願いは 母恋ひし
   
見つめあう 廊下は流れる 銀河かな
   



ふだん黙って亭主関白してて、適時適打(ここが大切、おほほほ)、「ここで言って〜♪」ってところを外さない、いいオトコ!理想ですわねっ♪♪って、結局テレビ…。(本編は東吾さんの回想だけでしたものね)
ま、私のかわせみ遍歴はテレビからはじまったんで…。私にとってはおるいさんのいじらしさがたまらない「七夕の客」、実際に東吾さんが長崎から帰ってきたのは七夕ではありませんでしたが遠く隔てられていたのは、牽牛・織女と同じですよね。
   
銀のかは 波わたりくる 恋ひしひと
   
夕化粧 星迎えして 天仰ぐ
   
名を呼ばれ この身ぬちより 流れし恋
   
天の川 越えたき星の流れなり
   
七夕流し 堰きとめし恋 もろともに
   

ドラマの東吾さん、本当に本当にカッコよかったですね。それに美しかったぁ。やっぱり男性には、ああであってほしいですわ(お〜ほっほほ)
(ちょっとヒロチャン入ってます
今回も色っぽい句にうっとり〜。本当に決める所でビシッと決め台詞をいってくれる東吾さん、いい男〜。あらためてこんな人いないよなあ、とため息交じり。
(のばらさん)



 朝霧さんの五七五 

このところ雑事に追われかわせみのロムもままならない毎日ですがなんとか俳句だけは。
今回の「七夕の客」なんともいえない悲しい親子愛。子を持つ親の心に訴えられますね。
上手に表現できないもどかしさ「鷹羽狩行の一句拝見」を読みここをこう読み替えてなどと、自分でひねってみますが、やはり添削の大事さを思います。
 (UP後に)
今月もありがとうございました。それぞれの読み手の情感が感じられいつもながら朝霧はうなるだけです。
一つのお話がこんなにたくさんの句を生む。似ていてもみんな違った言葉で表される。毎月楽しみにしています。遅ればせながらお礼申し上げます。
(朝霧さんの談)

「この夏で、ちょうど五年目になるんです」
軒に簾を下し、障子を簀戸に替えて、すっかり夏仕度になった大川端の宿「かわせみ」で、るいが華やいだ声をたてた。
「七夕の客」より
   
軒端に簾 華やぎて 夫(つま)迎へ
   

季節ごとの設えも、お料理も、宿屋だからというだけでなくすべて東吾さんのためにという女心が見えて、こちらまで素直な気持ちになれますね。



「七夕みたいだな」
うっかり、東吾が乗った。
「それが、七月七日なんです。しかも、お一組は女のお客様、もう一組は男のお客様……どちらもお一人なんですよ」
  (略)
つまり、「かわせみ」では二階の奥に廊下を中にして梅の間と松の間が向い合っている。その松の間を男のほうが、梅の間を女のほうが、来年七月七日の予約をして行くというのだ。
「七夕の客」より
   
母と子の 天の川なる 宿廊下
   
語らずも 七夕の夜に 心の灯
   

一年のうちのこの一日を、どれほどの思いで待っていたことでしょう。かわせみの廊下は、二人にとっては天の川、二人を隔てるというよりも、心をつなぐ川ですね。